日韓併合100年(131)

8/28、早朝日本時間元老会議そして午前8時に引き続き閣僚会議がもた

れた。当然議題は日本政府の最終態度である。談判決裂の場合は、陸軍の軍

事力が頼りとなる。奉天戦のあと日露ともに戦力の増強に励んだが、日増しに

日本軍の不利が明らかになった。ロシア奉天戦まではシベリアの「地方部

隊」が主力であり、素質の悪さが目立ったが、奉天戦後は良質の「本国部隊」

が投入された。戦力もそれまでの2倍、約40個師団、120万人となっていた。

しかもその全てが「少壮兵」で装備も充実、防御線も完備していた。


これに対して日本軍兵力は、戦備が充実されていたとはいえ、「13個師団、約

50万人」でしかも「老年補充兵」ばかりであった。つまりは「3倍のロシア満州

軍の精兵
」に対して「3分の1の劣兵」で立ち向かう形となっていた。このような

情勢の中、日本側が攻勢に出るには更に「数個師団」の新設を必要とするがし

かも補充兵力も乏しくそれは困難であることが寺内陸相から報告され、ロシアに

白旗を揚げさせることは出来ないと言われ議論が沸いた。


東京で閣議が始まった8/28,午前8時は、ニューヨークでは8/27,午後6時であ

る。その一時間後の8/27(日)午後7時(NY時間)、金子は領事坂井徳太郎か

大統領の伝言(「
親電に対するロシア皇帝からの返事はまだない。最早打つ

手はない。
」)を聞いている。


金子は「大統領も匙を投げたのか」と天を仰いだが、午後8時頃、AP通信社

の社長M・ストーンが金子を訪れ、大統領の書簡を手交した。「ストーン氏の話

を聞いてくれ」と言うものだった。


AP通信とはThe Associated Press,米国内の通信業の協同組合(国外のメディ

アは組合員ではないので配信は有料扱い)である。


内容は、「大統領からドイツ皇帝ヴィルヘルム二世に親電して、ロシア皇帝を説

得してもらう。そして中立国委員と日露の3名で、樺太北部の買戻し金額を決定

させる。」などというトロイものであった。金子元法相は当然不審感を顕わにし

た。「打つ手はない」と言ってみたり、「3人で検討したらどうか」と言ってみたり、

論理が一貫していない。このルーズベルト提案は、8/19にローゼンに、そし

8/25に金子にも伝えた「英仏両国に委託して賠償金については検討しても

らったらどうか、と言った物語」と全く同じものではないか。


金子はそれでも小村にその内容を伝えた。


このルーズベルト対応は、講和談判の斡旋事を全く馬鹿にしたもの、と看做して

もおかしくないものである、と(小生は)断定してもよいと思っている。日露の講和

を早く成し遂げて世界平和をもたらすことが、ルーズベルトの意図したことである

ならば、8/24に大統領が受けた駐露米国大使マイヤー電露は賠償金は払わ

ないが、代わりに樺太南部を渡す
」と言うもの(
NO.130参照)を、早々に金子に

伝えるべきだある。それをこんなことでひねくり回すと言うことは、日露にとっても

世界にとっても何の意味もない。ルーズベルトは(ある意味)まじめな顔をした

世界の大悪人ではないのか。要はロシアの味方で、日本の敵としての振る舞

いをし出したのである。


午後9時高平委員がウィッテの部屋を訪れて、日本からの会議延期命令の電報

に基づいて、8/29火曜日への延期を申し入れ承諾された。


新聞記者たちはさまざまな解釈を試みたが、ニューヨーク・タイムス紙の解釈が

最も妥当と看做された。それは、日本側は「談判決裂の権限」を待っているの

だ、と言うものであった。小村たち全権委員には、その権限が無かったのである。

(続く)