さてもう一度、アジア杯の日韓戦を思い起こしてみよう。キソンヨンのサルまねが
あったから、余計に、日本チームは燃えたのでしょうか。そして全員がハッスル
して、細貝のサポートを生み、川島のPK阻止があったのでしょうか。それもあっ
たかもしれない。しかし韓国はサルの国だ、キソンヨンがサル真似しようが何し
ようが、日本チームの選手たちにはそんなことは気が付いていない。彼らは一
生懸命サッカーをやっただけなのである、自分のために、そして日本のために。
それを賢明に率いたのが、イタリア人のザッケローニ監督だ。そして日本チーム
にマッチしたコンセプトが、団結力だったのではないか。あの香川、本田、長友、
前田と渡った流れからのゴールも、日本チームが融合した結果なのだ。日本が
韓国を破ったのは、2005年以来だと言う。今一度韓国戦を振り返ってみよう。
c日本、決勝へ PK戦で韓国破る サッカーアジア杯
2011年1月26日1時15分
Pk戦で韓国のシュートを2本続けて阻むGK川島=25日、ドーハ、西畑志朗撮影
Pk戦の末、韓国を破り決勝進出を決めた日本の選手たち=25日、ドーハ、西畑志朗撮影
▽交代 【日】細貝=ア(後42分、香川)伊野波=鹿(延前16分、前田)本田拓=鹿(延後12分、長谷部)【韓】洪正好(後21分、池東●〈●はさんずいに元〉)孫興民(後37分、李青龍)金信●(●は火へんに日の下に立・延前13分、趙容亨)▽警告 【日】内田、長友、岩政【韓】朴智星、趙容亨、車ドゥリ〈注〉リはリールス、チはチェゼーナ、シはシャルケ、ウはウォルフスブルク、ドはドルトムント、CはCSKAモスクワ、アはアウクスブルク
延長前半、本田圭(左)のPKのこぼれ球を細貝(中央)が押し込みゴールを決める=25日、ドーハ・アルガラファ競技場、西畑志朗撮影
準決勝の日韓戦で盛り上がる日本サポーター=西畑志朗撮影
前半、同点ゴールを決め抱き合う前田(中央)と香川(左)。右はアシストの長友=25日、ドーハ・アルガラファ競技場、西畑志朗撮影
【ドーハ=河野正樹】サッカーのアジアカップ準決勝は25日、当地のアルガラ
ファ競技場で行われ、PK戦の末、日本(世界ランク29位)が韓国(同39位)を
破り、優勝した2004年大会以来の決勝進出を果たした。29日の決勝はウズベ
キスタン―オーストラリアの勝者と対戦する。2―2で迎えたPK戦は3―0だっ
た。日本が韓国を破ったのは05年の東アジア選手権以来だった。
◇
試合は日本のキックオフで始まった。
前半22分、ペナルティーエリア内で今野が朴智星を倒したと判定され、日本が
PKを与えた。23分、韓国の奇誠庸がPKを決め、日本は0―1と先制された。
36分、日本は本田圭のパスを受けた長友がドリブルで仕掛け、最後は前田が
決め、1―1の同点に追いついた。
前半は1―1で終わった。
後半は韓国のキックオフで始まった。
後半は韓国が主導権を握って進んだが、両チームとも得点することができず、
試合は前後半15分ずつの延長戦に入った。
延長の前半は日本のキックオフで始まった。
6分に岡崎がペナルティーエリア内で倒され、日本がPKを得た。7分、本田圭
のPKはGKにはじかれたが、こぼれ球を途中交代の細貝が決め、2―1とリード
した。
しかし延長後半15分、韓国に同点ゴールを決められ、2―2でPK戦に突入
した。日本はPK戦を3―0で制し、決勝進出を決めた。
日本は準々決勝のカタール戦でレッドカードを受けた吉田(VVVフェンロ)に代
わって岩政(鹿島)が入り、出場停止が明けた内田(シャルケ)が先発した。
日本の先発は次の通り。
▽GK 川島(リールス)▽DF 内田(シャルケ)岩政(鹿島)今野(FC東京)長
友(チェゼーナ)▽MF 長谷部(ウォルフスブルク)遠藤(ガ大阪)岡崎(清水)本
田圭(CSKAモスクワ)香川(ドルトムント)▽FW 前田(磐田)
http://www.asahi.com/sports/update/0125/TKY201101250453.html?ref=reca
(続く)