うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(19)

 さらに、ナットさんの母親で、現在、76歳になるトラン・ティ・ンガイさんは、自身の悲惨な過去をインディペンデント紙の取材に対し、赤裸々に吐露します。ンガイさんは時折、すすり無き、怒りと悲しみで涙をぬぐいながら、話し始めました。体は弱っていますが、ベトナム戦争中に受けた性暴力に関する記憶ははっきりしています。

 「ベトナム戦争当時、私は若く、村人を助けるため看護師をしていました。両親は農場で働いており、私たち一家は本当に貧しかったのです」

 そんなンガイさんが韓国兵に初めてレイプされたのは24歳の時だといいます。

 「看護師のシフト勤務で、私は昼食後の昼寝のため、帰宅しました。すると、近くの基地の韓国軍の指揮官が部屋に現れ、私を抱きしめました。私は凍り付きました。誰も兵士には楯突けません。彼は私の体を触りはじめ、私をレイプしました。私は大声で叫び、助けを求めましたが、誰も来ませんでした。その後、私は数日間、泣き続けました。しかし両親は私を責めました。私が自分の意志で彼と性行為に及んだと思っていたのです。両親は子供を堕ろせと言ったので、私は薬を飲みましたが、失敗し、小さな女の子を産みました。私は自殺しようとしましたが、どういうわけか生きていく方法を見つけたのです」

 韓国兵の恐ろしい残虐行為なのですが、本当に恐ろしいのはこれからなのです。なぜか。韓国兵に1度レイプされ“汚された”ベトナム人女性は、仲間たちに“公正なゲーム”とのレッテルが貼られ、またレイプしても問題なしという扱いを受けたというのです。

 そのため、ンガイさんは再びレイプされてしまいます。

 「私の最初の子供の父親は韓国に帰りましたが、赤ちゃんのことを調べると偽り、別の韓国兵が我が家に送り込まれてきました。彼は私を引っ張り、床に強く叩(たた)き付け、レイプしました。彼も韓国に帰国。私はもう1人の娘を出産。毎日、泣きました」



 そして信じがたいことに、ンガイさんは翌年、彼女の居場所を同僚から聞いた別の韓国兵にレイプされてしまうのです。「3度目のレイプのあと、私は本当に傷つき、悲惨な気持ちになりました。誰も信じられなくなりました」

 自分でレイプしておいて“汚された女”とのレッテルを勝手に貼り、その後は別の奴らが寄ってたかってレイプ。人間の所業ではありませんね。

 ンガイさんは訴えます。「韓国政府はベトナムの女性にしたこと全てについて、謝罪すべきだと思います。私たちの国は過去の歴史において、(ベトナム戦争のような)多くの出来事を経験しましたが、今もなお苦しんでいるのはライダイハンです」

 このインディペンデント紙は他にも、当時、韓国兵にレイプされ、妊娠・出産した2人女性の恐ろし過ぎる体験や、うち1人の息子(44歳)がライダイハンとしてこれまでに受けた差別についての当人たちの証言を報じています。

「大戦中の日本の行為より、1970年代のベトナムでの残虐を調べる方が簡単なはずだ」

 そしてこの記事の読者コメント欄には「彼ら(韓国側)は日本に対しては、第二次世界大戦中に慰安婦だった女性たちに対し、補償や謝罪以上のことを求め、強く抗議してきたが、私は、韓国が、1970年代に起きたこうした出来事について調査するのはより簡単なはずなのに、こうした彼女たちの告発を決して認めないということが信じられない」というように、自分たちがベトナムで犯した残虐行為は徹底無視し、日本には「性奴隷にするため女性を拉致したという明確な証拠はない」(別の投稿より引用)にも関わらず、日本政府に慰安婦への補償や謝罪を求めたり、この問題をめぐって反日キャンペーンを展開したりすることへの疑問が示されています。



 しかし、韓国政府は、自分たちに都合の悪いこの問題については相変わらず徹底無視です。

 実際、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は11月12日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)出席のため、初めてベトナムを訪問しましたが、ベトナム戦争時のこうした残虐行為については滞在中、触れませんでした。

 とはいえ、タイムズ紙ガーディアン紙などと同様、英の高級紙(今はオンライン新聞)の一角を占めるインディペンデント紙がこの問題を報じたことで、欧米でも韓国政府の不誠実ぶりが知れ渡り始めています。

 実際、本紙既報の通り、ベトナム戦争に派兵された韓国軍兵士がベトナム女性をレイプするなどして「ライダイハン」と呼ばれる混血児が生まれた問題で、「暴行の犠牲者になった人たちを救おう」と、英国の民間団体「ライダイハンのための正義」が9月に設立されました。



 話は最初に戻りますが、ドナルド・トランプ米大統領を招いたさきの晩餐会を反日一色に演出したのは、こうした動きの活発化に対する焦りからではないかと思うのです。(岡田敏一)

     ◇

【プロフィル】岡田敏一(おかだ・としかず) 1988年入社。社会部、経済部、京都総局、ロサンゼルス支局長、東京文化部、編集企画室SANKEI EXPRESS(サンケイエクスプレス)担当を経て大阪文化部編集委員。ロック音楽とハリウッド映画の専門家。京都市在住。

     ◇

 ■毎週、日本を含む世界のエンターテインメントの面白情報などをご紹介します。ご意見、ご要望、応援、苦情は toshikazu.okada@sankei.co.jp までどうぞ。

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【関連ニュース】慰安婦、虐殺、強姦…隠蔽『韓国』国定『被害者マゾ』歴史教科書に、ベトナム激怒

171218(6)で紹介している。

http://www.sankei.com/west/news/171124/wst1711240004-n6.html

 

 

