ヨーロッパと日本(39)

19.日本軍の侍 (さむらい)

     

以下も恵隆之介(めぐみりゅうのすけ)著の「敵兵を救助せよ!」(草思社)を

引用しながら説明している。

1941年(昭和16年)12月10日午前1時20分頃、伊58号潜水艦がマレー

半島南東岸で「北上中の英国東洋艦隊発見」の電信を発している。マレー半島

のシンゴラとコタバルに上陸した日本陸軍部隊の輸送船団を攻撃するためにシ

ンガポール軍港を出港してきた戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦

レパルス」である。日本海軍航空隊は夜明けとともに直ちに索敵機を発進さ

せ、陸上攻撃機合計94機を発進させた。南部仏印サイゴン、ツウダムの二基

地からである。当時日本にはこれら戦艦に対抗できる艦隊は持ち合わせていな

かった。

しかし日本海軍航空隊の陸上攻撃機の攻撃はまことに見事なものであった。

当時「プリンス・オブ・ウェールズ」に乗艦していたグレアム・アレン大尉は、後日

次のように語っている。

「私たちが海戦当初シンガポールを出港した時、日本海軍の実力を軽視してい

ました。そして攻撃を受けて初めてそれに気付きました。あんな見事な雷撃を

我々はこれまで見たことがなかったのです。」

「東洋艦隊司令長官海軍大将のサー・トム・フィリップスはこの光景に腰を抜か

し、呆然としました。結局、退艦する意欲すら失い艦と運命をともにしたのです。

『プリン・オブ・ウェールズ』の沈没は、大英帝国終焉の象徴であったといえま

す。」

話はまだ続く。

ここで、日本海軍航空機の優秀性に世界は目を見張った。

英海軍雷撃機の行動半径は320キロ、日本の雷撃機は往復900キロの作戦

距離を実証したのである。

フィリップ大将はこの実態を知らず、自国雷撃機の性能基準で艦隊に航路を設

定し、クワンタン沖はサイゴン基地から450キロ離れており、安全と思っていた

ようである。しかも速力20ノット以上の高速で走りまわる2大戦艦を、海軍航空

隊が2時間10分で撃沈したのである。しかも日本側の損害は3機であった。

マレー沖海戦である。

(続く)