日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(31)

発掘された石器は、実に35,000年前の後期旧石器時代の初頭のものであった。しかも刃の部分が磨かれた石器が存在していたのである。一般的に局部磨製石器は、新石器時代に見つかるものであったので、この岩宿の局部磨製石斧は、その後の日本先史時代の世界史的な位置づけを際立たせるものであった。その後日本各地での旧石器時代の遺跡からは、磨製石器が見つかっている。世界で最も早い磨製石器であった。縄文人の工夫の跡がしのばれるものである。

 

この件は、「世界最古の磨製石斧と栗原遺跡-列島最古の旧石器文化を探る⑥-」(http://ac.jpn.org/kuroshio/kurihara/oda201705.htmなどを参照されるとよい。

 

 

 

岩宿遺跡

20171115日更新

岩宿遺跡遠景(最初の発掘調査の頃)
   (写真提供:明治大学博物館)

岩宿遺跡とは

 第2次世界大戦の頃までの考古学者は、発掘を進めて赤土(関東ローム層が出るとそれを「地山」と呼び、それ以上掘ることはありませんでした。土器を使っていた縄文時代(世界史では新石器時代にあたる)の人々が日本の最初の住人だと考えていたからです。
 この考古学・日本史の常識を覆し、日本にも世界史でいう旧石器時代段階に人々が生活していたことをはじめて明らかにしたのが、岩宿遺跡です。

岩宿遺跡A地点の写真
岩宿遺跡A地点) 

遺跡の発見、発掘

 岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町阿左美地内琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分に位置しています。
 1946、切り通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相沢忠洋は、切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から、石器を発見しました。相沢はその後も、何度となくその崖を調査し、赤土の中から次々に石器を見つけましたが、土器が伴うことはありませんでした。当時は、1.5万年以上前の火山灰でできた関東ローム層の時代には、ヒトが住めなかったといわれていましたが、自分が確かめた事実を信じ、1949年の夏、ついに誰が見ても疑いようのない黒耀石の石槍を発見しました。
 この発見は、いち早く東京の学者に知らされ、相澤さんと明治大学岩宿遺跡発掘調査をすることになりました。1949911日、岩宿の丘に立った発掘調査隊は、それまで未知の地層であった関東ローム層に挑み、ついにその地層の中から石器が出土することを確認しました。その後、その年の10月、翌19504月にも発掘調査が行われましたが、こうした一連の岩宿遺跡の調査によって以下のことが明らかとなりました。
 その当時、最も古いと考えられていた縄文時代の土器がやや離れたC地点から発見されましたが、それらは関東ローム層より上の黒土に含まれていましたので、ローム層から発見された岩宿遺跡AB地点)の石器は、明らかに古いことがわかりました。そして、土器を伴わず、石器だけが発見されるため、縄文時代とは違う時代のものと考えられました。また、発掘調査によって関東ローム層中に層を違えて2つの石器群が発見されました。少なくとも3.5万年前(岩宿I石器文化)2.5万年前(岩宿II石器文化)の時期があることがわかり、早くもこの時点で、岩宿遺跡の時代に異なる文化の段階があり、その岩宿時代が長い時期にわたっていたことが予想できました。

岩宿時代について

 旧石器時代あるいは先土器時代という呼び方が一般的かもしれません。しかし、日本列島のその時代には、旧石器時代にはないとされている磨製石器があるなどの独自性があって、ヨーロッパなどとは違いがあります。また、「土器」というこの時代に無いものを用いて時代の呼び方にしていることにも問題があります。既に何人かの研究者によって提唱されていますが、岩宿博物館では、土器を持たず、狩猟・採集の生活を営んでいたと考えられる日本最古の時代を、その研究の発端となった岩宿遺跡にちなんで「岩宿時代」と呼んでいます。

相沢忠洋(発掘調査の頃)

1949911日、最初の発掘調査
(写真提供:明治大学博物館)

最初の発掘調査で出土した石器(所蔵:明治大学博物館)

岩宿I石器文化(約3.5万年前)

岩宿II石器文化(約2.5万年前)

相沢忠洋さんのことをもっと詳しく知りたい方は相沢忠洋記念館のサイトをご覧ください。

岩宿遺跡の発掘調査について知りたい方は、明治大学博物館のサイトをご覧ください。

研究の進展とその後の発掘

 岩宿遺跡の発掘調査が終了し、新聞報道がなされると、日本にも「旧石器時代」があったことを証明する大発見として公表されました。それでも、日本に1万年以上も前からヒトが住んでいたことに疑問を持つ研究者もいたようです。しかし、岩宿遺跡発掘の数年後にはその発見に刺激を受け、日本全国で同じ時代の遺跡が発見され、1万年をはるかに溯る岩宿(旧石器・先土器)時代の存在は疑いないものとなりました。
 その後岩宿遺跡では、197071年、岩宿I石器文化よりも古い石器を求めて発掘調査が行われました(B・C・D地点)。その結果、「珪岩製旧石器」が発見されましたが、その資料の評価については、問題視する意見も多く、現在も論争が続いています。1979年、岩宿遺跡は、重要な遺跡として国指定の史跡となり、保存と整備が進められました。その整備事業に伴い1987年遺跡に隣接した部分が調査され、最初の調査と同様、2つの時期の石器群が発見されています(駐車場地点)。
 1992年以降、岩宿遺跡の東隣りから岩宿時代の石器が発見されて、岩宿II遺跡と名づけられました。そして2001年には相沢さんが発見し、岩宿遺跡発掘調査の契機となった槍先形尖頭器と同じ石器を含む約500点の一群の石器が発見されました。194950年の発掘当時、謎であった岩宿III石器文化が岩宿にあったことを証明した石器群といえるものです。
 201516年には、岩宿遺跡B地点の南側にあたるF地点で石器が発見されました。岩宿遺跡がさらに広がることがわかり、2017年に史跡として追加指定されました。

