纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(27)

イザナミ・・・あなたの国の人草をひと日に千頭チガシラ絞クビり殺します。 

イザナキ・・・われは、ひと日に千五百チイホの産屋ウブヤを建てよう。 

 

このため人は年をとれば、死んでゆくことになったのである。 

 

このようにして這う這うの体で黄泉の国から逃げ帰ったイザナキは、体についた穢れをおとすために、をすることになる。 

 

禊の場所は「筑紫の日向の橘の小門オドの阿波岐原アワキハラ」である。 

黄泉の国(出雲地方)から逃げ帰ったイザナキは、筑紫・九州の日向地方まで跳んで禊をすことになるが、特に脈絡はない。禊は太陽の輝く素晴らしい場所が必要だったということではないのかな、とその書読み解き古事記 神話篇」(三浦祐之著、朝日新書)には書かれている(P58)。 

 

この禊の中で、合計23柱の神々が生まれている。この23柱の最後の方では、海の神(宗像三神)航海の神(住吉大社と言う大和朝廷では重要な役割を果たす神々が生まれている。 

 

そして話はまだ続くのである。 

 

その書では、「そして、その果てにたいそう貴い三柱の神が生まれるのである。」と書かれている。 

 

いよいよ、天照大御神須佐🧠之男命の誕生である。 

 

「さて、禊の果てに、伊耶那岐命左の御目を洗う時に成り出でた神の名は、天照大御神、次に、右の御目を洗う時に成り出た神の名は、月読神、つぎに、御鼻を洗う時に成り出た神の名は、建速須佐之男命 

たけはや・建速とは猛々しく素早いことの誉め言葉だと、その書には書かれている(P69)。 

 

以後古事記では、天照大神須佐之男命の話となってゆき、月読命は影が薄くなっているが、もともとは日・太陽と月の神話があったが、古事記の制作時に須佐之男命と天照大神の関係が強調されることになり、月読命の話が飛ばされてしまったのであろう、とその書には書かれている(P71)。 

 

事実一書では、「天照大神」は大日孁(おおひるめ)と呼ばれており、ヒルメのルは「~の」と言う意味の古い格助詞で、メは女を意味し、日の女神を意味しているのである、とその書には書かれている(P73)。 

 

何はともあれ、イザナキは三柱の神が生まれたことをいたく喜び、次のようにそれぞれの役割を与える。 

 

天照大神・・・神々のいる高天原を治めたまえ、首飾りももらう。 

月読神・・・・が召しあがる国を治めたまえ 

須佐之男・・そなたは、海原を治めたまえ 

 

天照大神は、イザナキより首飾りまで与えられているので、特別な神としてイザナキの力も受け継いだ神と成っているが、スサノウは「海原」を治めよという命令に対して、長い間泣きわめいて拒否し続ける。 

(続く)