日韓併合100年(12)

話は戻るが以上みてきたように、朝鮮半島355年高句麗時代北燕に朝

貢)から周辺国家へ朝貢している。それ以来ずっと満州、中国などの周辺国家

に服属し、朝貢してきている。黄文雄氏は、朝鮮のことを千年属国と称している

が、このように史実を眺めると千年どころか1500年の長き(355年から1895

年まで)にわたり属国であったのだ。


最近の研究によれば、清朝宮廷から朝鮮政府への恩賜は、朝鮮側の貢物の

たった十分の一であったと言う。属国朝鮮は、ずっと清帝国に搾取され、奴婢以

の扱いを受けていた最貧の国であった。そして、天朝(清帝国)が朝鮮に与え

朝貢国の規定は、じつに厳しかった。金銀牛馬の特産品から貢女や宦官など

に至るまで、献上すべき物品が細かく決められていた。そして半島内で起こった

すべての出来事や特に日本の情勢などは細かく明細書に書き出し、清国に提出

しなければならなかった。日本への使節派遣などは、清朝朝廷への報告と許可

が義務付けられていた。こうして朝鮮国王は天朝朝廷の臣下として一地方の官

僚と同じ扱いを受けていたのである。韓国の学者などは、「属国からの貢物より

も、宗主国からの回賜(返礼)、恩賜のほうが多かった。朝鮮にとっては朝貢

封秩序における宗属関係も単に形式的なもので、実質的には朝貢貿易という実

益を狙った経済活動だった。だから政治的な隷属関係ではなかった」と主張して

おり、この考えが韓国内では通説になっているが、それは真っ赤な嘘である。

これも黄文雄の『捏造された日本史』(日本文芸社)に記載されている文章で

ある。


そのため属国根性が体全体にまで浸み込んでおり、その劣等感から脱却した

いがためにありもしない「日帝36年」の間だけが朝鮮の独立が侵されていた、

などと大嘘をついているのである。


「朝鮮と宗主国である清国との関係は、繁文縟礼と言えるほど「礼」によって厳し

く統制され、このように朝貢品の内容は厳しく規定されており、規定の厳守を義

務付けられていた」と黄文雄は『韓国は日本がつくった』(以後K呼ぶ。)で述

べている。例えば朝鮮から清国への「国書」も、上奏文としての格式が厳しく決

められ、その書式や用語は、一つ一つ中華朝廷の礼部によっ厳格にチェックさ

れていた。例えば北京朝廷のみが使用できる言葉として、天皇の「皇」や「奉勅」

の「勅」、「朕」、「詔」が定められており、朝貢国である朝鮮の国書では使うこと

が許されていなかった。そのため、明治維新直後に明治新政府対馬藩を通じ

李朝へ渡そうとした国書に、「皇祖」とか「奉勅」と言った朝鮮では使用が禁止

されていた言葉が記載されていたため、李朝朝廷ではパニックとなり日本の国

書の受け取りをかたくなに拒否している。このことが清国に伝わってその逆鱗に

触れたら一大事なのである。このため日本は何度も国書を送り、日本が明治新

政府となったことを伝えようとしたが、朝鮮は受け取りを拒否したのである。その

ため江華島事件の遠因とも成っている。


ちなみに、繁文縟礼とは、礼儀や規則、形式がこまごまと決められておりそのた

め手続きや行いが非常に煩わしい事を言う。


朝鮮は中華帝国の属国であったために、その朝貢品は細かく決められておりそ

の中には慰安婦である「貢女」も含まれていた。その内容を上記文書Kに従い解

説しよう。先にも触れたが、日本には「従軍慰安婦」などは存在しなかったが、

慰安婦は古来から続く韓民族独自の文化であったために、1980年代以降韓

国が日本を非難する材料として捏造することが出来たものである。朝鮮独自の

文化であったために、そのような日本軍に対しての具体的な捏造を作ることが

出来たのである。最近まで韓国では「妓生(キーセン)」と言う管理売春が存在し

ていたことはご承知のことであろう。韓国人は日帝が大量に朝鮮女性を従軍慰

安婦として強制連行したなどと非難するが、そんなことを示す客観的な証拠など

はこの世に一切存在しないのである。それよりもこれらのことは、朝鮮が昔から

実際に行ってきたことであり、この朝鮮独自の歴史を反日のプロパガンダの材料

として作り変えただけのことなのである。


(続く)