委員ウィッテは失望し、記者たちも談判決裂を確信した。
午前9時30分、会議が始まると同時に小村委員が秘密会議を要求し応諾さ
れる。両全権委員と通訳だけとなる。午前10時秘密会談開始。
(1)小村委員、8/23の提案='11/8/9,NO.129参照・(8/18の秘密合意の
覚書='11/8/3,NO.123参照)に対する回答を要求する。
(2)ウィッテ委員、回答覚書を内示する。
・日本側の樺太北部12億円での還付は拒否する。
・ロシア兵の捕虜給養費は支払うが、それ以外は拒否する。
・樺太北部をロシアへ無償で還付するなら、同島南部を日本に譲渡する。
(3)これがロシアの為しうる最後の譲歩である。
(5)小村委員も日本側の訓令内容を説明する。
・日本側の償金要求は正当である。
・世界平和のために、日本のサガレン占領をロシアが既成事実として承認
すれば、軍費払い戻し要求は撤回する。
(6)ウィッテは「既成事実」の何たるかに疑問を持ったが、皇帝からの訓令なの
で、(2)が回答である。 と返事。ウィッテはどうなるか判らなかったが、これで全て
が終わったという心境となった、と言う。
(7)小村委員は、無造作に「では、それを受諾することにする」と回答。ウィッテは
瞬時呆然として 聞き返して納得したという。ウィッテは後に「完全な勝利の瞬間
だった」と回想している。
時に8/29,午前10時40分。
(8)午前10時55分、講和談判第十回本会議開催。秘密会議の手順に沿って
進行し、講和談判は日露両全権によって承認された。
(9)正午頃、午前の本会議終了。国務次官補パースを呼び、大統領に「講和が
成立した」事を連絡するよう依頼する。しかしこの伝達はなぜか遅れて、大統領
はこのニュースを知る最初の人物とはならなかった。
(10)ウィッテの秘書コロストウエツが記者団への通報役となり、ホテルウェントワ
ースへ電話をいれる。 発表文は直ちに速報板に張り出され、ホテルは上を
下への大騒ぎとなる。
(11)午後零時50分、オイスター・ベイに「AP」通信社からの平和発表文の通報
が届く。
パースからの電報はまだ届いていない。
(12)記者たちは、償金なしの講和成立に対して、「日本の敗北」「ロシアの勝
利」と評価した。
例えばNYタイムス紙は「ウィッテは、ひとつずつ譲歩を重ねながら日本を償
金問題に誘導して、要求を撤回するか、それとも金銭のための戦争に踏み切っ
て世界に非難されるか、二者択一の袋小路に追い詰めた。」と報じたと「日露戦
争8」(児島襄)には記述されている。
(続く)