この女性ははじめは、馬韓国軍の指揮官に強姦されている。そしてその件が部隊で言い伝えられていたようで、(多分その部隊の馬韓国兵に)あと2回も強されている。そしてこの論考を読む限りでは、彼女は馬韓国兵の子供を3度も身ごもってしまったのである。最初の2人は女の子で3度めの子は男の子のようで、彼等たちのその後の人生は、ライダイハンとしてきっと惨めな人生を送っていることと推察する。これから幸多かれと祈らざるを得ない気持ちとなるが、馬韓国兵たちのこの傍若無人な振る舞いに対して、最大級の怒りを禁じえない。馬韓国人の仕打ちに対しては、怒り心頭とならざるを得ない。だから「滅びよ、韓国」であり、そのことに言及しない「文在寅」は地上最大の空(うつ)けなのである。

 

この記事にもあるように、

 

自分たちがベトナムで犯した残虐行為は徹底無視し、日本には「性奴隷にするため女性を拉致したという明確な証拠はない」(別の投稿より引用)にも関わらず、日本政府に慰安婦への補償や謝罪を求めたり、この問題をめぐって反日キャンペーンを展開したりすることへの疑問が示されています

 

と言う疑問と言うよりも言いしれない怒りが湧いてこざるを得ない。

(続く)

うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(18)

【エンタメよもやま話】韓国兵は3回も私を襲った…ベトナム戦争の残虐を英紙が報道、欧米で怒り・驚き噴出

2017.11.24 12:00

団体設立イベントで披露された「ライダイハン像」(岡部伸撮影)

 

ベトナム戦争時に韓国兵から受けた暴行や性的虐待の被害者たちの声を赤裸々に報じた英紙インディペンデント(電子版9月11日付)
ベトナム戦争時に韓国兵から受けた暴行や性的虐待の被害者たちの声を赤裸々に報じた前の写真へ英紙インディペンデント(電子版9月11日付)


 さて、今週ご紹介するエンターテインメントは、外交の場で露骨な日本への嫌がらせを展開した、ちっとも進歩がないあの国に関するお話でございます。

 既にご存じの方も多いと思いますが、韓国大統領府で117日の夜ドナルド・トランプ米大統領を招いた晩餐(ばんさん)会が催されたのですが、何とそこに慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)さん(88)が出席。トランプ大統領と抱擁を交わしたのです。

 おまけに、その晩餐会のメニューに、韓国が不法占拠を続けている竹島島根県隠岐の島町)近海で捕れた「独島(竹島の韓国での呼称)エビ」の和(あ)え物をふるまったのです。

 李さんは韓国の大統領府が招待したのですが、慰安婦問題をめぐっては国内外での慰安婦像の設置に関わり、2015年の慰安婦問題をめぐる日韓合意も破棄するよう強く求めていることで知られます。

 そして「独島エビ(甘エビの一種)の和え物」についても、大統領府が晩餐会に先立ち、こんなメニューがあるとばかりに、わざわざ発表したのでした。

 就任後、初めて韓国を訪問するトランプ米大統領を歓待する場を、なぜ反日一色に染める必要があるのか、普通ならサッパリ理解できませんが、記者にはひとつ、思い当たるフシがありました。

 欧米の音楽や映画にとどまらず、国際政治や経済、IT(情報技術)、動物愛護、環境保護UFO&地球外生命体騒ぎに至るまで、国内外を騒がせるニュースをすべて”エンターテインメント”ととらえ、他のメディアと違った視点でご紹介する本コラム。

 なので、韓国と慰安婦絡みの問題も「韓国軍が数千人ベトナム女性を強姦し、慰安婦にしていた…米国メディア『日本より先に謝罪すべきだ』」(今年120日付)と「慰安婦、虐殺、強姦…自軍の犯罪を隠す『韓国』 国定『被害者マゾ』歴史教科書、ベトナム激怒」(今年46日付 )でご紹介したのですが、この中でご説明した、ベトナム戦争1960年代後半から70年代初め)時、米の同盟軍としてこの戦争に参戦した韓国軍が犯した極悪非道の行為に最近、とうとう欧米からも非難の声が上がり始めているのです。


【関連ニュース】韓国軍が数千人ベトナム女性を強姦し、慰安婦にしていた…

http://www.sankei.com/west/news/170120/wst1701200001-n1.html

【関連ニュース】慰安婦、虐殺、強姦…自軍の犯罪を隠す『韓国』国定『被害者マゾ』歴史教科書

http://www.sankei.com/west/news/170406/wst1704060007-n1.html

 というわけで、今回はそのお話について、しっかりご紹介したいと思います。

    ◇   ◇

「韓国兵3人が次々と…私は3回も出産させられた」

 この記事を見つけたときは驚きましたが、読み進めるうち、驚きは嫌悪感から怒りに変わりました。

 今年の9月11日付の英紙インディペンデント(電子版)です。見出しはこうです。「戦時下でレイプされたベトナムの女性たちは、生涯受ける苦痛と損害に対する裁きを求めている



 以前の本コラムでご説明したように、ベトナム戦争時、米の同盟軍としてこの戦争に参戦した韓国軍が13歳から14歳(の女性)を含む数千人のベトナム女性に対し激しい強姦または性的暴行を行い、その残虐行為によって多くの女性が妊娠・出産。彼女たちが産んだ混血児(ライダイハン、Lai Dai Han )が現在、ベトナムには5000人から3万人存在しています。

 前述のインディペンデント紙の記事は、そんなベトナムの被害者女性たちの生々しい声を拾い集めているのです。

 最初に登場するのは、ライダイハンの男性、トラン・ダイ・ナットさんです。1975年4月、彼が5歳の時、ベトナム戦争が終わったのですが、彼は当時をこう振り返ります。

 「私はまだ若過ぎて、自分のアイデンティティーを感じることはできませんでした。そして、母に、なぜ私が他のベトナムの子供たちと違って見えたのかについて、まだ疑問を持っていませんでした」

 「しかし、共産主義者が勝利を宣言したとき、私に関する全てが変わった。突如、私は危険なほど(他の子供たちと自分が)違っていることを知りました」

 ナットさんは学校で虐(いじめ)められ、苦しみました。「私は繰り返し、虐められました。他の子供たちは、私の父が誰かを尋ね続け、彼を「犬」と呼びました。私は黙って耐えるしかありませんでした」

