日韓併合100年(154)

日本が白人の大国ロシアを破ったと言うことは、多くのアジアの植民地国に希望

を与えていたので、アジア諸民族ともそれなりにうまくやっていったと言う可能性

も大きかったものと思われる。小村も一つ角を曲がり別視点で検討し、この「ハリ

マン提案
」を受け入れていれば、それこそ日本の大偉人として輝いていたことで

あろう。しかしこの否決は、小村一生の大不覚であった。


ロシアの戦争準備が整う前に戦争に踏み切らせた小村の慧眼はたいしたもの

である。この慧眼が日本を救ったのであり、ロシアの戦争準備が整ってからの日

露戦争では、日本は完全に負けていたことであろう。だから奉天会戦直後での

講和談判は、まさに願ったり叶ったりであり(もちろんそのようにもっていったもの

でもあるが)、奉天会戦後戦争を続けていれば日本は必ずや負けていたことで

あろう。


この小村の慧眼にしても、「ハリマン提案」のメリット・デメリットを読み損ねてい

る。近場に対しての読みには鋭いものがあったのであるから、もう少し視野を広

げてものごとを見る目や懐の深さがあれば、日本のその後は変わっていたかも

知れない。更には、小村には、外交官や政治家の育成にももう少しかかわっても

らいたかった、と言うものである。小村に直接育成せよ、と言っているのではな

く、育成の仕組みを作っておいてもらいたかったのである。それでこそ優秀な外

交官や政治家
が生き馬の目を抜く世界政治の中で、日本の国益を守って行くこ

とが出来ると言うものである。


小村寿太郎とその時代」(岡崎久彦
には次のような指摘がある。やや長いが

次に紹介しよう。


国際政治は、しょせん力の関係である。もしそうなれば、日本人が血を流した

土地と言うようなセンチメンタルな理由は吹き飛んでしまって、日本は、時の国

力に応じた結果を受諾するか、あるいは勝ち目のない戦争をやるほかなかった

であろう。それが十年後ではなく、三十年後日本のツキが落ちた後、第2次大戦

となって実現されるのである。今となってみれば、日本としては、ハリマン提案

を受諾
しておくことが正解であり、小村の術策は、国の大きな運命を誤ったとい

うべきであろう。

さて問題の朝鮮はポーツマス条約ではどのように取り扱われていたのであろう

か。もちろん、日露戦争そのものが、韓国(朝鮮)を日本の支配下に置くことに

第1の目的があったことは、今まで何度も述べてきた。ではそのポーツマス条約

では、その件はどのように表現されているのであろうか。


日露講和条約

第二条 ロシア帝国政府は日本国が韓国に於いて政事上、軍事上及び経済上

の卓絶なる利益を有することを承認し、日本帝国政府が韓国に於いて必要と認

むる指導、保護及び監理の措置を執るに当たり之を阻害し又は之に干渉せざる

ことを約す。


韓国に於けるロシア国民は他の外国の臣民又は、人民と全然同様に待遇せら

るべく、之を換言すれば最恵国の臣民又は人民と同一の地位に置かれるべき

ものと知るべし。


両条約国は一切誤解の原因を避けんが為、露韓間の国境に於いて、ロシア国

又は韓国の領土の安全を侵迫することあるべき何らの軍事上措置を、執らざる

ことに同意す。

以下略

「あすなろおじさんのつぶやき」
http://asunaroojisan.blog113.fc2.com/blog-entry

-194.html
#)より抜粋したが、現代語化は全て小生の「偏見と独断」で行っている

ので、必要に応じて原典を確認願う。


と言うものである。この意味は、有体に言えば、「
韓国を日本の保護国とするか

ら、ロシアは何も文句を言うな。但し韓国内のロシア人には最恵国待遇を与え

るが、ロシアは露韓国境においては一切の軍事上の措置は執るな。
」と言うもの

である。

(続く)