B地点の調査(1970年)

駐車場地点の調査

岩宿II遺跡出土石器

岩宿遺跡はなぜ重要

 岩宿遺跡発掘から約70年を経て、日本全国には岩宿(旧石器・先土器)時代が1万ヶ所も知られています。研究方法も調査技術も進展し、多くの大発見もありました。岩宿遺跡の内容をはるかにしのぐ遺跡も数多いといえましょう。
 それではなぜ、岩宿遺跡は重要なのでしょうか。それは、岩宿遺跡の発見と発掘が、一つの遺跡が発見されたことに止まらず、日本の歴史がどこまで溯るのかという最古の歴史研究の扉を開き、縄文時代以前に日本最古の「一時代」があることを証明したからです。このことが、その後の岩宿時代研究の出発点となり、日本考古学史上でも欠くことのできない大発見とされる理由です。

空からみた岩宿衣席の写真
空から見た岩宿遺跡中央は岩宿博物館)

岩宿遺跡年表

1946年 相沢忠洋さんが岩宿遺跡を発見する(B地点)。
1949
年 最初の発掘調査が行われる(911日、A地点)10月本調査実施(ABC地点)。
1950
年 二次調査が行われる(4月)。
1960
年 A地点が群馬県指定史跡となる。
1970
年 B地点を公有化し、地層観察施設を整備。岩宿ゼロ文化の発掘調査(BD地点)により、「珪岩製旧石器」の発見。
1971
年 岩宿ゼロ文化(D地点)とC地点の発掘調査。
1979
年 岩宿遺跡が国指定史跡となる(面積187,187.26平方メートル)。
1987
年 岩宿遺跡B地点)の整備事業はじまる。駐車場地点の発掘によって新資料が発見される。
1990
年 岩宿ドーム(史跡岩宿遺跡遺構保護観察施設)が開館する。岩宿遺跡東側で石器が出土(岩宿II遺跡)。
1992
年 岩宿II遺跡で石器が出土。笠懸野岩宿文化資料館が開館する(10月)。
1999
年 岩宿遺跡のある笠懸町日本考古学協会総会が開かれる(5月)。
2001
年 岩宿II遺跡より岩宿III石器文化に相当する石器群が出土。
2006
年 「笠懸野岩宿文化資料館」が「岩宿博物館」と名称変更。  
2015
16年 岩宿遺跡F地点が発見され岩宿遺跡の範囲が広がる。
2017
年 岩宿遺跡F地点が史跡に追加指定される。

 

添付資料を見るためにはビューワソフトが必要な場合があります。詳しくはビューワ一覧をご覧ください。(別ウィンドウで開きます。)

20171115日更新

 

教育部 文化財課 岩宿博物館
電話番号:0277-76-1701  FAX番号:0277-76-1703
メールアドレス:iwajukuhaku@city.midori.gunma.jp

 

https://www.city.midori.gunma.jp/www/contents/1000000000589/

 

 

これは群馬県の「みどり市岩宿博物館」のホームぺージのものである。

https://www.city.midori.gunma.jp/iwajuku/

 

ここには、相沢忠洋の画期的な発見であった「槍先型尖頭器」の写真は掲載されてはいたが、相沢忠洋氏本人の写真や2001年に建立された相沢忠洋像の写真などは、一切載っていない。どんな事情があるのかは知らないが、これはどうしたことであろうか。

 

もう少し在野の考古学愛好家である相沢忠洋氏にスポットライトを当てても良かったのではないのかな、否、当てるべきである。参考までの、それらを次に載せておこう。

(続く)

日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(30)

これまたWikipediaと先の書を参考に、地質時代石器時代の対応表を次に載せる。

 

地質時代石器時代の対応表 https://ja.wikipedia.org/wiki/石器時代

 

 

地質時代

石器時代

期間

更新世
洪積世

氷河時代

旧石器
時代

前期旧石器時代

330万年前~約30万年前 北京原人ジャワ原人ホモ・サピエンス誕生・20~ 30万年前頃打製石器、火の使用

中期旧石器時代

30万年前~約5万年前 ネアンデルタール人現生人類、7~6万年前アフリカを出る。

後期旧石器時代
(岩宿時代)

5万年前~紀元前約1万年 ネアンデルタール人絶滅、骨角器、壁画、衣服、ナイフ形石器、日本列島に人が住む

完新世
沖積世

中石器
時代

 

紀元前1万年~紀元前8000乃至6000氷河後退・気候温暖、細石刃

新石器
時代

 

紀元前8000年~ 磨製石器、農耕・家畜、定住生活、土器

 

 

大雑把に言って石器時代はこんな具合であろう。しからば、日本列島にはどの時代に人類が住み始めたのであろうか。先の書によれば、日本列島には後期旧石器時代ホモ・サピエンスが住み始めた、という事のようだ。

 

後期旧石器時代の遺跡としては、群馬県みどり市笠懸町かさかけちょ阿左美地岩宿遺跡が最も有名である。それは、相沢忠洋と言う一民間の考古学愛好家が、納豆売りの家業の合間にそれまでは遺跡はないとされていた関東ローム層の赤土の中から、旧石器を発見したことに始まる。終戦直後の1946のことである。