 「私が18歳の時、母は私の前に座り、韓国兵にレイプされたと明かしました。1度ならず、3度も。だから私と、私の2人の女兄弟の3人が混血であり、ライダイハンなのです」

 ナットさんの辛い告白を紹介したあと、このインディペンデント紙はこう説明します。

 <韓国がベトナム戦争に関与した話は、ほとんど知られていない

 <韓国軍の部隊はベトナムの)民間人女性を単独で搾取するだけでなく、彼らの国は(レイプの被害者たちの)告発を決して認めず、(事実の)調査のための措置を取らなかった


(続く)

うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(17)

次は20156月号のSAPIOの記事である。

 

 

ベトナム憲兵慰安所10代少女が韓国軍の相手していた」

   2015.05.07

 

 ベトナム戦争中、韓国軍が多くの婦女子を強姦・凌辱した事実を本誌は報じてきたが、さらにこのほど発見された米公文書により、ベトナムに「韓国軍慰安所」が存在していたことが判明した。韓国政府が沈黙を守る中、フォトジャーナリストの村山康文氏と本誌取材班はベトナムに飛び、その隠された史実を探った。村山氏がレポートする。

 * * *

 書簡が作成されたと推定される1969年当時サイゴンには韓国軍ベトナム司令部が置かれ、海軍輸送戦隊の「白鴎部隊」や空軍支援団の「銀馬部隊」をはじめとする多数の韓国兵が駐留していた。その数は、8年間で延べ2万人に上る。またサイゴンは前線で戦う兵士の休息地でもあったため、夜の歓楽街は連日、軍服姿で闊歩する韓国兵で賑わっていたという。

 書簡で指摘された旧サイゴン市内のトルコ式浴場は食堂に姿を変え現存していた。当時からこの付近に住む、南ベトナム政府軍憲兵のグエン・ゴック・ビンさんはこう証言する。

 「この地域に軍服姿の韓国兵が増え始めたのは1968年ごろからで、ほぼ同時期に浴場がオープンしました。建物はベトナム人女性が所有していましたが、彼女と親交のある韓国軍幹部と思しき人物が譲り受け、浴場を開業したのです。当時、私は南ベトナム政府軍の兵士として米・韓両軍と連絡を取り合う立場にあったので、浴場が出来た経緯はよく覚えています」

 ビンさんの記憶によれば、浴場が営業していたのは1968年から1973年の半ばまで。これは19733月に撤退した韓国軍のサイゴン駐留期間とほぼ重なっている。韓国軍幹部が経営に関与していたのであれば、浴場は米書簡の指摘どおり「韓国軍による慰安所」だったと言って差し支えないだろう。ビンさんが続ける。

 

 「韓国兵は夜になると米軍のMP憲兵)らとジープでこの辺りを徘徊し、酒を飲み大騒ぎしていました。その勢いで浴場に遊びに行くのです。店で働いていた女性は全部で78人。いずれもベトナムの貧しい農村からやって来た10代の少女でした。

 彼女たちは、毎日のように大勢の韓国兵の相手をさせられていた。乱暴な扱いを受けることもあるらしく、韓国兵のことをとても嫌っていました

 もともと韓国兵の慰安所として作られた浴場は、やがて米兵にも開放されるようになった。米兵が利用する際の料金は38ドルだが、「韓国兵は134ドルで利用できた」とビンさんは証言する。当時の韓国軍2等兵の平均月給は約50ドル。米軍2等兵の月給が約240ドルだったことを考慮しても、韓国兵が優遇されていたことは明白だ。

 さらに取材を進めると、旧サイゴン市内の各所で韓国軍の乱れ切った風紀を物語る証言を得ることができた。当時を知る住民が語る。

 「浴場から約1km離れた場所には、米軍MPの施設がありました。その鼻先には売春斡旋を目的とするバーが建ち並び、韓国兵や米兵が入り浸っていた。

 付近の『ブイ・ヴィエン通り』と呼ばれる歓楽街は売春婦のたまり場で、バーから連れ出したベトナム人女性を連れ込むためのモーテルもたくさんありました。女性を巡って兵士たちが殴り合う光景を目にしたこともある。遊びに行く前に麻薬を使う者も多く、トラブルは絶えませんでした」

 元南ベトナム政府軍の兵士だったタイン・アン・コンさん(仮名)もこう話す。

 「サイゴンのブイ・ティー・スワン通りは、麻薬を扱う店が軒を連ねていたことから『麻薬通り』と呼ばれていました。休暇のため前線から戻ってきた韓国兵は、空港からここに直行し麻薬を購入、使用してから女性を買いに行くのが恒例でした」

 

韓国兵が女性を求めて繰り出す先は、慰安所だけに止まらなかった。

 「5区にあるホアビン公園は別名『ダイハン(大韓)公園』と呼ばれていました。ここで商売をする女性を漁るため、毎日のように韓国兵が押し寄せたからです。女性はいつも2030人ほどいて、韓国兵の間では『ホアビンの女は質が高い』と評判でした。

 ただし、女性から聞かされるのは韓国兵の悪評ばかり。女性が服を脱ぐ間もなく乱暴に押し倒したり、ことを終えた後に『お前は下手だ』と罵り、金を払わない韓国兵がいたからだそうです」(前出・コンさん)

 ※SAPIO20156月号

 

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150507/frn1505071741013-n1.htm

 

 

馬韓国兵はベトナムでは、乱暴狼藉を働いていた様だ。「・・・様だ」ではなくて、将にベトナムではやりたい放題の乱暴狼藉を働いていたのだ。

 

ベトナムでの韓国兵の残虐さは、9/11付けでイギリスのインディベンド紙でも報道されている。

(続く)

うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(16)

この調子だと、馬韓国は自国の汚点を世に晒されたくないために、今後ますますこの慰安婦像を世界中に展開するものと考えて、強烈に反撃しなければならない。2011年に挺対協が水曜デモ千回を記念して、日本軍の慰安婦として日本大使館前に設置し始めたものが最初である。今は、この少女像を世界のあちこちに設置して、そこに世界の目を向けさせて、ライダイハンと言う自国の汚点を拭い去ろうと使われ始めるのではないのかな、そんな風にも考えられるのである。

