日清戦争開始120年に考える。(11)

掘削を実施した「中国海洋石油総公司」とは?


 このような状況では、掘削の開始からベトナム船に体当たりで衝突するまでの中国側の

 一連の行動が果たして、中央指導部の指揮下におけるものであったのかどうか、という疑

 問が当然生じてくるのである。


 ASEAN首脳会議の直前という中国にとって悪すぎるタイミングから考えても、それが東南

アジア諸国の対中国結束を固めることになる結果からしても、あるいは衝突直後の中国外

務省の混乱した対応ぶりからしても、掘削の断行は中央指導部の統一意志の下で行われた


戦略的・計画的な行為であるとはとても思えない
のである。


 だとすれば、今回の断行は、掘削を実施した部門の個別的判断によるものであろうという

可能性も出てくる。それならば、その関係部門は何の目的のために、中国にとって大変不

利なタイミングで大きなトラブルとなるような判断を行ったのか、という疑問が浮上してくる。

そうなるとここではまず、掘削を断行した張本人の中国海洋石油総公司という巨大国有企

業に目を転じてみるべきであろう。


石油閥の正体と激しい権力闘争

 ベトナムとの係争海域で今度の掘削を実施した中国海洋石油総公司。9万8000人以上

の従業員を有するこの巨大企業は、中国国務院国有資産監督管理委員会直属国有企業

である。「国務院国有資産監督管理委員会」とは中央官庁の一つだが、おそらく中国政府

は、採掘すべき石油資源は全部「国有資産」であるとの視点から、中国海洋石油総公司を

この中央官庁の直属下に置いたのであろう。


 それはともかくとして、実は去年の夏から、まさにこの国務院国有資産監督管理委員会

において、驚天動地の腐敗摘発が行われていたのである。2013年9月1日に国営新華社

が伝えたところによると、中国共産党中央規律検査委員会は、国務院国有資産監督管理

委員会の蒋潔敏主任に対し「重大な規律違反」の疑いで調査を始めた、というのである。


 蒋氏は国有石油大手、中国石油天然気集団(CNPC)前会長で、2013年3月に国資委主

任に転じたばかりだった。彼は共産党内では約200人しかいない中央委員も務めており、

2012年11月の習指導部発足後、調査を受けた党幹部では最高位に当たる。


 このような立場の蒋氏に対する汚職調査は当然、習近平政権が進めている「
腐敗撲滅

運動
」の重要なる一環であろうが、ここで注目されているのは、石油畑出身の蒋潔敏氏の

背後にある、「石油閥」という共産党政権内の一大勢力のことである。


 中国でいう「石油閥」とは、蒋氏が会長を務めた中国石油天然気集団という巨大国有企

業群を基盤にして中国の石油利権を一手に握る政治集団のことである。この政治集団の

始祖は、1958年に中国の石油工業相に就任した余秋里氏である。


 中国の建国に貢献した「第一世代の革命家」の一人である余氏は建国の父である毛沢

東からの信頼が厚く、58年に石油工業相に就任してから、中国最大の大慶油田の開発を

仕切って「中国石油工業の父」と呼ばれるようになった。その後も中国経済を取り仕切る国

家計画委員会(国計委)主任や国家エネルギー委員会(国エネ委)の主任などを歴任した。

共産党内で隠然たる力をもつ石油閥の形成はまさにこの余秋里氏からはじまる。


 1999年に余氏が亡き後、彼の後を継いで石油閥の元締めとなったのは元国家副主席の

曽慶紅氏である。2002年からは中国共産党政治局常務委員03年から国家副主席を務

めた曽慶紅氏は、元国家主席江沢民の懐刀として知られていて江沢民政権の要だった人

物であるが、実はこの曽氏は江沢民の腹心となる以前、余秋里氏に仕えていた。


 余氏が国計委主任を務めた時に同委の弁公庁秘書となり、余氏が国エネ委に移ると、