だが、この時はまだ誰もそのことを信用することが出来なかった。

 

しかし1949の夏に黒曜石の矢じりを発見し、専門的な調査が開始されることとなった。

1949.9.11明治大学の発掘調査隊が初めて、岩宿の関東ローム層の赤土に調査の杭を入れたのであった。

 

 

岩宿遺跡 Iwajuku site

後期旧石器時代 前半~後半 35,000年前 ~ 25,000年前

1 位置

 岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町阿左美地内の琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分に位置し、現在国史跡として指定されている。両毛線岩宿駅より岩宿遺跡・博物館まで歩いて25分である。
 1946岩宿遺跡の切り通しの道となっていた部分に露出していた赤土(関東ローム層)から民間考古学者相沢忠洋により石器が採取され、その後の発掘へとつながった。

Google地図で表示

2 発見の経過

 太平洋戦争が終わる頃まで、日本列島には一万年以上前の関東ローム層中の石器文化、すなわち旧石器時代に相当する縄文時代以前の文化はないと考えられていた。しかし、1949911、さきの発見をもとに相沢と明治大学岩宿遺跡の発掘調査を実施したところ、関東ローム層の中から石器が出土し、日本列島にも旧石器時代が存在することがわかった。岩宿はその記念すべき最初の遺跡としてよく知られている。

3 石器群の概要

 岩宿遺跡では、発掘によって二つの石器文化が確認された。下層のものは、岩宿Ⅰ石器文化と呼ばれ、基部を加工したナイフ形石器と刃部を磨いた局部磨製石斧を含む石器群で、35000年前の後期旧石器時代初頭のものである(写真)。上層の岩宿Ⅱ石器文化切出形ナイフ形石器などを含む後期旧石器時代後半(25000年前)の石器群である。 岩宿遺跡の地層は岩宿ドームとして保存され、見学できる。また、出土石器は明治大学博物館および岩宿博物館に展示されている。相澤忠洋の業績は、相澤忠洋記念館で知ることができる。

(小菅将夫)(写真提供 岩宿博物館 明治大学博物館)


用語

関東ローム層

黒土(表土)の下にあり、火山灰などが降り積もってできた1万年以上前の赤土

相沢忠洋(あいざわただひろ)

1929年生-1989年没。独学で考古学を学び、納豆の行商などをしながら赤城山麓の遺跡を調査し、岩宿遺跡を発見した。

局部磨製石斧 

主に刃の部分を磨いた石斧。旧石器時代には磨製石器は存在しないといわれていたが、日本の後期旧石器時代初頭にはこの石器が特徴的に存在する

切出形ナイフ形石器 

切り出しナイフに似た形の石器、後期旧石器時代後半期の初めに特徴的にみられる。

 

http://palaeolithic.jp/sites/iwajuku/index.htm

 

 

f:id:altairposeidon:20200906130328j:plain

https://www.mapion.co.jp/map/admi10.html

 

岩宿遺跡は、上図のみどり市群馬県みどり市笠懸町阿左美地内)の下部の袋状の真ん中あたりにあり、赤城山沼田市桐生市前橋市の境界当たりにある。みどり市とは、2006年に新田郡笠懸町、山田郡大間々町、勢多郡東村が合併して市となったものであり、周りは全て(栃木県も含めて)市となっている。市制を敷くにあたり市名を募集してみどり市となった訳だが、岩宿市とか赤城(orあかぎ)市などの方が親しみやすかったのではないのかな。岩宿遺跡みどり市!と聞くと、何か違和感を感ずるのだが。群馬県に赤城orあかぎの名を冠する市や町がないのは奇異な感じもするものである。

(続く)

究極の悪、石破茂(6)

石破氏「民主主義、正しく実現」 総裁選立候補を表明

安倍首相辞任へ 松山尚幹
2020
911655

 

  

写真・図版自民党総裁選への立候補を表明する石破茂元幹事長=2020年9月1日午後4時30分、東京・永田町、林敏行撮影

 

 自民党石破茂元幹事長(63)は1日午後、安倍晋三首相の後継を選ぶ総裁選に立候補することを正式に表明した。石破氏は自身が率いる石破派(19人)の会合後、記者会見を開き、「民主主義が正しく実現する自由民主党でありたい。そういう自由民主党をつくっていくために私は最大限の努力をする」と意欲を語った。

 石破氏は衆院鳥取1区選出で当選11回。防衛相農林水産相を務め、2012年からの第2安倍政権以降は党幹事長、地方創生相を務めた。総裁選への立候補は安倍首相と一騎打ちになった前回18年以来で、4回目となる。

 総裁選をめぐっては、岸田文雄政調会長63)が1日午後、立候補を正式に表明した。菅義偉官房長官71)も2日夕に表明する。(松山尚幹)

 

https://www.asahi.com/articles/ASN915JHZN91UTFK016.html?iref=comtop_latestnews_04

 

 

 

と言うことで、冒頭の総裁選の記事へと繋がるのであるが、これに対して小泉進次郎氏はどんな状況なのか、興味のあるところである。

 

進次郎氏は安倍首相の健康状態に関して、マスコミなどが面白おかしく(かどうかは知らないが)報道することは、好ましくないという意味で、「醜(みにく)い」と(8/25に)発言したようだ。

 

まあ、一国の総理の健康状態を、面白おかしく(かどうかは知らないが、そんな風に)マスコミが報道することは、この場合日本の政治・経済の動向に何らかの悪影響を及ぼす可能性があるので、良くないと言ったまでだろう。直接的にひどいとは言わずに、「醜い」と表現したものと小生は感ずるものである。