 

こんなことで日本は貶められていては、その恨み骨髄に徹する。日本は国を挙げて、馬韓国に怒りをぶつけなければならないのである。

 

馬韓国を消し去るくらいの強さで、怒りをぶつける必要がある。2002年に米軍ジープにはねられた2人の少女像も作成されたが、アメリカの力の前にうやむやになっているようだから、日本は毅然と馬韓国をねじ伏せる必要がある。

 

馬韓国は弱いと思われる相手には強く出る馬鹿な国だ。だからベトナムが弱い国だと言うわけでもないがその混乱に乗じて、馬韓国軍はベトナムでは、若い女性をかどわかしたりさらったりして軍のために慰安所を経営したのではないのかな。

 

そんな事実は、SAPIOと言う雑誌でも何度か報道されている。

 

 

韓国軍がベトナムで働いた婦女子への性暴行 現地からの報告

2014.07.12 16:00

 

 韓国軍によるベトナム戦争中の大量虐殺事件は、現代史の一大汚点である。韓国軍はベトナム全土で、100か所、推計1万人から3万人の大量虐殺事件を起こしている。

 韓国軍が行なった戦争犯罪は民間人虐殺だけではない。彼らは行く先々で婦女子への性暴行を働いた。凌辱の末に殺害された者、韓国兵の子供を身ごもる者もいた。ベトナムの大地には犠牲となった女性たちの慟哭が埋もれている

 韓国軍が繰り返した蛮行の実態を、フォトジャーナリストの村山康文氏がレポートする。

 * * *
 ベトナム南部の大都市・ホーチミンから列車と陸路で16時間。国道1号線を北上すると、南シナ海に面したフーイエン省・ドンホア県に到着する。

 国道沿いには水田が広がり、水牛が田畑を耕していた。この長閑な田舎町の風景が地獄絵図と化したのは1966年、韓国軍の駐留が始まった直後だった。

 地元紙『フーイエン新聞』のファン・タン・ビン編集長が語る。

19661968年にかけて、韓国軍はフーイエン省の海側のほぼ全域に駐留していました。ドンホア県をはじめ、フーイエン省には韓国軍による虐殺現場が点在しています」

 ビン編集長が纏めた「韓国軍による虐殺の実態調査報告書には、韓国軍の蛮行の数々が収録されている。

ベトナム旧正月に当たる1966218日、フーイエン省内の基地を移動する韓国軍が道中にあるホンドア村を襲った。韓国兵たちは村人30人を1か所に集め、若い女性を強姦した。その後、村人は銃で皆殺しにされ、井戸に放り込まれた」

「トゥイホア市のホアドン村では、シエンという名の少女が10人の韓国兵に輪姦された。彼女はその後殺害され、ナイフでバラバラに切り刻まれた」

 本誌が取材を進めると、省内のいたるところに虐殺の爪痕が残されていた。ドンホア県のホアヒエップナム村では、19661月と5月の2回に亘って韓国軍による殺戮が行なわれた。当時11歳だったグエン・ティ・マンさんが振り返る。

12日の攻撃では37人の村人が殺されました。村の男たちは捕まれば確実に殺されるので、ほぼ全員が逃げました。

 まさか、残った女と子供に手を出すとは思わなかったのでしょう。しかし、韓国兵は女と子供ばかりの村人を整列させ、1人ずつ撃ち殺していったのです」

 514日の攻撃では村人47人が犠牲となり、親きょうだい、親戚を皆殺しにされ孤児となった子供もいたという。

SAPIO2014
8月号

http://www.news-postseven.com/archives/20140712_265319.html

(続く)

うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(15)

韓国国家として意思

「『休息期間』でサイゴンに滞在する韓国兵時期や季節によってばらつきがあり ました。

こため、そもそも韓国兵専用として設立された施設ですが、韓国兵数が少ない 時期に、友軍兵士も受け入れるようになっていったです」

私が投げかけるあらゆる質問に対して、フィンライソン氏答え簡潔かつ明快だっ た。

そしてそ解説、それまでに読み込んだ公文書内容や関係者から聞き取りと、 ぴったりと一致していた。

フィンライソン氏へ一時間半に渡るインタビューを終え、私一年三カ月に及んだこ取材を通じて抱えていたいくつか疑問が氷解していくを感じた。 もちろん、韓国軍による慰安所設置経緯、規模、運営実態など、今後解明されなければならない事多い。

しかしベトナム戦争当時サイゴンに「都市型慰安所」とでもいうべき、これまで知られていなかった韓国軍施設が存在したという点について、もや疑いがなかった。

、韓国軍慰安所運営について、ベトナム人々どう受け止めるだろうか。 南ベトナム政府元官僚で現在ワシントン郊外に住むグエン・ゴック・ビック博士に話を聞く事ができた。

ビック博士と、昨年夏ワシントンで開かれたベトナム戦争五十周年記念フォーラムで出会った。

中部港湾都市ダナンで生まれサイゴンで育ったビック博士ベトナム戦争が本格 化する直前五八年にアメリカに渡り、コロンビア大学京都大学などに留学した後、 複数アメリカ大学で教鞭をとったアジア文学研究者だ。

ベトナム戦争韓国軍による虐殺など蛮行について詳しく知っていたが、慰安所知らなかったという。

ビック博士小柄で白髪温厚な紳士だが、問題書簡を読んでもらうと見る見る顔 つきが厳しくなった。

「犯罪や酷い行為が行われたならば、それ日本人だろうが韓国人だろうがベトナ ム人だろうがアメリカ人だろうが、悪いものは悪いです」

アメリカ在住ベトナム人団体議長も務めるビック博士ベトナム人について「二千年前出来事でも昨日ことように話す民族」であるという。

「韓国軍がベトナム人に対して酷い事をしたであれば、ベトナム人うやむやにすること絶対にできません」

「我々良心に従って韓国と向き合い、調査し、交渉をして、白黒っきりつけなければならない。

真実が分からない限り、いつまでも問題解決しないし、国家間関係を害すること になる」

ビック博士が最も強調したが、慰安所設置に踏み切った、韓国国家として意思 だ。

「一部不良がやっていた違法行為でなく、韓国政府が政策としてやっていたなら、 看過されるべきでない。

国家が関与したであれば、決して正当化する事できないです」

「軍規律維持」と「性病防止」ために、韓国政府と韓国軍が組織的に慰安所を設置、運営したであれば、そこに明白な国家意思が存在することになる。 そしてそ構図、韓国政府が繰り返し厳しく批判する日本軍慰安所と全く同じ だ。

