(14)1994年5月3日、永野法務大臣が記者会見で「慰安婦は当時の公娼であって、
それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別とかは言えない」と述べ、中国・韓国他のアジ
ア諸国から反発を招き、4日後永野大臣は謝罪し、引責辞任した。
今から思えばこの発言は至極当たり前のもので、辞任する必要など無かった。頑強に反
論する勇気と気概を持つべきであった。
今日のアメリカの非難決議に対しても、日本は頑強に反論すべきであり、それが日米安保
の強化につながるものである。
(15)1995年1月、『週刊新潮』1/5日号で吉田清治の証言が事実無根であるとの記事
を掲載。
「私がこれ以上言うと、元慰安婦や家族の方に迷惑がかかる。デッチ上げと言われても構
いません。私の役目はもう終わったのですから」(吉田清治氏)
(16)1995年8月15日、村山富市首相が「村山談話」を発表。
ただし、この談話は間違っている。
[1]・・・一時期、国策を誤り、戦争への道を・・・の国策を誤り、を削除する。
国策は誤っていない、たとえ誤ったとしてもこんなことは言うべきでない。
[2]・・・危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、・・・人々に対して多大な損害と苦痛を与
えました。・・・の植民地支配と侵略によっては削除し、次のようにする。
「・・・危機に陥れました。また多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対してその地が欧
米列強との戦いの場となり、多大な困難を与えました。」とする。
[3]・・・わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、・・・は深い反省に立
ち、独善的なナショナリズムを排し、を削除し、次のようにする。
「・・・わが国は、崇高なナショナリズムのもとで、責任ある国際社会の一員・・・」とする。
反省は一部必要だが深い反省は一切必要は無い。日本は中国を侵略などしていないのだ
から。コミンテルンと中国共産党の拡大戦略に巻き込まれ、共産革命を日本に起こされそ
うになっていたのであるから、れっきとした反共への戦いだったのである。マッカーサーも、
日本の戦いは反共戦争だったと言っている。
米国における「対日非難決議」もこの流れの延長線上にあると思わなければならない。
安倍政権はこのことをわきまえて、毅然と反論する必要がある。小沢代表ではこの対日非
難決議に対して、毅然と反論してくれるだろうか。安倍晋三も腰が砕けたが、小沢よりまだ
益(ま)しである。
更にこの「村山談話」なるものが、如何に間違ったものであるか、小生のブログでも論じて
いる。それは2009.01.11~12の「日本は侵略国家ではありません。(NO.13~14)」である
が、参考のために、それを次に載せるので、ご一読願いたい。
『「戦後50周年の終戦記念日に当たっての村山首相談話」
1995.8.15の戦後50周年記念式典にて
『先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争に
よって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築い
てまいりました。このことは私達の誇りであり、そのために注がれて国民の皆様一人一人
の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表すものであります。ここに至るまで、
米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、改めて深甚(しんじん)な謝
意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、更には欧州諸国との間に今日
のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私達はややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがち
になります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若
い世代に語り伝えていかなければなりません。特に近隣諸国の人々と手を携えて、アジア
太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、何よりも、これらの諸国
との間に深い理解と信頼に基づいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、
この考えに基づき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史
研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友
好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わ
が国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してま
いります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、我々が銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓
に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
★1
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機
に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多
大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもな
いこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からの
お詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深
い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズ
ムを廃し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と
民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、★2わが国は、唯一の被爆国と
しての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際
的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐない
となり、犠牲となられた方々の御霊を鎮める所以となると、私は信じております。
「杖(たよ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施
政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。』
以上がいわゆる馬鹿な、頓馬な首相の村山富市の「村山談話」なるものであるが、一番の
間違いは★1の部分であり、次の間違いは★2の部分である。
第一の間違い★1の理由。
なんとなれば、あの大東亜戦争は国策を誤ったものでもないし、アジア諸国に多大な損害
を与えたものでもなかった。反対に「植民地からの開放」と言う多大な恩恵を与えたもので
あったことは、良く理解できることと思う。
そして、第二の間違い★2。
唯一の被爆国として、次の被爆を防ぐ為に「核武装」を真剣に検討してゆかなければなら
ないところを、核兵器の究極の廃絶などと「究極のたわごと」を能天気に述べているからで
ある。ロシア、中国、北朝鮮の日本へ照準を合わせた数多くの核ミサイルの存在を気にし
ていない。(当時はまだ北朝鮮は核武装していなかったであろうが。また核兵器の究極の
廃絶は、ロシア、中国、北朝鮮が、核兵器を廃絶してからの動きである。)
下記のURLには、良くまとまった意見が掲載されているので、参照されると良い。