 

至極当然のことなのだと思う。しかしこのことが気に入らないと、坂上忍が吠えている様だが、一寸違和感がするのである。それほど吠えなければならない表現でもない、と思われるのだが。

 

 

 

坂上忍、安倍首相の健康問題で小泉環境相の「醜い」発言に憤慨…「腹が立ってて…この物言いは気に入らない」

20208271243スポーツ報知

 

f:id:altairposeidon:20200905155135j:plain

坂上忍

 

 27日放送のフジテレビ系「バイキング」(前11時55分)で、安倍晋三首相の健康問題について特集した。

 安倍首相は、28日に記者会見を開き、新型コロナウイルス対応を説明する方針で、自身の体調にも言及する見通しとなっている。官邸での記者会見が実現すれば、通常国会閉会翌日の6月18日以来となる。

 番組では小泉進次郎環境相が首相の体調について「今、様々な憶測に基づく議論やうわさ、根掘り葉掘り様々なことが出て、そして尾ひれがついていろんな事が出る状況は私は醜いと思います」と述べたことを伝えた。

 この発言にMCの坂上忍は「腹が立ってて」と明かし「醜いっていうのは、日本のトップリーダーの健康状態は国民にとって関心事であり、不安になるわけじゃないですか。だから知りたいわけなんです。でも知れないわけです。だから憶測が飛び交うわけじゃないですか。だからこそ明日総理が会見をなさるわけであって、僕ちょっとこの物言いは気に入らないんです」とコメントしていた。

 

https://hochi.news/articles/20200827-OHT1T50125.html

 

 

 

まあこの表現の何に気が障ったのかは知らないが、一寸読んだだけでは「憶測が飛び交っても仕方がない」と坂上忍は割り切って考えているようにも感ずる。こちらの物言いの方がひどいものではないのかな。

 

「憶測が飛び交っても仕方がない」とは思っているかどうかはさておいて、それよりもそのことが「醜(みにく)い」と表現するほどのことでは無いと、直感的に感じていらしゃっているのではないのかな。

 

しからば「醜い」というほどのことでは無いとすると、どのように表現するのか。というよりも、「憶測が飛び交って当然だ」と、多分感じていらっしゃるのではないのか。

 

これこそが傲慢のなせる業なのである、と小生には感ずるのであるが。

 

坂上忍はこのところ、TVなどで大きな顔をして吠えているようなので、かなり傲慢になっているのではないのかな。その傲慢さに、小泉進次郎氏という有名人の「醜い」という言葉が、刺さってしまったのかな、と感ずるのである。

 

普通に読めば、何ともない言葉なのだが、そのことに敏感に反応した、意識的に反応したのだろう。

 

 

丁度、立憲民主党石垣のり子参議院議員ツイートと同じものなのではないだろうか。

 

 

石垣のりこ

@norinotes

総理といえども「働く人」。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。 が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます

3:53 PM · Aug 28, 2020

https://biz-journal.jp/2020/08/post_176739.html

 

 

 

これに対して立憲民主党は、石垣のり子氏に対して、「厳重注意処分」を口頭で伝えている。

 

石垣のり子氏はそれなりに謝罪している様だが、リプライ欄には、批判もある反面、賛意を示すリプもあり、石垣のり子は心底から過ちとは認めていないようだ。

 

これでは野党の在り方が問われてしまう良い例となってしまうではないのかな。

 

 

石垣議員「体を壊す癖」投稿を改めて謝罪「拙い表現で反省」党から口頭厳重注意処分

2020.08.31

  

石垣議員「体を壊す癖」投稿を改めて謝罪「拙い表現で反省」党から口頭厳重注意処分

安倍晋三首相    

 立憲民主党の石垣のりこ参院議員が31日夜、ツイッターに新規投稿。28日に持病の潰瘍性大腸炎を理由に辞任表明した安倍晋三首相に関して「大事な時に体を壊す癖がある」などとツイートしたことから批判が殺到して同日深夜に謝罪後、改めてこの日、「拙い表現で反省」と謝罪した

 石垣氏は自身のアカウント(@norinotes)で「本日、我が党の福山幹事長ならびに長浜参院会長より『口頭厳重注意処分』を頂戴しました」と明かし、「私の発言は疾病やそのリスクを抱える方々に向けたものでは決してありません。しかし、解釈の余地を残す拙い表現で、意図せず傷つけてしまった方たちがおられることには、改めて深く反省しお詫びを申し上げます」(以上、31日午後8時51分投稿)とつづった。

 さらに、同氏は連続投稿。「今後は、表現をさらに洗練させることに努め、時代の空気に屈せず、また、権力に萎縮することなく、政治家として言うべきことは毅然と発言する姿勢を貫いてまいります」(31日午後8時51分投稿)と、自身の姿勢を貫く覚悟を示した。

 リプ欄には「怒りしか感じません」「安倍総理の事を言ったとしても、あの文面だと疾患を持つ者、病弱な方が全て対象です」といった批判の半面、「支持します。#石垣議員は辞職する必要ありません」「常識を逸する発言を自民党の副総裁をはじめ多くの方々がしているのでお気になさらず」「説明責任も果たさず無責任にも総理を辞任する安倍総理への国民の計り知れない怒りを国民の代わりに代弁してくれただけであり病気で苦しむ人達へ発言したものではない事は明らかにわかります」などと支持する声も相次いだ。

https://www.daily.co.jp/gossip/2020/08/31/0013653782.shtml

 

 

 

