纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(26)

だから高天原とはどこかの具体的な社会組織(国家)が、そのモデルとして存在したことが記憶にあったものと思われるのである。 

 

さて話を元に戻す。 

「イザナキ」と「イザナミ」の2人は「オノゴロ島」でめでたく結婚して「国生み」を成してゆくのである。 

 

先ずは「淡路島・淡道之穂之狭別島アワジノホノサワケジマ」、そして「四国・伊予之二名島」「隠岐島隠岐之三子島」「九州・筑紫島」「壱岐・伊伎島」「対馬・津島」「佐渡島・佐度島」そして「本州・大倭豊秋津の島」の八つの島、大八島が生まれるのである。この時点ではまだ「北海道・蝦夷」はまだ出てこない。 

 

そして風や山や野などの神羅万象の神々が生まれてくるのである。いわゆる「八百万の神」である。西洋と違い大倭オオヤマト・日本ではすべてのものに神が宿るものである。 

 

このように日本(と言っておこう)では、きわめて古い段階から各種の島々から成り立っていたという意識が存在していたのである。と言うことは、この日本にはそれなりの組織体が存在していた、と言うことに通ずるものであろう。この話は稲作が行われていたので、いわゆる弥生時代の話となろうが(?)、それよりも前の縄文時代のより古い時代から(それなりの)定住生活が始まっていたものと考えても間違いがなかろう。稲作は弥生時代から始まったというのが定説となっているが、縄文時代の後半には既に陸稲ではあるが、稲作が行われているので、定住生活は始まっていたのである。 

 

その後イザナミは、「火の神」を生んで命を落としてしまうことになる。 

人間は(としておくが)「火」を手に入れることにより、イザナミが神避サってしまう。そしてイザナミの亡骸は、「出雲の国と伯伎ハハキの国の堺の比婆の山に葬った」と伝えられている。島根県鳥取県の境にある山だと言うがどこかわかっていないとその書読み解き古事記 神話篇」(三浦祐之著、朝日新書)には書かれている。これがいわゆる「黄泉の国」といわれるものであろうか。 

 

イザナミの死を嘆き悲しんだイザナキは、その「火の神」を切り殺してしまい、更にはイザナミに逢いたいがために「黄泉の国」まで会いに行く。 

 

しかしながらイザナミは既に黄泉戸喫(よもつへぐひ、黄泉の国で煮炊きした食事)をしてしまっていたので、元に戻れないとイザナキは伝えられるが、イザナミにこちらの神と話し合うので外で待っていてくれ、と言われる。 

 

しかしイザナキは待ちきれずに中に入ってしまう。するとイザナミの体は腐乱しており、蛆ウジがわいていた。ここら辺のイメージは、古墳の横穴式石室の羨道(通路)とその奥の玄室(お棺を収める部屋)を想像するとよい、とその書には書かれている(P45~46)。 

 

恐ろしくなったイザナキは、這う這うの体で逃げ帰ると、イザナミは「私に恥をかかせた」と大勢で追っかけてきた。イザナキは黄泉の国で逃げに逃げ惑って黄泉比良坂ヨモツヒラサカの坂本にたどり着く。そしてそこに生えていた桃の実を三つ取り追手に投げつけて何とか逃げ切ることが出来たが、最後にイザナミが追いかけてきた。そのためイザナキは大岩で道を塞ぎイザナミと対峙する。 

 

ここで有名な(かどうかは知らないが)対話が始まる。 

(続く)