靖国神社への公式参拝は必要。(1/3)

1A級戦犯とは

いわゆる東京裁判において、「平和に対する罪」として、戦争を指導した罪として被告とされ処刑された7名と同受刑中などに死亡した七名の合計14名が靖国神社に合祀されている。1978年10月17日である。

平和に対する罪とするならば、アメリカのルーズベルト大統領やハル国務長官も同じくA級戦犯でも超A級戦犯ではないか。なぜ日本人だけが戦犯なのだ。
中国にも超の付くA級戦犯がいる。「通州事件」を首謀した毛沢東とその部下であった胡錦涛も同じく超A級戦犯だ。

2、戦争は一国だけで出来るものではない。必ず相手があって始まるものであり、その両者に責任があるものである。日本はロシアの進出を恐れて日露戦争を始めた。その結果、朝鮮の独立が果たされた。更に英米露独などの列強の中国への進出を防止し、日本の独立と権益を守るために満州に進出した。これらはすべて国際法に則った合法的な行動であった。然るに、ルーズベルトとハルは日本への石油の輸出を禁止し、兵糧攻めにした。そうなれば日本経済は麻痺し国内革命が起こりかねないと、当時の政府は考えざるを得なかった。このようにアメリカにより、日本は「窮鼠猫を噛む」状況に追い込まれ、やむを得ず自衛戦争を始めざるを得なかったのである。A級戦犯とはその時の日本の政治を担った人達である。

3、これが平和に対する罪とされている。当時の国家にはそれぞれ戦争を実施する権利があり(国家には交戦権がある)、他国に対する武力行使国際法上犯罪とは認められていない。今までかってこのような武力行使は犯罪とみなされた例はないし、個人的な責任を追及された事例もない。A級戦犯という罪状は明らかに不当である。もし彼らをA級戦犯とするなら、ルーズベルトやハルも更に毛沢東胡錦涛A級戦犯である。

東京裁判では、「通州事件」が話題となったが、連合国側に都合の悪い事件だったために、なんら考慮されること無く却下されている。またアメリカは、満州を日本と共に開拓(殖民地化)する約束をしていたが、アメリカの野心(満州から中国を殖民地化しようとする)を感じ取った日本に拒否されたために、上記に述べたようなハルノートになった訳である。

4、歴代首相の靖国神社参拝

日本は1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約を調印し、晴れて独立国となった。当時の吉田首相は、閣僚及び衆参両院の議長を引き連れて、その年の10月18日の秋の例大祭に、靖国神社を参拝した。日本が独立国となって始めて実施した公式行事が、靖国神社の参拝であった。8月15日の参拝は、1975年(S50)の三木武夫首相が始めてである。以後殆どに首相が8/15に参拝しているが、1985(S60)/12月までは、中国からは何の音沙汰もなかった。しかし、その年山崎豊子の「大地の子」の中国取材、1986年(S61)の中曽根首相の”靖国参拝の可否”の中国への問い合わせなどにより、中国の日本に対する帝国主義的野心を呼び覚ましてしまい、横槍を入れてくるようになってしまった。中曽根の非国民的振る舞いには呆れ返ってしまう。ちなみにA級戦犯の合祀は1978年(S53)であり、1985年の8/15の中曽根首相の公式参拝までは、中国からは何もない。

5東京裁判

A級戦犯を裁いたあの東京裁判は、1946年(S21)5月3日に始まった。当時の戦勝国と言われた11か国が裁判官となり、被告日本・1ヵ国を裁いたのだ。どう見ても原告が裁判官を兼ねている、真っ当な裁判ではない。これは端的に言って戦勝国の報復裁判である。

(1)裁判官は、最大限譲歩しても、中立国から選出しなければ正しい裁判とはいえない
のではないか。東京裁判は無効である。但し、日本はその判決を受け入れただけだ。

更に、A級戦犯を裁くための裁判であった。A級戦犯とは「平和に対する罪」を問うと言うものであった。この罪といわれるものは、前述のように罪に値しない。当時、各国に交戦権があり、それぞれ国家の方針に従ってその権利を実行しているものであり、国際法上なんら問題はない。もしも、戦争が問題だとしたらアメリカも中国も、同じように戦犯となる。

(2)平和に対する罪は、国家に交戦権がある以上、戦争は犯罪ではない。A級戦犯は罪人ではないといえる。もし罪があるとすれば、無差別に人を殺傷した原爆を投下した側にあるべきである。

また、戦勝国11か国とは、米・英・加・仏・蘭・露・台湾・豪・ニュージーランド・印・比である。ここには、A級戦犯の合祀に文句をつける中・韓の2か国は入っていない。この中・韓の2か国は東京裁判の結果に対して、何か言い張る権利はびた一文も持っていないのである。

(3)東京裁判と無関係なチンコロ中国とチャンコロ韓国は、日本の首相の靖国参拝に悶着をつける資格がないのである。日本の首相の靖国参拝への誹謗・中傷の何物でもない。

しかも、1975年(S50)の三木武夫首相の8/15の靖国参拝から1985年(S61)8/15の中曽根首相の参拝まで、中国は何も言わなかった。ちなみにA級戦犯の合祀は1978年10月17日の秋の例大祭に行われているのである。それほど執拗に参拝に異議を述べ立てるなら、なぜもっと早く言わなかったのか。

(4)A級戦犯の合祀後、7年も経って靖国参拝にイチャモンをつけてきたのは、自国の内なる問題をはぐらかす為の悪意に満ちた意図、あるいは中国の日本に対する蔑視以外の何ものでもない。

(続く)