くたばれ韓国、失せろ李明博(22)

慰安婦関係調査結果発表に関する

河野内閣官房長官談話


平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、

今般その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安

婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたもので

あり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接

にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当

たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事

例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかに

なった
。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大

きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、

管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた


 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つ

けた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる

従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべて

の方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が

国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも

真剣に検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直

視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶に

とどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心

が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参り

たい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

  
 
ここに述べられている事柄は、総てが間違いである。官憲等が直接これに加担したことも

なく、いわんや官憲による甘言、強圧などでの募集などは全くなかったのである。

河野洋平は一体何を考えていたのか。死んでお詫びしても、我々日本人に対してお詫びで

きるものではない。


もちろん慰安所の警護などに関しては軍が関与していたことは、明らかである。このことは

大師堂経慰氏の先の正論の論考でも、次のように述べている。

 
 
更に具体的に言えば、当時公娼制の下で慰安婦の募集は民間人が行っていたので、こ

れには政府は関与していないと言うことであって、慰安婦問題の総てについて軍が全く関与

していなかったという意味でないことは当時を知る者にとっては常識であった。現地までの

輸送は軍用船に依らねばならなかったし、現地での施設や移動についても軍の便宜供与

が必要であった。軍による警護も当然必要であった。当時、慰安婦を連れた業者が戦地

に赴き、軍の便宜供与の許に営業していたのが実態である。

 
 
しかしながらこの「河野談話」は全くの虚構である。河野洋平という人(じん)は、一体何

人か。こいつは朝鮮人か。


そして大師堂経慰氏の先の正論の論考で、朝鮮での婦女子の強制連行がなかったと思う

根拠の一つとして述べているものを紹介しよう。


それは、朝鮮総督府の施政態度である、と言う。朝鮮総督府は、内鮮一体を唱え施政に最

も気を使っていたことは、朝鮮での民心の安定であり、処遇においても朝鮮人と内地人を

差別してはならないと言うことが、基本であった。そんな雰囲気の中で、吉田清治が言うよ

うな強制連行などと言うことは、発想すらなかったことである。昭和17年から朝鮮総督府

に勤務し、地方勤務も含め終戦まで総督府に勤務した大師堂経慰(だいしどうつねやす)

氏にとっては、朝鮮人婦女子の強制連行の捏造には、憤怒に似た怒りの感情を持ってい

たことであろう。


最後に、河野談話に関する事柄を当ブログ「慰安婦問題の誤報」'07.7.29~8.2より、転載し

てこのブログを終えよう。

(続く)