Ⅲ.世界に「敵の暴行」を発信させる。
中央宣伝部は、これら外国人記者を使って南京から世界に「敵の暴行」を発信させよ
うとした。そのために彼らを接待しこまめに面倒を見たのである。そのことは「各国新
聞記者と連絡を密にし、彼らを使ってわが抗戦宣伝をする。この工作は実に面倒で難し
いが、決して疎かにしてはならない。」と極秘文書に記されている。
シカゴ・デイリーニューズのスティール記者は「南京大虐殺」と題して、また、ニューヨーク・
タイムズのダーディン記者は「南京陥落後の特徴は屠殺」と題して伝聞報告を報じている
が、他の三人の新聞記者は全く虐殺には言及していない。又、当時の米国南京領事の
アリソンが彼らに「正確な立証」を要求したが、出てこなかった。当時のアメリカの新聞
を探しても、諸外国の日本非難の記事は見当たらない。
Ⅳ.更に「敵の暴行」を宣伝する。
更に中央宣伝部は総力を挙げて宣伝本『戦争とは何か』を製作・発行した。この宣伝
本の編者ハロルド・ティンパーリ記者は中央宣伝部の顧問であった。中央宣伝部国際宣
伝処処長の曾虚白がティンパーリに「お金」を払って作らせたものである。更に南京に
残留していた宣教師のベイツ南京大学教授(彼は国民党政府の顧問であった。)と妻が
蒋介石の妻・宋美齢と親交があるジョージ・フィッチ師が絡んでいる。この本の描き出す
一ヶ月間の記録は噂話や伝聞であった。立証する為に、南京に残留した欧米人の
記録や,日本軍将兵の記録、中国人の記録、即ち日中英独の四ヶ国語で書かれた
当時の記録をすべて検証した『南京事件の核心』を見ても、殺人94件、強姦243件、
略奪201件放火34件あったが、その殆どは伝聞であり、目撃されたと立証された殺人
は「合法的処刑」の一件だけであった。『戦争とは何か』には度重なる殺人、多数転が
る死体などが記されているが、当時これを読んで、そこに書かれた殺人を不法だと非難
した国はなかった。
このことは、大虐殺が宣伝だったことの証拠である。なのに日本の歴史教科書の記述
を見ると、『日本軍が女性や子供を含む市民と捕虜を二十万人も殺害し、国際的に
非難された。』と記されている。歴史教科書の執筆者がティンパーリなどの『戦争と
は何か』が有名だったために、南京大虐殺が事実だったと思い込まされてしまったのだ。
南京大虐殺の教科書への記載にストップをかけ、その記載を見送ることを強烈に支持し
たい。
(続く)