続・戦後70年談話はヒストリーで!(1)

2015.8.14午後安倍晋三首相は戦後70年の安倍談話を発表した。あの頓馬な村山首相の談話には、「植民地支配」と「侵略」や「痛切な反省」と「心からのおわび」などの文言がちりばめられていた。しかし、ヒストリー・歴史的事実に基づけば、この四つの言葉は、全くの不必要なものである。

 

先の小生のブログ「戦後70年談話はヒストリーで!」は、その根拠を事実に基づいて説明しているので参照願いたいが、その事実をストレートに述べればよいとした小生なりの談話(2015.8.3,NO.44)も紹介している。

 

次にそれを載せるので、ご一読願いたい。本音はこんなところである。


 

戦後70年談話・真相編2015.8.3 ブログ筆者ここに記す)

戦後日本は、一貫して「平和国家」として歩んできました。しかしながらその道は決して平坦ではありませんでした。我々日本国民は、その茨の道を全員で、歯を食いしばって進んできました。命を落とされた先人の築いてくれた礎を土台に、我々は平和で豊かな国を作ってきたことを誇りに思います。

 

しかし平和になった今、来し方古を振り返ってみますと、この世には歴史的事実に反することが多々存在することがわかってきました。このことは我々日本国民として、許すことが出来ません。大東亜戦争で命を落とされた先人達と我々の名誉と誇りを傷つけるものとなっています。それを私の「戦後70年談話」で正してゆきたいと思います。

 

一つ)

 

現在韓国が日本に対して、いわゆる「慰安婦問題」を投げかけています。朝鮮は日本軍が朝鮮女性を強制的に拉致して「慰安婦」にしたなどと、言いがかりを付けてきています。これは吉田清治という共産党員の作り話であったものを、日本の朝日新聞が嘘と知りながらさも事実であるかのように報道したことから広まったものでした。昨今その朝日新聞は、その誤報を訂正しております。

しかしながら朝鮮人女衒による朝鮮人女性の誘拐事件は多々存在し、その事実は朝鮮の新聞「東亜日報」などにたくさん存在しておりますので、もしあるとすればそれは朝鮮国内の問題であり、日本国に向かって突きつけるものではありません。韓国自身の問題です。「河野談話」は虚偽に基づいて作られたものであり、ここで「河野談話」は廃止することにいたします。(わかったか、朴槿恵よ)

 

二つ)

 

更に韓国は、事あるごとに「日韓併合」を植民地支配だと、論(あげつら)っておりますが、これは一概に日本による植民地支配と言われるものではありません。それは韓国の僻みと言うものです。

 

日本は当時の韓国政府の李完用首相の要請と当時のロシアの動きを考えて、やむを得ず韓国を合邦したものであります。決して欧米流の植民地支配をしたものではありません。

その証拠に、日本は1910年から1944年の間に朝鮮に208千万円、今の金に換算して624千億円と言う巨額の金をつぎ込んで近代化を図ったものであり、欧米流の植民地政策では、こんなことはいたしません。収奪するだけです。日本が近代化を図った結果、米穀生産量も二倍となり、朝鮮の人口は2.5倍となったのです。

 

従って現在韓国の言う植民地支配は、韓国政府の捏造以外の何物でもありません。韓国は信用にたる国とはいえません。(わかったか、朝鮮人達よ)

 

三つ)

 

さて次は中国の言う1931年の9.18事変について言及いたしましょう。これは柳条湖で日本の南満州鉄道が爆破された事件であるが、これこそコミンテルンによる満州における日本利権への数々の妨害・侵略のひとつであり、その結果、日本としては防衛せざるを得ませんでした。日本は、満州の平和確保のために自衛の戦いをせざるを得なかったものであり、責任は中国共産党にあります。満鉄爆破の犯人は、未だに誰だか確定していません。証拠も不確かなものばかりです。

 

四つ)

 

