日韓併合100年(133)

それに仮に日本が勝ったとしても「ロマノフ王朝」が崩壊してしまえば、償金も権

益も入手できなくなる可能性もある。また日本が必ずしも勝つとは限らない。

負けるかもしれない。


そのため、「
たとえ多少の譲歩を為すも、今回講和会議を機とし平和の局を結ぶ

こと得策なり
」との結論となった。日本は万策尽きたのである。そして「償金要求

撤回による講和妥結の方針
」が決定された。


明治天皇
は、「日露戦争が”亡国”につながるのではないか、と深憂し、開戦決

定の際は落涙して優意を表示した」と
日露戦争8」(児島襄)には記述されて

いる。それだけに天皇陛下は、政府の決定に「満足」された。


そして、満韓の関係の要求が達成された点も考慮して「・・・たとえ償金割地の

2問題を放棄するの已むを得ざるに至るも、この際講和を成立せしむ。
」た

だし、樺太の割譲は主張すべきであり、順を追って談判せよ、と言った内容の電

文が発信された。8/28,午後8時35分であった。

ポーツマスでは8/28,午前6時35分


8/28、正午過ぎ小村は、金子からAPのストーン社長の件の督促電を受ける。

小村は既に談判決裂を覚悟しているので、すぐにその旨打電する。


当然だ。こんな斡旋内容は先にも述べたが、日本を馬鹿にしている。と言うこと

ルーズベルトも打つ手が無くなっていると言うこと、ではなぜニコライ2世の

「相殺論」を日本側に伝えなかったのか
、甚だ疑問の残るところである。ルー

ズベルトの本音は、継戦では無かったのかとも思われても仕方がない、と小生

は思えるのである。それが米国の国益にかなうものであるから。


8/28、午後5時過ぎ
小村は、先の(償金割地要求を放棄する最終訓令を受

け取った。当然日本全権団は悲憤慷慨した。小村だけは「多
分そんなことであろ

うと思うていた
」と冷静であった。彼には首席全権としての仕事があった。金子

元法相にルーズベルト大統領への伝言を依頼した。金子は早速「特使」を派遣

して、大統領に小村電のコピーを届けさせた。午後7時30分過ぎであった。


AP通信東京支局も、日本の償金要求撤回を急報してきた。そして日本側随員

たちの顔色の冴えないことから、記者たちも、この新事態の発生を感知してい

た。午後11時過ぎ退屈な観劇からウィッテ達は帰ってきた。記者団から事情を

聞いたウィッテは、それでも「償金の要求撤回が絶対条件だ」と強調し、本国へ

は「日本側の新提案があれば、検討すべきだ」と打電した。


ウィッテは「日本側が樺太全島を還付し、それに対して減額した代償を求めるの

ではないか」と推測していた。日本は「無一文の平和」を求める筈はない、無償

で戦争を終結するとは思えなかった。それでもその提案は拒否せずに、交渉す

べきだとの意を含ませたかった。


8/29
、この日の早朝日露代表団はそれぞれ本国から訓令電を受領した、と
「日

露戦争8」(児島襄)
は述べ次のように続けている。


小村委員は、前日の割地要求放棄を訂正して「北緯50度以南」の樺太を要

求せよ
、との訓令を受けた。委員ウィッテ宛訓令は、・・・・・「日本全権委員の金

銭要求の声言を俟(ま)つべし」それだけであり、日本側が新提案をした場合つい

てはの委員ウィッテの進言については、何もふれていない。「無償、樺太南半部

譲渡」という皇帝命令に変更はない、ということである。


(続く)