ヨーロッパと日本(33)

17.エルヴィン・フォン・ベルツの日本観(お雇い外国人医師)

1876年(明治9年)6月6日お雇い外国人として来日して、東京医学校

東京大学医学部)の教師として1905年6月まで勤務した、「エルヴィン・

フォン・ベルツの日本観次に紹介しよう。これらもWikipediaからの引用で

あるベルツの日記」には、明治初期の日本人の西洋文明を取り入れる様子

が描写されている。

日本国民は、10年にもならぬ前まで封建制度や協会、僧院、同業組合などの

組織をもつ我々の中世騎士時代の文化状態にあったのが、一気に我々ヨーロッ

パの文明発展に要した500年余りの期間を飛び越えて、19世紀の全ての成果

を即座に、自分のものにしようとしている。

特にこの前の16章では、明治維新政府が立て続けに改革を実施し、必要な制

度・法律を作り、遮二無二(がむしゃらに)改革を実施してきた様子がよく分かる。

将に『御一新』といわれている通りであることがよく分かるのであるが、世界で唯

一の暴発的でない、理路整然とした革命だったのではないかと、小生は思って

いる。もちろん禁門の変とか戊辰戦争などのいわゆる戦いも起こっているが、無

秩序的な暴動ではなかった。それは徳川幕府薩長側も、同じく現状から抜け

出そうという問題意識を共通のベースにしているところからくるものであろうと、

小生は理解している。

それにしても明治の偉人達の、不眠不休の活躍を続けた様子が目に浮かぶ。

よくもこれほどまでに頑張れたものである。これが時代の為せる業と言うものか、

まことに頭が下がるものである。我々はこれら先人達の努力を無にしてはならな

い。私利私欲を捨て、これからの日本に何が大切か、何が必要かを冷静に考え

て、このことを言い換えれば、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づいて、万機

公論に決して、盛んに経綸を行ってゆかなければならない、と言うことである。

将に『五箇条の御誓文』の言う通りである。

昭和天皇が昭和21年1月1日に、「新日本建設に関する詔書の冒頭に五箇

条のご誓文を追加されて意味も自ずと分かる気がする

現在の日本の政治家は、今一度この「新日本建設に関する詔書」を熟読玩味し

てもらいたいものである。

さて話はベルツに戻そう。

(続く)