何はともあれ、困窮者に30万円給付を全員に10万円給付といとも簡単に替えられてしまった岸田文雄政調会長よりも、菅さんが良いよと安倍さんは言った様だが、菅義偉と言う人物は、どんな総理となるのであろうか、まあある種の楽しみがある。

(終わり)

究極の悪、石破茂(5)

橋下徹氏は、石破茂に対して離党を勧告している。そして野党の党首として頑張れと諭している。まあ、石破には、野党の党首の資質があるかは別として、それが相応しいのではないのかな。





橋下徹氏、石破茂氏に離党の勧め「野党に行って党首として自民と戦えばいいじゃないですか?」

2020911518分スポーツ報知 # 社会

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橋下徹

 

 

 1日放送のフジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」(月~金曜・後1時45分)では、安倍晋三首相(65)の辞任に伴う自民党総裁選の行方について特集した。

 この日の番組には元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏(51)が生出演。この日、自民党総務会が総裁選の党員投票見送りを決め、次期総理に菅義偉官房長官(71)が最有力に。出馬を明言している石破茂元幹事長(63)が早くも“敗色濃厚”となったことについて、「石破さんは1回、(自民党から)出ていますよね。1回、外に出ている人が戻ってきた場合、自民党の人たちは絶対、出世させないって思いますよね。そういうことをやらないと、どんどん勝手に出ていくじゃないですか? だから、組織を守るためにも絶対に石破さんを出世させないですよ」と説明。

 その上で「石破さんは国民的人気があります。もう、63歳ですか? 政治家人生って、もう20、30年とないので、石破さんみたいな立場になったら、僕なら外に出ちゃいますけどね。野党で勝負したらいいじゃないですか? 国民的人気があるんだから」と話し、「野党に行って党首として自民と戦えばいいじゃないですか? このまま、自民の中でこういう形で人生終わられるのなら、自分の政治家人生かけて野党で勝負して、国民に訴えかけたらと思いますけどね」と、石破氏に離党を勧めた。

 その上で「今の立憲民主や国民民主に石破さんみたいな国民的人気のある顔になる議員はいませんからね。立憲や国民にも石破さんに来て欲しい人はいるんじゃないですか?」と“受け皿”まで推測していた。

 

https://hochi.news/articles/20200901-OHT1T50162.html

 



これに対して日刊ゲンダイは辛らつだ。本当がどうかは知らないが、石破への切り崩しが進んでいるという。まあこの日刊ゲンダイはかなり偏向しているが、参照願う。





菅・二階“石破潰し”壮絶…推薦人集まらず総裁選出馬断念か

公開日:2020/08/31 13:50 更新日:2020/08/31 14:14

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菅・二階陣営の凄まじい切り崩し…(自民党の石破茂元幹事長)/(C)日刊ゲンダイ拡大する

「菅後継」の流れが強まっている“ポスト安倍”の自民党総裁選。ファイティングポーズを取ってきた石破茂元幹事長(63)が、突然、弱気になっている。不出馬も取り沙汰されはじめた。

 過去3回、総裁選に出馬している石破氏。安倍首相が退陣表明した28日にも「20人の推薦があれば、やらねばならない。そう遅くない時期に判断したい」と出馬への意欲を語っていた。


 ところが、30日出馬について、「党員が選んだという正統性がなければ、強力な政治を進める上でハンディになる」と、党員投票が実施されるかどうかを見定めてから判断する、と答えたのだ。党員投票が行われるフルスペックの総裁選が実施されず、両院議員総会で決まる場合は、出馬しないと宣言したも同然だ

 しかも、不出馬の可能性について問われると「いま、言及はしない」と言葉を濁す始末だった

 

 一体なにがあったのか。

「総裁選に出馬するためには、20人の推薦人が必要です。なのに、石破派は19人しかいない。そのうえ、メンバー19人のうち4~5人が、菅・二階陣営に切り崩されてしまったといいます。空手形の可能性もありますが、大臣ポストを約束された議員もいるようです。しかも、切り崩しは続いている。20人の推薦人を集められない可能性もある。石破さんの周辺は、両院議員総会だけで選ぶ総裁選なら出馬を見送ると、もっともらしい説明を用意しているようですが、出馬したくても足元を崩され、出馬できないのが実態でしょう」(自民党関係者)


 30日の石破派の会合も、出席者は10人前後だったという。派内では「あいつは裏切ったらしい」と疑心暗鬼が広がっている。

 ある石破派議員は、官邸サイドに「総裁選があっても、両院議員総会での選挙だったら石破は出ない。その代わりに石破派に大臣ポストを配分して欲しい」と持ちかけた、という情報も流れている。

 

 

「菅・二階陣営は、石破氏の出馬だけは潰したいようです。たとえ、菅さんが新総裁に選ばれても、支持率34%と国民人気1位の石破が党内選挙で敗れ、支持率14%(2位)と人気の劣る菅さんが勝利したら、菅政権は人気が出ない。ベストなのは、菅さんより支持率が低い岸田文雄(7%)との一騎打ちにし、菅さんが圧勝するシナリオです。これなら、国民の歓迎ムードを演出できますからね」(政界関係者)

 老獪な菅・二階陣営のシナリオ通りに進んでいる。

 

