だからルーズベルトは最初から、日本がロシアから賠償金をとることには反対で
あったのである。ルーズベルトは日本を仮想敵国と看做していたのである。
「War Plan Orangeオレンジ計画」がそれである。一説によるとこの「オレンジ
計画」はセオドア・ルーズベルト大統領の前の第25代大統領のウィリアム・マッ
キンリーが、日清戦争(1904~05)の2年後の1897年に考案したものでそれを次
の大統領のルーズベルトが引き継いだものらしい。マッキンリーの時代には米
西戦争を行い、プエルトリコやハワイ、フィリピンなどを次々と併合していった
時代であり、西部開拓も終わりに近づき新しい開拓地を探していた時代であった。
だから「海のフロンティア計画」を立案し盛んに海外に進出しようと企んでいた
のである。そのため清国を破った新興の日本とやがては太平洋でぶつかると想
定し、「オレンジ計画」を立案したものであろう。「白地に赤く日の丸揚げて」の
赤い日の丸をオレンジ色に腐らせようと企画したものであった。それをルーズ
ベルトが引き継ぎ、日露戦争後さらに完成度を上げていったものであり、第2次
世界大戦まで継続された。ひょっとしたら現在も生きているかも知れない。
「オレンジ計画」については、'11/1/12のNO.54でも言及しているので参照願う
が、セオドア・ルーズベルトが日本と関係するようになったのは、ハワイ併合問
題の頃からである。その時彼は、米海軍省の次官であり、ハワイ王朝乗っ取り
にどっぷりと漬かっていた。
ハワイ併合問題については、'11/1/31,NO.67や3ヶ月ほど飛んだ'11/5/6,NO.68
などでも言及しているが、今一度この件をおさらいの意味で、事の起こりを時系
列で見てみよう。
(続く)