曽氏も同委弁公庁に異動した。そして余氏はその後も中央顧問委員会常務委員などを歴

任して実権を握っていたため、曽氏は余氏の「ご恩顧下」で石油省や中国海洋石油総公

司(CNOOC)で出世した。


 このような経歴から、余氏が死去した時、江沢民の腹心として政権の中枢にいる曽氏は

当然、石油閥の次のボスとなった。そして曽氏自身が政治局常務委員・国家副主席となっ

て権力の頂点に達すると、彼を中心にして石油閥は党内の一大勢力に伸し上がった。もち

ろん、石油閥総帥の曽氏は党内最大派閥の江沢民派(上海閥)の「番頭」的な存在でもあ

るから、石油閥はごく自然に江沢民派の傘下に入って江沢民勢力の一部となった。


 そのとき、石油閥の「若頭」として曽氏が抜擢してきたのが石油畑幹部の周永康であ

る。周氏は中国の石油業界の「聖地」とされる大慶油田でキャリアをスタートして、その後、

石油工業省次官、CNPC総経理、国土資源相などを歴任した。そして2002年に胡錦濤

権が発足するとき、政治局常務委員となった曽氏は周氏を政治局員に推挙した上で警察

を司る公安部長に転任させた。2007年の共産党17回大会では、曽氏は自分の引退と引き

換えにして周氏を政治局常務委員の地位に昇進させた。しかも政法部門(情報、治安、

司法、検察、公安など)を統括する中央政法委員会書記という政治的に大変重要なポスト

に就かせた。


 これで江沢民派・石油閥の党内基盤は盤石なものとなって、胡錦濤政権時代を通して、

この派閥の人々はまさに飛ぶ鳥を落とすほどの権勢を振る舞った。そしてその時、徐々に

老衰していく江沢民にとってかわって、引退したはずの曽慶紅氏江沢民派・石油閥の

陰のボス
となり、現役の政治局常務委員周永康は政権中枢における
派閥の代弁者

の役割を果たしていた。


「腐敗撲滅運動」を手段に

 しかし2012年11月に開かれた共産党18回大会において胡錦濤指導部が退陣して今の

習近平指導部が誕生すると、石油閥はやがて受難の時代を迎えた。18回大会で誕生した

7名からなる新しい政治局常務委員会に、江沢民派・石油閥は4名の大幹部を送り込んで

習氏を取り囲むような形で勢力を固めた。あたかも新指導部が彼ら江沢民派・石油閥によ

って乗っ取られたかのような形勢であるが、それに不満を持つ習氏は今度、前総書記の胡

錦涛氏の率いる「共産主義青年団」と手を組んで、江沢民派・石油閥を叩き潰すための

権力闘争
を起こした。徹底的に潰さない限り、自前の政治勢力の拡大と自分自身の権威

樹立は永遠に不可能であると習氏も分かっているからだ。


 この権力闘争のために習氏の使用した手法がすなわち「腐敗撲滅運動」の推進である。

石油利権という莫大な経済利権を手に入れてうまい汁を吸っているのは他ならぬ江沢民

・石油閥の面々であるから、彼らを倒すのに「腐敗の摘発」ほど有効な手段はない。そのた

めに、習近平は自分の盟友である王岐山という経済部門出身の幹部を畑違いの中央

規律検査委員会のトップ
に据えて、「腐敗撲滅」という名の権力闘争を始めた。


 前述の国務院国有資産監督管理委員会の元主任で石油畑出身の蒋潔敏に対する「汚

職調査」は、まさに石油閥潰しの政治的摘発の一環であるが、習近平氏のターゲットは蒋

潔敏のような「小物」ではない。石油閥大物幹部の周永康はまず標的にされていた。

蒋潔敏氏に対する調査開始はむしろその前哨戦であったと見るべきだ。そして2013年12月

から周永康氏の消息が断ったことから、その時点で彼は既に拘束されていてて取り調べを

受ける身となったと思われる。今年の3月初旬に、一部の中国メデイアがいよいよ「周永康

問題
」について報道し始めたことから、彼に対する取り調べが進んでいる事実が白日の下

に晒された。
(続く)