ポスト安倍のトップはダントツで石破元幹事長

 ポスト安倍のトップはダントツで石破元幹事長――安倍首相の突然の退陣表明を受けて行われた複数の世論調査で、こんな結果が出た。

 共同通信社世論調査(29、30日実施)で「次期首相に誰がふさわしいか」と聞いたところ、石破元幹事長が34.3%でトップとなり、菅官房長官14.3%、河野防衛相13.6%を大きく引き離した。2018年の総裁選で、安倍に党員らによる地方票で善戦した石破氏への期待の高さが表れた格好だ。4位以下は小泉環境相10.1%、岸田政調会長.5%の順。


 日本経済新聞社テレビ東京世論調査(29、30日実施)でも「次の首相にふさわしい人」のトップは石破で28%。以下は河野15%、小泉14%、菅11%、岸田6%と続いた。自民支持層に絞って分析すると、石破28%、河野18%、菅16%、小泉13%、岸田9%だった。

 自民党総裁選が国会議員票や各都道府県連票だけで行われ、国民や一般党員の抜きんでた支持が集まる石破氏がはずれ、人気のない菅氏と岸田氏の争いとなれば、国民はドッチラケ

 どちらが勝っても“談合総理”のそしりは免れない。

 

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/278033/4

 

 

 

世論調査では断トツでも、今石破は、眠れない夜を過ごしているのではないのかな。

 

「不実、不公正、無責任」ではあるが、今迄のいきさつ上立候補しない訳にはいかないのだ。

9/1に正式に立候補を表明している。しかし何も言うことがないのか、「民主主義を正しく実現したい」などと屁にもならないことを掲げている。どうせならアベノミクスに代わるイシバミクスを象徴的に掲げるなどの工夫が必要だったのではないのかな。それがないと言うことは、特に主義主張がない、と言うことなのだ。一応人気投票では断トツだと言うが、国民には「不実、不公正、無責任」振りが分かっていないかも知れない。だから人気投票は当てにならないというのだ。

(続く)

究極の悪、石破茂(4)

(これは2018.9.16,17,22の「究極の悪、石破茂(1~3)」の続編として投稿しているので、そのつもりで読んでほしい。)

 

安倍晋三内閣総理大臣が辞任の意向を表明した。

正式には828日の午後3時からの自民党臨時役員会で、その旨伝えている。

但し同日午前10時過ぎ閣議後のコロナ対策予備費に関する会議後、麻生副総理兼財務大臣2人だけで会談し、その場で辞任の意向を始めて話したとみられる。

午後2時頃には、自民党本部で二階幹事長ら党幹部と会談し、その場でも辞任の意向を説明したものと思われる。

この頃から各TVが一斉に、その旨を報道し始めたようだ。

午後3の臨時役員会、そして828日午後5首相官邸での記者会見だ。前半はコロナの話、そして後半は辞任表明の話となった。悔しさは如何ばかりであろうか、察するに余りある。



「くやしくはないですか」などと声掛けをした馬鹿な女記者がいたが、こいつは礼儀をわきまえていない頓馬な輩なのであろう。「お疲れさまでした」くらいの声かけは出来なかったのか。



安倍首相は、次期総裁、総理が決まるまでは首相の座に止まると表明している。潰瘍性大腸炎の再発の病を押して、その座に止まると言う。コロナ対策もさることながら、きっと日本領土である「尖閣諸島」への中国人民解放軍の侵略を阻止するために、一時の空白もあってはならないという危機感からの決断であろう。



自民党92日の午後1時からの臨時総務会で、総裁選については、98日告示、914日午後に投開票という日程を決めた。総裁選は党員投票を省略した簡易型で行うことになった。緊急を要することなので、当然のことである。



石破茂やあの小生意気な小泉進次郎までもが、全党員の投票で決めよ、それが真の民主主義だ、などと戯(たわ)けたことを言っていた。この簡易型の選挙も民主的に決められたもので、真の民主主義なのだ。



総裁選の候補者は、最新のニュースでは、次の3人に絞られている。



自民党総裁選、14日投開票 党員投票省く「簡易型」で

安倍首相辞任へ

清宮涼

2020年9月2日 11時48分

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自民党総裁選の仕組み

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自民党総裁選各派閥の支持動向

 

自民党2日午前、辞任表明した安倍晋三首相自民党総裁)の後継を決める総裁選に向けた選挙管理委員会の初会合を開き、8日告示、14日投開票とする日程を決めた。午後の臨時総務会で正式決定する。

 

 委員長には野田毅・元自治相(当選16回・石原派)を再任。全国の党員・党友投票を省き、投票権を国会議員と都道府県連の代表者に限る「簡易総裁選」とすることも確認した。

 

 394の国会議員票と、都道府県連代表に割り当てられた141で選出する。1日に開かれた党総務会では、小泉進次郎環境相らが「開かれたプロセスが民主主義として大事だ」などとして党員投票の実施を求めたが、執行部は「政治空白は一刻も許されない」(二階俊博幹事長)として押し切った。ただ党内の反発を受け、各都道府県連に予備投票などをして事前の意見集約をるよう求めた。県連が予備投票をする場合には、党本部が資金援助する。

 

 総裁選の告示から投開票までは7日間となり、小泉純一郎総裁が選出された2001年以降、無投票の総裁選を除いて最短となる。総裁選には菅義偉官房長官石破茂元幹事長、岸田文雄政調会長の立候補が確実視されている。

 

 菅氏は2日午前の記者会見で、「今日、私も総裁選に向けての会見を行いたい。内容については会見の時にしっかり申し上げたい」と話した。1日の「石破氏、岸田氏の会見を聞いたか」とも問われ、「私は聞いていない。新聞報道で記事を見た」と述べた。(清宮涼

https://www.asahi.com/articles/ASN923R8KN92UTFK006.html

 

 

