ALPS処理水放出と習近平の凋落(17)

第一次天安門事件四五天安門事件

 

 

1976年1月8日文革と距離をとり民衆に評判のよかった周恩来首相が 

  死去する。天安門広場には、周恩来追悼のために花輪が飾られていたが、 

  同年4月5日に北京市当局はその花輪を撤去したところ、民衆が激高し 

  四人組を批判し気勢を上げた。

 

 

文革に失敗した毛沢東は周への民衆の敬慕が自身への批判につながっている 

 と思い、四人組を使い走資派として周批判を繰り返した。 

 

・周を弔う民衆は2万人近くとなり、民主化を求める熱気ともに感化されて 

 警官・兵士までもが職場を放棄する事態となった。 

 

 

・そのため四人組は、これを反革命行為と決めつけで実力で抑え込んだ。当局 

 は「逮捕者は388人で死者はゼロ」と発表したが、広場は血の海となったお 

 り実際は不明である。 

 

・事件後鄧小平が責任を負われて失脚している。この年の9月9日に 

 毛沢東が死去すると四人組は失脚することになる。

 

 

・これを1989年6月4日に起きた六四天安門事件第二次天安門事件)と 

 区別して第一次天安門事件四五天安門事件という。

 

 

この第一次天安門事件へは、「北京の各国営大企業所属の工人民兵(労働者民兵の約1万人は動員されて抗議活動参加の民衆に対する血の鎮圧を実施した」と書かれているが、1万人も動員されたのですね。各企業には必ずこのような民兵が居た、と言うことか。 

 

民主化されておらずに、日本のように、何時でも、何処でも、誰でもが、自由に発言できる民主主義社会とは違い、中国での共産党政権下では民衆の意思はかなり抑え込まれており、不満が鬱積しているからこそ、何かあるとこのように民衆は群れて不満を発散させるために、行動するのではないのかな。 

 

先の石平氏の論考の末尾にある「人民による人民に対する監視・密告・粛清システム『楓橋経験』」(ふうきょうけいけん)とある「楓橋経験」とは、この自由に発言できるということに対する一種の締め付ける仕組みであろう。だから中国民衆は、何かあると群れるのである。「六億層警察の恐怖」と論じている。 

 

こんなわけだから、福島原発ALPS処理水放出日本産海産物の輸入停止は中国人民の群れることを恐れている習近平の苦肉の策なのであろう。 

 

だから、そうたやすくこの策を中止することはない、否中止できないと思わなくてはならない、と岸総理は肝に銘ずべきである。 

 

 

 

新たな文化大革命に突き進む習近平、人民による人民に対する監視・密告・粛清システム「楓橋経験」を再建へ 

石 平評論家  2023.10.13

 

「これが中国経済大崩壊への回答なのか、習近平政権が『国内大暴動』に備え、民兵組織・人民武装部設立ラッシュ」で紹介したように、習近平は国内闘争モードに入った。そしてそれは文革期を彷彿とさせるものになろうとしている。 

 

“楓橋経験”堅持と発展 

 

9月20日浙江省視察中の習近平主席は諸曁市楓橋鎮にある「楓橋経験記念館」を訪れ、随行員と地元の「幹部・群衆」を相手に「重要講話」を行い、「新時代における“楓橋経験”堅持と発展」を訴えた。 

 

by Gettyimages   

 

それを受け、人民日報・新華社通信ら宣伝機関はいっせいに記事・論評を掲載し、「楓橋経験を堅持し発展せよ」との宣伝キャンペーンを開始。浙江省全人代常務委員会は早速、「新時代における“楓橋経験”堅持と発展に関する決定」を採択し発表した。 

 

これで中国共産党は、習主席自らの旗振りで「楓橋経験”堅持と発展」の政治運動が大々に展開されていく模様だが、いわゆる「楓橋経験」とは、1960年代初頭、諸曁市楓橋鎮で生まれた治安管理の新しい方式である。 

(続く)