ついでに次のURLも面白く、ためになります。
http://www.youtube.com/watch?v=pq4ZOhiCqOw
http://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/blog-entry-1198.html
昔から朝鮮では、李承番などと言う超極悪な人非人が排出しているので、こうい
う頓馬な朝鮮人が出てくることは、日常茶飯事なのであろう。本当に朝鮮の民意
が知れると言うこと。
台湾ではその後李登輝総統など立派な人材を輩出している。彼は、台湾の高
校から1943/10に京都帝国大学農学部経済学科に進学している。戦後は台湾
大学農学部農業経済学科に編入学し、1949年卒業、そして1952年に奨学金を
得て米国アイオワ州立大学に留学し、農業経済学を研究し1953年に修士の学
位を取得している。さらにロックフェラー財団などの奨学金を得てコーネル大学
に留学し、1968年には農業経済学博士号を取得している。その後農業専門家と
して台湾の発展に尽くし、1978年中華民国第6期総統に任命された蒋経国(蒋
介石の息子)に認められ、台北市長に任命され、頭角を現してゆく。1984年副
総統、1988年~1990年総統代行、1990年~2000年には第8期、、9期総統と
して手腕を発揮している。彼は尖閣諸島は日本の領土であると発言したり、
靖国神社に関しては「お国のために尽くした英霊を祀り、お参りすることは当然
のこと。外国が口を挟むべきではない。」と訪日時には何回か参拝している。
靖国神社には戦死した兄が祭られている。
朝鮮にも似たような話しがあるので、一つの例として次に掲げる。これは「日韓
併合」 http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/nikkanheigo1.html
に記載されている「石原慎太郎東京都知事」の話しである。
日本の韓国統治の問題。あれは合法的にやって、しかも世界が是として、べつ
に外国から文句が出たものではない。しかも、韓国、朝鮮人が自分達で選んだ
道である。
その判断を、ある意味で冷静に評価したのは韓国の朴大統領だった。私も何
度かお目にかかった。ある時、向こうの閣僚とお酒を飲んでいて、みんな日本語
が上手い連中で、日本への不満もあるからいろいろ言い出した。朴さんは雰囲
気が険悪になりかけたとき「まあまあ」と座を制して、「しかしあのとき、われわれ
は自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私達の先祖が選択
した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島
に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が
共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっ
ていた。日本を選んだということは、ベストとは言わないけれど、仕方なしに選ば
ざるを得なかったならば、セコンド・ベストとして私は評価している。
朴さんは「石原さん、大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非
常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育をこの朝鮮でもやった。これは多とす
べきだ。私がその言い例ですよ」と言う。
「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人が
やってきて義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰すると
いった。日本人にしかられるからというんで学校に行けた。その後、師範学校、
軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よく出来るな。日本の市谷の士官
学校に推薦するから行けといって入学。主席で卒業し、言葉も完璧でなかったか
もしれないが、生徒を代表して、答辞を読んだ。私はこのことを非常に多とす
る。相対的に白人がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみて
も、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う」
(日韓併合)
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/nikkanheigo1.html
まあ日本で教育を受ければ、朝鮮人でも少しはまともに成長するようだ。
さて公明正大な土地調査からちょっと話しは飛んだが、朝鮮の農民達の覚醒の
話に戻ろう。
朝鮮総督府は、「勤労愛好」「自主独立」「報恩感謝」の3目標を掲げて、農民
の覚醒を図ったことは前に述べたが、その中心となったのは1931(S6)年から
1936(S11)年まで朝鮮総督となった宇垣一成であった。宇垣の推進した農村新
興運動は、上からの一方的な農業改革ではなく、農民本位で、農民自身の自覚
によって改革を進めると言うものであった。
(続く)