2018.09.16のこのブログ「究極の悪、石破茂」で述べているように、石破茂は「不実、不公正、百万円」のオンパレードだ。2008年のイージス艦「あたご」が小型漁船と衝突した時の石破防衛大臣の責任逃れに終始した立ち居振る舞いは、目に余るものがあった。

 

これで石破の「不実、不公正、無責任」の再現だ。

 

何と言っても、過去には1993年に自民党が野党に転落した時には、石破は「私は政権与党にいたい。自民党の歴史的使命は終わった」と離党して小沢の元に走っている。しかし1996自民党が復活し出すと新進党を離党し、1997年には何食わぬ顔をして自民党に復党している、という事実は、石破の「不実、不公正、無責任」その物だ。このように、石破は信用できない人物なのだ。復党を受け入れた自民党自民党だ。



そんな石破が自民党総裁選に立候補している。それに対してあの「杉村太蔵」が吠えたのだ。



杉村太蔵ポスト安倍で「絶対ならない」一人を明かす「それはね、石破茂さんです」

2020年8月30日 12時12分スポーツ報知 # 社会

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杉村太蔵

 30日放送のTBS系「サンデー・ジャポン」(日曜・前9時54分)では、安倍晋三首相の辞任表明について特集した。

 リモート出演した元衆院議員でタレントの杉村太蔵(40)はポスト安倍について「誰になるかわかりません」とした上で「この人だけは絶対ならないだろうなという方は一人いますよ」と語り出した。

 その人物を「それはね、石破茂さんです」と明かし「やっぱり振り返りまして石破さんは今回、安倍さんを相当追い詰めたと思いますよ、背後で。しかも、至近距離で何十発も打ち込んだと本来、コロナという見えない敵に立ち向かっているところに、一緒に頑張っていただけなければいけない」と理由を説明した。

 さらに「石破さんは自分が総裁になったら、今度は私に協力してくれっていうんですよ。そんな道理が成り立つわけない。ポスト安倍というのは僕はあり得ないと思います」と一気に話した。

 この発言をスタジオで見ていた元衆院議員の金子恵美氏(42)も「その通りですよね」とうなずいていた。

https://hochi.news/articles/20200830-OHT1T50082.html

(続く)

日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(29)

ここからは、いわば第二部となる。

 

 

仮に、

第一部を、「渡来人はなかった」が中心テーマであったとすれば、

第二部は、「日本人はどこから来たのか」がテーマとなろう。

 

と言うことは、ホモ・サピエンス、現生人類の誕生から地球上での拡散の話に繋がってゆくことになる。

 

ホモ・サピエンスは、専らアフリカで生まれたことになっている。どのようにして生まれたのかは、定かではないが、生まれ故郷のアフリカから地球上の各地へ散らばっていった、と言われている。

 

Wikipediaによれば、人類は、と言えるかどうかはわからないが、猿人、原人、旧人、新人(ホモ・サピエンス)へと進化していったと言われている。猿人の前には、類人猿があったかも知れない。これらの種がどのようにして、枝分かれしていったかは、小生にははっきりとは解らないが、20万年前とも、30万年前ともいわれているころに、ホモ・サピエンスは誕生したようだ。

 

海部陽介の「日本人はどこから来たのか?」(文芸春秋社)やWikipediaによれば、次のようになっているようだ。この書には、海部陽介国立科学博物館人類史研究グループ長だと記載されている。その道の専門家なのだ。

 

猿人 700万年前(初期半樹上)・420万年前(後期地上)、アフリカ大陸のアウストラロピテクス属。

    200万年前~100万年前にユーラシアへ。

原人 250万年前登場。北京原人ジャワ原人。脳容積は千mlで猿人の2倍。礫石器・火の使用

旧人 80万年前登場。ネアンデルタール人。脳容積は1.3~1.6mlで現世人類とほぼ同じ。

新人 20万年前登場。7~6万年前出アフリカ。南ルート、北ルート、西ルートの3ルートで拡散。

    オーストラロイド(南)、モンゴロイド(北)、コーカソイド(西)、ネグロイド(非出アフリカ系)



Wikipediaによれば、現生人類は、猿人、原人、旧人、新人と進化してきたという事のようだが、尤も色々と枝分かれしながら進化しているようなので、猿人→原人→旧人→新人と連続的に進化したと言う訳ではなさそうだ。

         

例えば、旧人から新人が進化したのではなくて、共通の祖先から旧人が枝別れし、その共通の祖先から新人が進化すると言った複雑な進化をしてきたものであろう。だからネアンデルタール人とクロマニオン人・新人との異種交配も可能だったかもしれないのだ。

 

一応ホモ・サピエンスはアフリカ単一起源説が主流となっている。そのホモ・サピエンスオーストラロイド(南)、モンゴロイド(北)、コーカソイド(西)、ネグロイド(非出アフリカ系)と、進化していったものである。そうでなければDNAの共通性の説明は難しいのである。     

 

 

ホモ・サピエンス

   起源[編集]

     古人類学では、ホモ・サピエンスの起源でアフリカ単一起源説多地域進化説英語版)の2つの仮説が長年激しく対立したが、現在はアフリカ単一起源説が主流である。更新世が始まる250万年前から現在まで、世界中の各地域で人類がそれぞれ独自に進化してきたとする多地域進化説は、ミルフォード・H・ウォルポフ英語版[6]が人類の進化を説明するため、1988[7]に提唱した。

