ヨーロッパと日本(35)

そして東京大学を退職する祭の大学在職25周年記念祝賀会での挨拶では、

また別の視点から日本人批判を行っている。

日本人は西洋の学問の成り立ちと本質について大いに誤解しているように思

える。日本人は学問を、年間に一定量の仕事をこなし、簡単によそへ運んで稼

動させることのできる機会の様に考えている。しかし、それは間違いである。ヨー

ロッパの学問世界は機械ではなく、一つの有機体でありあらゆる有機体と同じ

く、花を咲かせるためには一定の気候、一定の風土を必要とするのだ。日本人

は彼ら(お雇い外国人)を学問の果実の切り売り人として扱ったが、彼らは学問

の樹を育てる庭師としての使命感に燃えていたのだ。…つまり、根本にある精

神を極める代わりに最新の成果さえ受け取れば十分と考えたわけである。

本来、科学とか学問は、物事の成り立ちなどの摂理自然を究めてその世界

の謎を解く、と言う目標に向かって営まれるはずのものだが、日本では科学の

もたらす成果や実質的科学にその主眼が置かれているのではないか、と批判を

しているのである。しかし、このような批判は日本を嫌って為されたものではない

ことも確かなことである。反対に上記の挨拶の中では、当時の日本の医学生達

の勤勉さや優秀さを伝える発言も為されている。そして、教員生活は大変満足で

きるものであった、とも述べている。

ここで「五箇条の御誓文」の「広く会議を興し万機公論に決すべし」を思い出して

ほしい。「万機公論に決すべし」の目的は、「道理にかなう結論」を出す為だっ

た。この「道理にかなう」と言うことは、ベルツの言う「一つの有機体であること

を理解することと同じことを言っているのではないかと思うのである。

物事の成り立ちやその摂理を理解し、そこまで掘り下げて考えて結論を出すこと

が求められているのであろう。

奇しくもベルツも五箇条のご誓文の精神と同じことを言っていると理解して、この

章を閉じよう。明治の先人に感謝。

(続く)