小沢資金問題(28)

1968年  小沢の父・佐重喜氏死去、小沢は文京区湯島2丁目の不動産を相

続する。

1983年  産経新聞のインタビューで「父の遺産はなかった」と答えている。

1985年01月  世田谷区下馬6の494㎡の不動産 のため 湯島2の不動産

を担保
3.3億円借り 入れる。この時追加担保を要求され、下馬6の不動産

も追加担保に入れている。  と言う事は、湯島23.3億円の価値がなかった

ことになる。借り入れ銀行は、  大和銀行(現り、そな)衆議院支店だ。

1985年02月  世田谷区下馬6の不動産494㎡を購入。

1985年09月  世田谷区下馬6の不動産494㎡を売却、3千万円の売却益。

1985年10月  亡父の遺産・湯島2を売却
。(3.3億円の担保価値ない不動産)

1985年12月  世田谷区深沢6丁目現在の自宅1,619㎡キャッシュ

で購入。9億円と言う。

1986年02月  小沢、自治相として資産公開で世田谷区深沢6の自宅の事を

聞かれ、担保価値  3.3億円未満の湯島2売却金額で買えた、と答えている。

2004年10月  世田谷区深沢8秘書寮の土地を購入し、紙袋の現金4億

円で支払う。 同時に更に4億円の定期預金。それを担保に4億円を借りて陸算

会に貸付。

2010年01月  世田谷区深沢8の秘書寮の土地は、湯島2-深沢6(9億円)