だがそれもそのはず、当時大統領・朴正熙日本陸軍士官学校を卒業し、太平洋戦争で日本軍兵士として満州各地を転戦した経歴を持つ。

それだけに、日本軍慰安所仕組みと機能を熟知していた。

また、問題書簡を受け取った蔡命新司令官、六一年に朴正熙がクーデターを起 こした直後に幹部に抜擢した、腹心中腹心だ。

蔡命新、九四年に執筆した自叙伝『死線幾たび』中で、朝鮮戦争当時韓国軍が慰安所を運営していた事実を認めている。

朝鮮戦争休戦後、わずか十年余でベトナム戦争に参戦した韓国軍が、ベトナムでも慰安所を運営するのはごく自然な成り行きだっただろう。

朴正熙と蔡命新という政軍両トップ存在があったからこそ、ベトナム戦争でも韓国軍が慰安所運営に踏み切ったともいえる。

一方、朴正熙娘である朴槿恵大統領、私渡米後も、日本軍慰安所について 国際社会で厳しく糾弾し続けた。

昨秋国連総会で、世界に向けてこう演説した。

「戦時女性に対する性暴力、時代、地域を問わず、明らかに人権と人道主義に反する行為だ」

ベトナムに韓国軍慰安所が存在したことがアメリカ公文書によって明らかになっ た今、朴槿恵大統領自ら発した言葉に自ら応える義務を負った。

彼女が慰安婦問題を、反日を煽る内政や外交ツールでなく、真に人権問題として捉えているであればサイゴンで韓国兵相手をさせられたベトナム少女に思 いを致すだろう

何人少女が、どような経緯で慰安婦にされたか。

意に反して慰安婦になる事を強いられた女性いなかったか。

どんな環境で働かされたかなど、率先して調査するだろう。

韓国慰安婦に対して行ったと同じように。

そして、韓国軍慰安所と日本軍慰安所、どこが同じでどこが異なっていたか調査 し、それぞれ慰安所何が問題で何が問題でないか検証するだろう。

こうした公正な姿勢によってみ、日韓両国慰安婦問題が整理され、両国が真和解に向かう礎が生まれると私信じる。

しかし、もし韓国政府がこ問題を黙殺したり、調査もせず否定したりするなら、彼らこそ都合悪い事実に背を向け、歴史を直視しない国家である事を、国際社会に対し て自ら証明する事になる …転載終り…

 

結構長文ですが、お読みいただいてありがとうございました、以後経緯を見守りま しょう、韓国未来を左右しかない大問題だと思います。

朴大統領ベトナムを訪れた時、ベトナム戦争中に南ベトナムに派兵された、韓国兵が犯した婦女暴行や住民虐殺へ謝罪一切していない。

「過去を直視する勇気と相手痛みに対する配慮がなければ未来を開く信頼を重ていくこと厳しい」などと抜け抜けと言い放っているが、行動伴っていない、民主主義国家として常識に欠ける大統領と国こと、他国責めるが自国ことに無反省、これを貫くか? (29,Mar,2015 記)

http://www.inv.co.jp/~ike/00-SXA_133.pdf



この 「週刊文春2015 4 2 日春特大号のこの記事に関しては、韓国でもかなり話題となり次のような反応があった。「腹立たしいが反論は困難」だと愚痴るだけで、全くの反省も謝罪の気持ちもないようだ。全くの他人事である。それから日本に対しての捏造された「慰安婦問題」に対する非難に対して、何の言及もない。少なくとも「慰安婦像は止めよう」などと言う発想は、提案されていないようだ。だから馬韓国、4等国なのだ。

 

 

韓国メディア「腹立たしいが反論は困難」 文春“ベトナム韓国軍慰安所”報道

2015.10.17 20:55


韓国軍慰安所の存在をスクープした週刊文春のリポート

 韓国軍がベトナム戦争中に、サイゴン(現ホーチミン)に「慰安所を設けていた-という「週刊文春」のスクープ記事の余波が、韓国国内で広がっている。同国メディアが、朴槿恵(パク・クネ)政権に対し、軍による慰安所運営の実態を調査するよう注文をつけたのだ。自国の恥部を、明らかにできるのか。(夕刊フジ)

 「週刊文春の『韓国軍トルコ風呂』報道、腹立たしいが反論は困難…」

 ハンギョレ新聞(日本語電子版)は425日、こんな神妙なタイトルの記事を掲載した。問題としたのは、同誌42日付春の特大号に掲載された、TBSの山口敬之ワシントン支局長(当時)による衝撃リポートだ。

 文春記事は、山口氏が米国で発見した公文書に「韓国軍による韓国兵専用の慰安所」の存在が明示されていたという内容で、これを裏づける元米軍海兵隊幹部の証言なども盛り込まれている。

 朝日新聞が大誤報を認めたことで、日本の慰安婦問題の核心(強制連行)は崩壊している。それでも、韓国が「解決」を求め続けていることを念頭に、山口氏は「もし韓国政府がこの問題を黙殺したり、調査もせず否定したりするなら、彼らこそ都合の悪い事実に背を向け、歴史を直視しない国家であることを、国際社会に対して自ら証明することになる」とリポートを結んでいる。

 ハンギョレは「腹立たしくはあるが反論しにくい主張だ」と指摘し、韓国政府に対して「慰安所の運営・管理に軍当局がどこまで介入したのかなどを明らかにするための調査と後続措置に乗り出さなければならない」と促しているのだ。

