戦後70年談話はヒストリーで!(45)

だから反省と言う言葉なども必要はないと思うのだが、安倍総理反省の言葉は使いたいようだ。少しはアメリカの意向も尊重する、と言うことか。

 

戦後70年談話「反省」を明記へ

2015722()

 安倍総理が来月発表する戦後70年談話をめぐって、アメリカ政府高官はこれまで同様に反省の思いを代弁してほしいとコメントしました。安倍総理も先の大戦への反省については明記する意向です。

 今月10日、安倍総理は日本と韓国の議員連盟のメンバーと会談しました。同席した日韓議連の額賀会長によりますと、安倍総理は韓国の議員らに談話では、「先の大戦について反省の意を表し、戦後は平和国家として歩み続けてきたことを報告する」と説明したということです。

 戦後50年の村山談話と戦後60年の小泉談話には、先の大戦をめぐり、「植民地支配と侵略」のほか「痛切な反省と心からのお詫び」などの表現が盛り込まれています。

 安倍総理はこれらの文言をそのまま盛り込むことには否定的で、未来志向の内容としたい考えです。

 一方、アメリカのラッセル国務次官補は安倍総理の戦後70年談話について「第二次大戦に関し、これまでと同様に日本政府や日本の人々が感じてきた反省の思いを代弁してほしい」と述べました。

 戦後70年談話をめぐる有識者懇談会は21日、最終会合を終えました。来月上旬に安倍総理に報告書を提出する予定ですが、最終的な表現は安倍総理が判断する見通しで、どういった表現を用いるのか、世界が注目しています。(2223:25

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2546210.html


 

(14)補足・日本軍による南京虐殺はない。やったのは中国軍だ。

    だから反省も必要はないのだ。

 

第2次上海事変で追い払われた中国軍は、上海から直線距離で約270km西北西に位置している京城へ逃げ込んだ。

 

当初日本政府は和平交渉を行うため南京への進撃は禁止していたが、中国各地での日本居留民への殺害や日本権益に対する妨害などのため、結局は南京攻略を進めざるを得なかった。ここでも蒋介石軍は逃げてしまい大規模な戦闘にはならなかったが、蒋介石は「南京事件」を南京で布教していた宣教師達に捏造させたのである。世に言う「南京大虐殺」であるが、これも全くの捏造である。いまだに中国共産党政府は、その捏造事件を吹聴している。

 

南京での虐殺事件が捏造された虚構であることは、小生のブログでも既に述べられているので、小生の次のブログなどを参照願う。

 

通州事件」については、'07.5.28の当ブログに詳しく載っている。

南京大虐殺の虚構宣伝」については、'07.6.6~9の当ブログ、

日中戦争中国共産党が惹き起こしたものだ」については、'07.7.4~17の当ブログ、

日本居留民虐殺事件は、「中国の虚妄のプロパガンダ'08.2.8~20の当ブログに載っている。中国での日本居留民の虐殺事件は、通州事件だけではなく、S2.3月の南京事件S3.5月の済南事件、S12.7月のこの通州事件と頻繁の発生している。

 

日本軍が日本人を守るために動くことは至極当然のことであるが、南京城内から中国軍は一部便意兵となって暴れているが、彼らへの掃討作戦はあったのであろうが、南京市内とその近郷においては、虐殺などは一切なかったのである。

 

しかしながら列車で逃げた中国軍では事情が少し異なっていたようだ。次の文を読んでほしい。

 

南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉

http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/18f7716fd28351ebe42e6029a8775184

20150326121554 | 拡散記事・報道、教育(活動。繋がる)

見過ごせない貴重な記事がありました(`・ω´

20141223日 http://japan-plus.net/299/ より

南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉

asanankin04

南京nyQUEbGH  H m7T)

以下は、「月刊中国」主幹、鳴霞氏による貴重な証言。

2012127日に、開国少将というベンネームの作者が、「外祖父が自分の日で見た南京大虐殺」という歴史評論をネット(http://www.kdnet.net)に書き込んだ。

すぐに記事は削除されたのか、現在は閲覧することができない。

その記事は、次のような内容だったという。


 

「私は小さい頃に、外祖父が抗日戦場から何故逃げ出したのか分からなかった。逃げたことは秘密で、外祖父が死去する前年に、よく雑談の中で何時間も話すようになっていた。外祖父は、妻が早く死去したということだったが、それが逃げた理由ではないだろう。私はある日、やつと外祖父から真相を聞き出した。
彼は四川省の貧農の出身で、小さい頃から武術で鍛えていた。
1928年に四川で国民党に捕らえられて兵士にさせられ、 1937年の南京大虐殺前夜に少尉にさせられて、日本軍の猛烈な攻撃を、首都を守れ・国父を守れというスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ないので、南京城から撤退した。
部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。その時に周囲から、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。
大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍は、すぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。誰かが、日本軍が来たぞと叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。
誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って、一斉射撃を命じた。あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから銃弾を浴びて死んで行った。
国民党の部隊が必死で逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として転嫁された。外祖父は、こんな部隊に残りたくないので、撤退途中に九江で夜陰に紛れて脱走し、長江を渡り武漢で列車を乗り換え、南の小さな山村に逃げ込んだ。
外祖父の記憶では、他の部隊も同様のことをしてきたという。全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。外祖父は貧農の出身だが、国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があつたという。
外祖父は、国民党の軍隊に残っていれば、出世したかもしれない。また抗日戦争で戦死していれば、抗日戦闘英雄烈士との美名で呼ばれたかもしれない。しかし、逃亡する道を選んだ。そして裏切り者という悪名で呼ばれて、経歴を隠し通して逃げ回った。その過去の真実を、外祖父は死ぬ前になって初めて語ったのである。
南京大虐殺は自分自身が犯した罪である。外祖父は恥ずかしくてたまらなかっただろう。
私は反日・反米の青年であり、ネットによく論評を発表していた。
だが、そんな単純な反日・反米の青年たちは利用されているだけなのだ。天国にいる外祖父よ、私を許して下さい」。


 

http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/18f7716fd28351ebe42e6029a8775184?fm=entry_related

 

ジャーナリストが見た南京
https://www.youtube.com/watch?v=JNAKLuBdhb8
関連記事
http://blogs.yahoo.co.jp/hisao3aruga/39735320.html 2015/3/4()
南京img_0 H m7T)

虐殺されたはずの南京市民 「南京大虐殺」の虚構  更新

http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/5e99dca385555be8a5205bce41fb3e88


南京93815edc9b664a870d2d1611e6d8ba92 H m7T)

『南京大虐殺』の論点

http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/18bfeb971c45aa4fa48e8506e1eb131f

南京s_13 H m7T)

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次のURLも参考にされるとよい。

http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/c/e35f567ca06c3bb8a8fc55e2db5cf783

 

ヒストリー・歴史的事実と言うものは、こんなものなのである。中国共産党政府は捏造そのものの南京事件を、こともあろうに南京大虐殺記念館などというおどろおどろしい建物を建てて、嘘っぱちを人民に教えている。

 

本来の話は、「中国軍蒋介石軍)による虐殺」なのである。それを隠すために、あんな建物まで建てて人民をだまくらかしているのである。

 

いい加減日本人もマインドコントロールから脱却しなければいけないのだ。非常に参考になるので次の文章も熟読願う。

 

(続く)