2億円の定期と家  族名義の定期を解約したものと回答している。従って湯島

2は11億円
となる。 湯島2を売った残り2億円と家族名義の定期で4億円余と

言っていた。

     
このようにして眺めると、1985年の一年間で立て続けに不動産の売り買いを続

けている事が分かる。これはすごい事である。しかも担保価値3.3億円未満の

土地が
11億円に化けている

  
(1)先ず、湯島2の不動産がある。

(2)それを担保に、3.3億円を借り受ける、追加担保必要。湯島2の価値は3.3

億円以下。

(3)その金で、下馬6の不動産を買い7ヶ月後に売却。借入金返却後、手元に

3千万円売却益。

(4)その後、湯島2を売却。

(5)その2ヶ月後、湯島2の売却額で深沢6を買う。9億円。湯島2は9億円以上

だったのか。

(6)しかし深沢6を買ってもまだ2億円が残っていたと言うので、湯島2は11億円

となるが担保価値3.3億円とは大幅に異なる。

  
この一年間で小沢の手元に残っていると思われる金は、売却額の3千万円と湯

島2と深沢6との差額だけだ。湯島2は3.3億円と見積もられているが、売却額

は計算上11億円となっているが、1年でそんなに値上がりするはずは無い。

従ってその差額の約8億円は、どこかからせしめたものとなる。さしあたってどこ

かのゼネコンなどをタカってせしめた物であろうか。この小沢の錬金術も謎のま

まだ。

   
3.3億円が11億円に化けた
小沢の錬金術
は謎だらけだが、もう一つ奇妙な

手法を取っている。それは、預金担保と言う奇妙な方法だ。


これは、陸山会側に手元資金があるにもかかわらず、わざわざ銀行に預金を

組み、それを担保に銀行から融資を受けて不動産を買うと言う不可解な手法だ。

小沢はこの融資された4億円で、あの世田谷区深沢8の秘書寮の土地を購入

したと、説明していた。しかしこれが嘘であった事が判明し、この土地は小沢の

資金疑惑が顕在化した曰くつきの土地となった。


この件は2月22日以降の当ブログに、ある程度詳しく記載されているので参照

願いたい。


長谷川学氏は、次の言葉で、WiLL4月号の告発文を終えている。

小沢氏は、政党助成金制度の導入を主導した「政治資金規正法のプロ」

である。その小沢氏の政治資金管理団体が、政治資金規正法を踏みにじ

る行為を続けてきたのである。


日本の政治は浄化されるどころか、政治腐敗という汚泥の中を沈み続けて

いる
。』

心底やり場の無い怒りを感ずるものである。こんな輩が日本の政治を牛耳って

いる。しかも表には立たずにだ。小沢はなぜ内閣に入らないのか。それには明

白な理由がある。


それは、「職務権限」と言う厄介な特性を持つ権限だ。内閣に入れば、何らかの

権限が付きまとう。これが厄介なのだ。職務権限とは、公務員が自分が担当す

べき仕事(職務)をするための根拠または範囲、と言うが、公務員がこの職務権

限を超える行為は違法行為となる。いわゆる汚職である。


小沢は内閣に入っていれば、今までゼネコンなどの企業と懇(ねんご)ろになり、

いろいろと便宜を図れば当然職務権限を逸脱し、汚職の罪となる。これがあるの

で迂闊に金をせびれなくなるのである。そうでなくても睨みが利くので、小沢は大

臣なんぞにならなくても金をせしめる事が出来るのであろう。全く酷(ひど)い話

だ。だから小沢は、内閣には入りたくないのである。民主党の幹事長として隠然

としてにらみを利かせていればよいのである。それに、あの白痴面をした鳩山

由紀夫
なんぞは、全くの世間知らずなので小沢の言いなりに動いてくれる。何も

内閣にいなくても、小沢にとっては、何の支障が無いのである。都合が悪ければ

あの生方副幹事長のように、首を切ればよいだけのことである。しかも彼の場

合は、いわゆる「人事異動」と言う形での解任で「不服申し立て」が出来ないよ

うな解任方法をとるつもりであった。これでは生方幸夫さんもこれでは浮かばれ

なかったことであろう。幸いあまりにも非難が強かったので、解任は止めになった

ようだが、もし解任していたら自分が止めなければならないことになるかもしれ

ないと感じたので、解任しなかっただけのことである。全く小沢は食えない奴だ。

  

生方副幹事長 「通常異動」で解任へ 民主 不服申し立て封じる
3月20日7時56分配信 産経新聞

 民主党執行部は19日、産経新聞の17日付のインタビュー小沢一郎幹事

長らを批判した生方(うぶかた)幸夫副幹事長の解任を、23日の党常任幹事会

で正式に決定する方針を決めた。これに対し、生方氏は「批判を切って済ませて

は何の党改革にもつながらない」と反発、党倫理規則に基づく不服申し立て

検討する考えを示した。


 だが、党執行部は不服申し立てができる「処分」ではなく、小沢一郎幹事長の

権限
による「通常の人事異動」の形式をとることで、生方氏の主張が展開され

る場となりかねない不服申し立てを封じる構えだ。


 鳩山由紀夫首相は19日、記者団に対し、「さまざまな声があるのは民主主義

の世の中だから大いに結構だ。それを党内で議論しながら、一つにまとめていく

のが正しい民主的なプロセス。それをせず党の外で発言するのは必ずしも望ま

しいことではない」と述べ、解任は妥当との考えを示した。


 また、小沢氏は同日、高松市内で夏の参院選に向けた党推薦候補擁立の記

者会見を行ったが、東京からの同行記者団の質問を受け付けず、生方氏の問

題について言及しなかった。


 一方、生方氏は記者団に「幹事長は(自身の政治とカネの問題について)き

ちんと
説明するか、説明ができないなら(幹事長を)辞めるか、二つに一つ

」と、小沢氏を批判した。民放テレビ番組では「国民の多くが辞めた方がいい

と思っている小沢氏に何もいえない首相が率いる民主党はどうなのか、となる」

と、首相にも苦言を呈した。


 
首相と平野博文官房長官は「自由に党内でいえばいい」(平野氏)などと述

べ、報道機関のインタビューなど、党外での自由な主張に批判的見解を示した

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100320-00000054-san-pol

   
生方氏は民主党の副幹事長14人中の一人であるが、この記事にあるように産

経新聞の17日付のインタビューで、「民主党の運営は中央集権で、誰か一人に

権限と財源が集中している」と、暗に小沢一郎幹事長を批判したことで、小沢の

逆鱗に触れ解任されそうになったのである。そのインタビューの記事を載せる。

(続く)