 夕刊フジで「新・悪韓論」を連載する、ジャーナリストの室谷克実氏が背景を分析する。

 「私の知る限り、文春報道を取り上げた韓国メディアはハンギョレだけだ。同紙は韓国内では左派メディアと位置づけられており、軍に対して批判的な報道が目立つ。『アンチ軍』の立場から文春のスクープに飛びついたのだろう。一方、他の韓国メディアの中には『軍と対立したくない』という空気が強く、ハンギョレの報道を追いかける可能性は低い

 ハンギョレはこれまでにも、韓国の恥部といえる、韓国軍によるベトナム民間人虐殺疑惑や、「基地村女性」「洋公主(ヤンコンジュ)」などと呼ばれた米軍慰安婦の問題を取り上げてきた。

 今回の報道が、政府や軍への本格的追及につながるとは考えにくい。ただ、報道がなければ「韓国の人々は、軍の慰安所に言及した公文書の存在を全く知らされなかった」(室谷氏)だけに、その意義は大きいといえそうだ。

http://www.sankei.com/world/news/150513/wor1505130021-n1.html

 

 

このTBSの山口敬之ワシントン支局長(当時)の2015.3月のスクープ(韓国軍はベトナム慰安所を経営していた)は、韓国の左派メディアのハンギョレだけが取り上げていただけだと言う。やはり、馬韓国と馬韓国人は、この問題に頬被りするつもりの様だ。と言ってもこのスクープは2015.3月末のもので、現時点(2017.12)は既に3年近くになろうとしているが、馬韓国では全く話題にはなっていないのだから、完全に頬被りだ。


(続く、よいお年をお迎えください)

うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(14)

サイゴン「韓国軍慰安所

そして七月二十五日深夜。

誰もいない支局小部屋で、いつもように犯罪記録公文書を一枚一枚剥ぐように読み込んでいると、一通書簡に行き当たった。

書簡サイゴン(現ホーチミン市)アメリカ軍司令部から、同じくサイゴン韓国軍司令部に送られたもだった。

宛先ベトナム駐留韓国軍最高司令官・蔡命新(チェ・ミュンシン)将軍だ。 こ書簡に日付記載がなかったが、年代順に整理された他公文書や記載内容を基にした関連取材で、六九年一月から四月間に書かれたもと推定された。 書簡主題、韓国兵が関与した経済事件に関するもで、不正な通貨を用いて米軍軍需物資が大量に横流しされていると指摘されていた。

一連犯罪行為舞台うち一つが、サイゴン市中心部にあったという「The Turkish Bath」(トルコ風呂)だ。

「トルコ風呂」について書簡、「売春行為が行われていて、ベトナム人女性が働 かされている」と説明している。

そして、主題である通貨不正事件捜査ために、米軍とベトナム通関当局が共同で家宅捜索を行って、そ結果を、次ように記していた。

施設韓国軍による、韓国兵専用慰安所Welfare Centerである」(The Turkish Bath was a epublic of Korea Army Welfare Center for the sole benefit of Korean Troops.

驚いて何度も読み返したが、米軍司令部がこ施設を「韓国軍韓国兵ため慰 安所」であると捜査に基づいて断定している。

そして、米軍司令部韓国慰安所と指摘するにあたって、二つ根拠を示して いた。

まず、押収資料中から、韓国兵福利厚生を担当する特務部次長任にあった韓国軍大佐署名入り書類が見つかり、そ書類に韓国軍による韓国兵専用慰安所であると示されている事

さらに、家宅捜索でこ施設から押収された物資について、韓国軍幹部がベトナム税関当局に対し返還を求める書類を提出した事実を、対して、経済犯罪に関わった疑 いある大佐や中佐など、韓国兵六名実名を通報した。

友軍司令官に部下犯罪行為を指摘する書簡だけに、そ文章捜査と証拠に基づいていて隙がない。

今回、米国公文書によって初めてそ存在が明らかになった、サイゴン「韓国軍慰安所」と、一体どように運営されていただろうか。

すぐにでもベトナムに飛んで現地取材をしたかったが、ワシントン支局長という立場上長期間アメリカを離れる事難しい。

そこで私当時サイゴン風俗事情に詳しい人間がアメリカにいないか、そしてできれば問題施設そを知る人物がいないか改めてリサーチを開始した。

まず、当時米軍関係者とベトナム系アメリカ人に照準を絞って、アメリカにおけるベト ナム関連ネットワークを探した。

関連フォーラムに出席したり、米政府退役軍人省データベースを調べたりして、連絡先判明した関係者に虱つぶしに手紙や E メールを送った。

また、サイゴンに住んだ経験ある人証言を得る為、ワシントン郊外バージニア州 ベトナム人集住地区新聞に情報提供を求める広告を出した。

すると、ほどなくして広告を見たアメリカ人から E メールが来た。

ハンス・イケス氏(70)。

六〇年代後半にアメリカ通信インフラ会社からサイゴンに派遣され、そ後数年間にわたってベトナムとアメリカを往復したというイケス氏、今バージニア州東部で年金生活を送っている。

若くして訪れたサイゴン印象が強烈だったという事で、当時様子を饒舌に語 ってくれた。

しかし、トルコ風呂について質問が及ぶと、周りを憚るように声を潜めた。

「『トルコ風呂』、当時サイゴンにいた人間で、『射精パーラー』(Steam and Cream Parlor)と呼ばれていました。

若いベトナム人女性から性的サービスを受けることが出来たからです」

サイゴン駐在経験ある米軍OB 、匿名を条件に次ように証言した。

「トルコ風呂で働いているほとんどが二十歳未満農村部出身少女だった。 十六歳だと語る人もいたし、もっと若く見える女子もいた。

素朴で華奢な少女達に夢中になる兵士も多く、彼ら周りからYellow Fever(黄熱病) と揶揄されていた」こうした証言を通じて、当時サイゴントルコ風呂が、かつて日本と同じく売春施設別称であった事明らかになってきたが、問題韓国軍慰安所を知っている人物なかなか辿り着けなかった。

