纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(5)

ここで
古代史レポートhttps://www.eonet.ne.jp/~temb/index.htmからの魏志倭人伝」を借用して次に載せるので、ぜひご一読願う。 

 

 

 

魏志倭人伝 

 

解説は「魏志倭人伝から見える日本https://www.eonet.ne.jp/~temb/1/index_1.htm
 百衲本(原文、書き下し文、現代語訳)、 国名や官名は漢音で読む。 

https://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm 

普平陽侯相 陳寿 撰 

 

倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す。旧百余国。漢の時、朝見する者有り。今、使訳通ずる所は三十国なり。 

郡より倭に至るには、海岸に循ひて水行す。韓国を歴て、乍(たちまち)乍東し、その北岸、狗邪韓国到る。七千余里なり。 

始めて一海を度ること千余里にして対海国対馬)に至る。その大官は卑狗と曰ひ、副は卑奴母離と曰ふ。 

居する所は絶島にして、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿(きんろく)の径の如し。千余戸有り。良田無く、海物を食らひ自活す。船に乗り、南北に市糴(してき)す。 

又、南に一海を渡ること千余里、名は瀚海と曰ふ、一大国至る。官は亦た卑狗と曰ひ、副は卑奴母離と曰ふ。 

方三百里ばかり。竹木叢林多し。三千ばかりの家有り。やや田地有り。田を耕すも、なお食らふに足らず。亦、南北に市糴す。 

又、一海を渡ること千余里にして末盧国(まつらこく)至る。四千余戸有り。山海に浜して居す。草木茂盛し、行くに前人を見ず。魚鰒(ぎょふく、魚とアワビ)を捕るを好み、水の深浅無く、皆、沈没してこれを取る。 

東南に陸行すること五百里にして伊都国到る。官は爾支(にき)と曰ひ、副は泄謨觚(せつぽこ)、柄渠觚(へいきょこ)と曰ふ。千余戸有り。世、王有りて、皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所なり。 

東南、奴国至る百里なり。官は兕馬觚(じばこ)と曰ひ、副は卑奴母離と曰ふ。二万余戸有り。 

東行し、不弥国至る百里なり。官は多摸と曰ひ、副は卑奴母離と曰ふ。千余家有り。 

南、投馬国至る。水行二十日なり。官は弥弥と曰ひ、副は弥弥那利と曰ふ。五万余戸ばかり。 

南、邪馬壱国至る。女王の都とする所なり。水行十日、陸行一月なり。官は伊支馬(いきま)有り。次は弥馬升(みましょう)と曰ひ、次は弥馬獲支(みまかき)と曰ひ、次は奴佳鞮(なかてい)と曰ふ。七万余戸ばかり。 

女王国より以北は、その戸数、道里の略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。次に斯馬国(しまこく)有り。次に巳百支国(いほきこく)有り。次に伊邪国(いやこく)有り。次都支国(ときこく)有り。次に弥奴国(みなこく)有り。次に好古都国(こことこく)有り。次に不呼国(ふここく)有り。次に姐奴国(そなこく)有り。次に対蘇国(たいそこく)有り。次に蘇奴国(そなこく)有り。次に呼邑国(こゆうこく)有り。次に華奴蘇奴国(かなそなこく)有り。次に鬼国(きこく)有り。次に為吾国(いごこく)有り。次に鬼奴国(きなこく)有り。次に邪馬国(やまこく)有り。次に躬臣国(きゅうしんこく)有り。次に巴利国(はりこく)有り。次に支惟国(きいこく)有り。次に烏奴国(おなこく)有り。次に奴国(なこく)有り。ここは女王の境界尽きる所なり。 

その南に、狗奴国有り。男子が王と為る。その官は狗古智卑狗有り。女王に属さず。郡より女王国に至るは、万二千余里なり。 

男子は大小なく、みな黥面文身す。いにしえより以来、その使、中国に詣(いた)るや、皆、大夫を自称す。 

夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身し、以って蛟龍の害を避く。今、倭の水人は沈没して魚蛤(ぎょこう)を捕るを好み、文身は、また、以って大魚、水禽を厭(おさ)ふ。後、やうやく以って飾となす。諸国の文身はそれぞれに異なり、或いは左、或いは右、あるいは大、あるいは小たりて、尊卑の差あり。 

その道里を計ると、まさに会稽東治の東にあるべし。 

その風俗は淫ならず。男子はみな露紒(ろけい、かぶり物を着けず)し、木緜を以って頭を招(くく)る。その衣は横幅にして、ただ結束して相連ね、ほぼ縫ふことなし。婦人は被髪屈紒(くっけい、結っているが露出)す。衣を作ること単被のごとし。その中央を穿ち、頭を貫きて之を衣る。 

禾稲(かとう・稲)、紵麻(ちょま・麻)を種まき、蠶桑(蚕桑・さんそう)す。緝績(しゅうせき)して、細紵(さいちょ・細かい麻糸)、縑緜(けんめん・絹と綿)をい出す。その地には、牛、馬、虎、豹、羊、鵲(かささぎ)なし。 

兵は、矛、盾、木弓を用ひる。木弓は下を短かく、上を長くす。竹箭(ちくせん・竹の矢柄)は或いは鉄鏃、或いは骨鏃なり。有無する所は儋耳珠崖と同じくす。 

 

倭地は温暖にして、冬夏、生菜を食らふ。みな徒跣(とせん・はだし)す。屋室あり。父母、兄弟は異所に臥息す。朱丹を以ってその身体に塗るは中国が紛を用いる如くなり。 

食、飲には籩豆(へんとう・たかつき)を用ひ、手で食らふ。 

その死には、棺有りて槨なし。土で封じ冢(ちょう・塚)を作る。始め、死して停喪(ていそう・もがり)すること十余日、当時は肉を食らはず。喪主は哭泣(こくきゅう)し、他人は歌舞飲酒に就く。すでに葬るや、家を挙げて水中に詣り澡浴(そうよく・洗い清める)す。以って、練沐の如し。 

その行来して海を渡り、中国に詣るに、常に一人をして、頭を梳(くしけず)らず、蟣蝨(きしつ・しらみ)を去らず、衣服を垢汚(あかよごれ)し、肉を食らはず、婦人に近づかざらしむこと、喪人の如し。名づけて、これを持衰(じさい)と為す。もし行者に吉善あらば、共に、その生口、財物を顧(ただ・報いる)す。もし疾病有るか、暴害に遭へば、さらに之を殺さんと欲す。その持衰が勤めずといふ。 

真珠、青玉をい出す。その山に丹あり。その木は枏(タン・クス)、杼(ちょ・とち)、豫、樟(よしょう・くすのき)、楺櫪(じゅうれき・ボケくぬぎ)、投橿(といきょう・すぎとかし)、烏號(うごう・やまぐわ)、楓香(ふうこう・カエデ)あり。その竹は篠(しょう・しのだけ)、簳(かん・矢だけ)、桃支とうし・かづらだけ)なり。薑きょう・しょうが)、橘(きつ・たちばな)、椒しょう・さんしょう)、襄荷(みょうが)あるも、以って滋味を為すを知らず。獮猴(みこう・おおざる)、黒雉(こくち・きじ)あり。 

その俗、事を挙げ、行来するに云為(うんい・気がかり)するところあれば、すなはち、骨を灼きて卜し、以って吉凶を占ふ。先に卜するところを告げる。その辞は令亀法の如し。火坼(ひたく・ひび)を視て、兆しを占ふ。 

(続く)