1937(S12)89に始まった「第2次上海事変」は、蒋介石軍に巣食っていた共産党員の司令官張冶中が、上海の日本人租界を大挙して攻撃してきたことから発生したもので、その理由は北伐を進めていた蒋介石軍を中国共産軍から、日本に矛先を変えさせるために仕掛けてきたものでありました。結局日本軍は、張冶中軍に対抗するために内地より軍を投入せざるを得ず、日本租界を守り張冶中軍を上海より排除することが出来ましたが、その後も中国共産軍は南京に逃げ込み、日本への攻撃は止むことがなく、通州事件のような日本居留民への虐殺事件を防ぐ意味もあり、日本軍は蒋介石軍と戦火を交えざるを得なかったのであります。南京では張冶中軍は軍服を脱ぎ便衣兵となり、ゲリラ戦を挑んできましたが早々に日本軍は南京を平定し程なく市内は平成を取り戻しております。南京大虐殺などというものは存在しないものであり、それは蒋介石が欧米より支援を受けるために欧米の記者達に作らせた物語だったのです。

だから日中内戦は中国共産党軍により、コミンテルンの策略にそって日本軍が中国内戦に引っ張り込まれてしまったものであり、日本としては防衛戦争だったものでした。侵略戦争などでは決してありません。

 

五つ)

 

このように見てくると、日中戦争と言われるものは中国による日本への侵略であったと言われても仕方がないものでありました。そして他のアジア諸国に対しては、欧米列強の植民地支配に対する戦いであり、決して植民地支配を目的としたものではなかったのであります。その証拠に戦後アジア諸国は悉く独立を果たしていったのです。このことを鑑みてもあの大東亜戦争は国策を誤った侵略戦争などと言われるゆえんのものではないのであり、「村山談話」はその事実と整合しないことは明らかであります。そのためここに「村山談話」は否定し、廃止することにいたします。

 

このように日本に対する誹謗・中傷を排除し、日本は大東亜戦争の事実を正確に評価し、今後とも自由陣営の一員として、未来志向で世界平和に貢献して行きたいと思っております。

 

そして「村山談話」も、間違っている部分を修正しておいたので、参考のためにそれも載せてみる。読み比べて見れば、一層ヒストリーがはっきりとする。

 

頓馬な村山富一の「村山談話」をヒストリーに基づき、添削する。

 

『・・・・・


いま、戦後50周年の節目に当たり、我々が銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 

このあとはヒストリー・歴史的事実と全く異なったものとなっているので、その訂正文を示す。

青字が追加された文章である。二重線は削除を示すが、もともとの村山談話は青字でない部分をつなげて続けて読めばよい。たとえば わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ・・・ となる。

 

わが国は、遠くない過去の一時期、列強による大東亜隷属化政策による侵略搾取の桎梏を開放して自存自衛を全うし共存共栄の大東亜を建設しようとする国策により国策を誤り欧米列強との大東亜戦争を戦いました。戦争への道を歩んでしかし日本は敗戦により国民を存亡の危機に陥れてしまいましたがその結果多くのアジア諸国が列強の植民地支配と侵略から開放され独立を果たしてゆきました。によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、大東亜戦争を戦った先人達の功績を正当に評価し、この歴史がもたらした内外すべての偉大な犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。そして戦後日本は、大東亜の諸国と共に平和の道を歩んできましたし、これからも歩んでゆくつもりです。

 

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを廃し東亜の崇高なナショナリズムの下で、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。そのためには非民主主義の共産国家の核兵器こそが地球の未来の安寧に対する最大の障害であると危惧し、そのためにも日本は世界安寧のために、これらの核に対する対抗措置を講ずる必要を痛感いたしており、防御措置を講ずる用意があります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮める所以となると、私は信じております。

 

「杖(たよ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。』



 

村山談話もこのように修正すれば、歴史的事実に沿った内容となり、正しいものとなろう。詳しくは当ブログ2015.7.31の「戦後70年談話はヒストリーで!(43)」を参照願う。

(続く)