そして、作業を続けて半年程経った頃、ベトナム戦争を戦った経験ある米軍 OB から E メールが送られてきた。

アンドリュー・フィンライソン氏(71)。

海兵隊歩兵部隊長として六七年から二年八カ月に渡ってベトナム戦争を戦い、サイゴンじめ南ベトナム各地を転戦。

退役後紛争地域軍事顧問団として活躍し、ベトナム戦争に関する著作も発表している研究者だ。 早インタビューを申し込むと、快く応じてくれた。

 

「休息と回復期間」兵士

朝晩冷え込みが厳しくなってきた昨年初冬、アメリカ東海岸バージニア州小さな ホテルに現れたフィンライソン氏、黒いタートルにジャケットを着た、温厚な容貌紳士だった。

だが、衣服越しにも明らかな分厚い胸板と鋭い眼光が、元海兵隊幹部という肩書きを裏付けていた。

韓国軍慰安所、確かにサイゴンにありました。

よく知っています」そ体躯とうららに、フィンライソン氏語り口、研究者だけあってあくまで知的で静かだった。

南ベトナム各地農村偵察部隊責任者として、韓国軍と連絡調整に従事した経験があり、韓国軍実情に詳しかった。

「米軍司令官が指摘している韓国慰安所と、韓国軍兵士に奉仕するため大きな性的施設です。

韓国兵士にセックスを提供するため施設です。それ以外何もでもありません」

フィンライソン氏によれば、問題施設、トルコ風呂としてかなり大規模なもだっ たという。

後取材で、施設が入っていた建物が今なお現地に存在する事が確認され、問題施設が隣接する二つビルを合わせて一つ施設として一体的に運営されていた事や、通り向かい側にも別棟があるなど相当な規模で運営されていた事がわか った。

しかし、フィンライソン氏によれば、サイゴン市内別場所に、これよりもさらに大 きい慰安所があったという。

これら施設、内部が多くブロックに分かれていて、一区画に二十人前後ベト ナム人女性が働かされていたという。

韓国軍が、なぜサイゴン市内に大規模な慰安所を作らなければならなかったかを尋ると、フィンライソン氏即座にこう答えた。

韓国兵がベトナム人女性をレイプしたり、個別に性的関係を持ったりするを防ぎたかったからです。

また、韓国軍将校が農村で女性を売春婦として囲う恐れもあり、こうした行為ベトナ ム社会と韓国兵間で政治的トラブルに発展する危険性がありました」「また軍にとっ て性病も重大な懸念でした。

慰安所ならば慰安婦健康を管理できます。

当時南ベトナムで性病が深刻な問題になっていて、特に梅毒が蔓延していました」 ベトナム戦争当時、一定期間前線で戦った韓国軍兵士、「休息と回復期間(est & ecuperation)」として戦地を離れ、サイゴンで休養する事を許された。 こ「静養中」韓国兵がサイゴンや近郊農村でトラブルを起こしたり、性病に罹っ たりしないよう、韓国軍が韓国兵ため慰安所を、サイゴン市内に設置したというだ。

韓国兵士相手をさせられたベトナム人慰安婦、どんな女性たちだったか。

フィンライソン氏、そほとんどがベトナム各地農村出身少女だったと証言し た。

「こうした売春施設で働いている女性ほぼ例外なく農村部出身きわめて若い女性でした。 彼女達が施設に来た理由様々です。

貧困ために家族に売られてきた少女もいたし、自ら意思で来た女性もいた。

彼女たち、職を失って慰安婦となった。

騙されて連れてこられた女性も当然いたでしょう」

書簡に、こ施設韓国兵専用慰安所として設立されたが、米軍など友軍兵士も特別に利用する事ができ、そ場合一回につき三十八ドルが請求されたと書かれている。

韓国軍慰安所が友軍兵士を受け入れるようになった経緯について、フィンライ ソン氏こう説明した。


(続く)

うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(13)

この馬韓国兵の強姦や虐殺に困った韓国軍は、ベトナム各地に大規模な「慰安所」(公設の売春宿)を建設していったのである。

 

慰安婦を調達するには、馬韓国人は慣れたもので、女性をあちこちから騙したりさらったりして集めた事でしょう。戦時中の事例は先に紹介してあるので、お判りいただけることと思う。

 

馬韓国は日本に対して、ありもしない慰安婦の強制連行などの話を捏造して慰安所に女性を集めていたなどと吹聴し、日本に対して謝罪と賠償を要求して慰安婦と思しき少女像を世界のあちこちに立てているが、ベトナムでの韓国軍による慰安所の設立と運営に関しては、知らぬ存ぜぬを決め込むつもりの様だ。

 

しかしアメリカの公文書館には、その韓国のベトナムでの慰安婦慰安所のことがはっきりの文書として残っていたのである。

 

相当長い文章となるが、それを次に紹介しよう。TBSワシントン支局長山口敬之氏スクープである。2015年のことなので時の大統領の朴槿恵となっているが、現時点では「さあどうする、文在寅」として追求しようではないか。

 

 

 

さあどうする、朴槿恵大統領

 

JJ1XA/  2015.3.29

 

以下に、 「週刊文春2015 4 2 日春特大号から引用「そよ風ブログ」記事を転載させてもらいます。

 

 朝鮮戦争当時、米軍向け慰安婦たち訴訟どうなっているか知らないが、こ記事で「もし韓国政府がこ問題を黙殺したり、調査もせず否定したりするなら、 彼らこそ都合悪い事実に背を向け、歴史を直視しない国家である事を、国際社会 に対して自ら証明する事になる。」と指摘していますが、韓国政府や朴槿恵大統領ど ように対応するだろうか?

まさか、とんでもない話だとして訴訟を起こすようなことあるまいと思うが、あ国こと、そんな「まさか」も無いと言えないが…

「週間文春」、「そよ風ブログ」をご覧になっていない方にぜひ読んでいただきたく、以下に、「そよ風ブログ記事全文を転載させてもらいます。

 

…転載記事全文…

韓国軍にベトナム人慰安婦がいた !

米機密公文書が暴く朴槿恵急所

TB ワシントン支局長・山口敬之)

 

三月二十一日、ソウル。

三年ぶり日中韓外相会談が行われたが、日韓間で慰安婦問題議論平行線を 辿った。

だがもし韓国軍が同様行為を行っていたら――。

公文書館で徹底調査とベトナム現地取材で初めて明らかになるベトナム戦争下 で韓国軍真実。

最初に、TB でワシントン支局長を務めている私が、なぜベトナム戦争当時韓国軍 について取材を始めたかを記しておきたい。



きっかけ、アメリカに赴任する直前二〇一三年初夏、ある外交関係者から聞いた 言葉だった。

日韓関係に長らく関わり、野党時代朴槿恵氏と食事をしたこともある人物だ。「朴大統領就任早々、慰安婦問題で出口ない迷路に入り込んでしまった」

年二月に第十八代大統領に就任した朴槿恵氏、早くも慰安婦問題で日本に強硬な姿勢で臨む方針を明確にしていた。韓国で〇四年に、植民地時代に日本に協力した者を糾弾する「親日・反民族行為真相究明特別法」が成立している。

植民地時代、日本軍将校だった朴正熙元大統領を父に持つ朴大統領、こ法律によって大いに苦しめられてきた。

「父親日イメージを断ち切るかように、日本批判を続ける事が彼女レゾンデート ル(存在価値)となってしまった。 そして、慰安婦問題が朴大統領自ら反日姿勢を証明するツールとなった以上、彼女が自分からこ問題を解決するという選択肢なくなった。

慰安婦問題韓国内政問題となってしまっただ」それで慰安婦問題を 巡る日韓軋轢に出口ないだろうか? 問いに、彼こう答えた。「もしかした ら、あなたがこれから赴任するアメリカに解決ヒントがあるかもしれない」

日韓両国から遠く離れたアメリカに、何があるというか。 「実ベトナム戦争当時、韓国軍が南ベトナム各地で慰安所を経営していたという未確認情報がある。

これをアメリカ政府資料等によって裏付ける事ができれば、慰安婦問題において韓国に『加害者』側面が加わる事になる。

それをきっかけに、朴大統領と韓国国民が頭を冷やし、真摯に慰安婦問題に向き合うようになれば、事態変わるかもしれない」

日韓関係現状を憂うこ人物に背中を押され、ワシントン赴任早々一三年九月から、私全米各地に眠る公文書を探す取材が始まった。

アメリカに国立公文書記録管理局、通称「NAA」と呼ばれる組織がある。

政府公文書や歴史的価値が高いと判断された各種資料を保管する米政府公式機関で、全米三十三カ所に公文書管理施設を持ち、四十億枚紙、三十万本映像、五百万枚地図や統計資料などを保管・公開する世界最大公文書管理組織だ。

ベトナム戦争についても、南北内戦突入(一九六〇年)から米軍全面撤退(七三年)に至る、膨大な公文書や映像資料が保管されている。 六〇年代に本格化したベトナム戦争ソ連や中国など共産主義陣営が支援する北ベトナム側と、アメリカや台湾など自由主義陣営が支援する南ベトナム側が戦った事から「冷戦米ソ代理戦争」と呼ばれた。

五〇年代前半朝鮮戦争で国土が荒れ果て、世界最貧国レベルにまで落ち込んでいた韓国。六三年に第五代大統領となった朴正熙ベトナム戦争復興に向けた千載一遇チャンスと位置づけた。

粘り強い交渉結果、アメリカ政府から派兵規模に応じた補助金支給と、対米移民枠設定を勝ち取り、六五年から本格的に韓国軍を投入

南側で米軍に次ぐ勢力となる延べ三十一万人韓国兵ベトナムに渡った。

ベトナム戦争韓国軍に関する公文書全米各地に点在している。

、ワシントン支局長として日々業務合間を縫って、ワシントン市内や郊外メ リーランド州公文書館、さらに各地米軍基地付属図書館や資料館を訪れたり、 リサーチャーを派遣したりして、関連文書を大量にコピーし、支局に持ち帰って読み込む作業を続けた。

ジョン・Fケネディ大統領(六一~六三年)やリンドン・B・ジョンソン大統領(六三~六 九年)、ロバート・マクナマラ国防長官(六一~六八年)など当時キーマン書簡から、各国外交官や軍関係者メモまで、ありとあらゆる階層様々なやり取りを記 録した公文書から、教科書や歴史書から伝わらない、当時生々しい息遣いが感じられた。

最初に集中的に読み込んだのはホワイトハウス国務省外交文書だ。 そこから判明した、当時アメリカ政府がベトナムにおける韓国兵行状に、相当手を焼いていたという事だった。

韓国兵蛮行記録、本格派兵直後六五年から始まっていた。

戦地で市民虐殺、強姦から、サイゴンなど都市部で為替偽造、物資横流 し、麻薬密売に至るまで、ありとあらゆる犯罪記録が大量に残されていた。

米軍司令部韓国軍司令部に対して繰り返し書簡を送り、違反者訴追と再発防止を求めたが事態悪化一途をたどった。

七〇年に、アメリカ連邦議会下院外交委員会で、韓国軍による残虐行為を追及する特別調査チームが作られる事態にまで発展した。

ただ、これら外交文書多く虐殺や経済犯罪などに関するもで、韓国軍慰安所に関するものはなかなか出てこなかった。

そこで、私リサーチ目先を変えてみた。

韓国兵悪行が問題になっていたなら、犯罪や裁判記録中に何らか手がかりがあるでないかと考えて、一四年春から、ベトナム駐留米軍軍政部軍警察犯罪記録に手を伸ばし、年代順にコピーして片っ端から読み始めた。

そこに、外交文書よりもさらに生々しい強姦、暴行、窃盗、傷害、軍需物資不正取得など、夥しい数韓国兵犯罪が様々な形で記録されていた。


(続く)