人類が共通の祖先を持つとする仮説は、1871チャールズ・ダーウィンが著した『人間の由来英語版)』の中で発表された。この説は古い標本に基づいた自然人類学上の証拠と近年のミトコンドリアDNAの研究の進展により、1980年代以降に立証された。遺伝的な証拠や化石の証拠によると、非現生人類のホモ・サピエンス20万年前から10万年前にかけておもにアフリカで現生人類へ進化したのち、6万年前にアフリカを離れて長い歳月を経て世界各地へ広がり、先住のネアンデルタール人ホモ・エレクトスなどの初期人類集団との交代劇を繰り広げた。

           現生人類すべての起源が東アフリカにあるとする説は、科学界でほぼ合意[8][9][10][11][12]されている。

       ネアンデルタール人ゲノムを解析した研究チームは、ヒトとネアンデルタール人DNAには一部重複があり、ヒトを非アフリカ人とアフリカ人にグループ分けすると、前者は後者よりもネアンデルタール人に近い、という解析結果を提示した。そしてこのことから、ヒトがアフリカから各地に散らばる時期に、ネアンデルタール人からの遺伝的フロー(異種交配)があったと見るのが有力だとしているが、それ以外の可能性も排除はできないとしている[13]ケンブリッジ大学Anders ErikssonAndrea Manicaネアンデルタール人とヒトとの交配説に疑問を呈し、DNAの重複はネアンデルタール人と現生人類の双方の共通の祖先の名残りとする仮説に基づいたシミュレーションにより、その仮説はDNAの重複を説明できるとする研究結果を20128月に発表[14][15]した。

     進化[編集]

詳細は「人類の進化」を参照

ヒト属チンパンジーの共通祖先が分岐したのはおよそ200-1,000万年前ホモ・サピエンスホモ・エレクトスの共通祖先が分岐したのはおよそ20-180万年前と見られている。

     現生人類はホモ・サピエンス種である。そして、そのうち唯一現存する亜種はホモ・サピエンス・サピエンスとして知られる。他の既知の亜種であるホモ・サピエンス・イダルトゥはすでに絶滅している[16]。一時期、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスと呼ばれて亜種に分類されていたネアンデルタール人3万年前に絶滅している。遺伝学研究は現生人類とネアンデルタール人の共通祖先がおよそ50万年前に分岐したことを示唆する[17]

               現生人類の最も古い化石は、エチオピアオモ遺跡英語版)から発見されたおよそ195,000年前のものとされて来たが、2004年にモロッコJebel Irhoudの地層で発見された、頭蓋骨及びその同年代のもの思われる複数の石器がおよそ30万年前のものであると結論づけられ、20176月のNatureに発表された。分子生物学の研究結果からすべての現生人類がおよそ20万年前アフリカ人祖先集団に由来するとした証拠が示されている[18][19][20][21][22]が、それより10万年ほども古い化石が発見されたことで、今後のさらなる研究が待たれる。アフリカ人の遺伝的多様性に関する広範な研究から、14の「祖先集団クラスター」に由来するサンプリングされた113の様々な集団のうち、サン人の遺伝的多様性が最も高いことが判明している。また、この研究報告は南西アフリカのナミビアアンゴラの沿岸境界近くが現生人類の移動の起点だとしている[23][24]

  直近15000年のゲノムを解析した結果、ヒト個体群の自然淘汰が現在も作用を続けていることが判明している[25]

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ホモ・サピエンス

 

これまたWikipediaと先の書を参考に、地質時代石器時代の対応表を次に載せる。

(続く)

日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(28)

司馬遼太郎先生と街道をゆくから、司馬遼太郎の言葉を抜き出して、一覧にしてみる。

 

 

「日本人はどこからきたのでしょうね」

 

しかしこの列島の谷間でボウフラのように湧いて出たのではあるまい。

 

はるかな原始時代には触れぬほうが利口であろう。

 

しかしわれわれには可視的な的な過去がある。

 

それを遺跡によって

見ることができる。

 

となれば日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきたことは紛れもないことである。

 

日本人の血液の6割以上は朝鮮半島をつたってきたのではないか

 

「日本人の血液の六割以上は朝鮮半島をつたって来たのではないか」というと

「九割 いやそれ以上かもしれない」

 

ともあれ縄文、弥生文化という可視的な範囲で

われわれ日本人の先祖の大多数は朝鮮半島から流れ込んできたことは

否定すべくもない。

 

 

 

これが大いなる間違いであることは、既に証明済みである。長浜浩明氏は、次のように言っているのである(先の書P3)。

 

一万数千年前から日本列島を版図として活躍してきた縄文時代の人たちの行動範囲は玄界灘を越え、朝鮮半島まで及び、その時代の人たちの血が、今の韓国人の血の中に流れ込んでいたことになる。しかもこのことが、最新のDNA研究から解明されたというのだ。ならば先の司馬のいい様は、次のように言い換えなければならない。

 

として、次のように言い換えている。

 

 

韓国人はどこからきたのでしょうね」

 

しかしこの半島の中ボウフラのように湧いて出たのではあるまい。

 

はるかな原始時代には触れぬほうが利口であろう。

 

しかしわれわれには可視的な的な過去がある。

 

それを遺跡によって

見ることができる。

 

となれば韓国人の血液のなかの有力な部分が、玄界灘を北上して日本から大量に流入した縄文時代の人たちに依ることは紛れもないことである。

 

韓国人の血液の6割以上は玄界灘を北上して行ったのではないか

 

韓国の血液の六割以上は玄界灘を北上して行ったのではないか」というと

「九割 いやそれ以上かもしれない」

 

ともあれ縄文、弥生文化という可視的な範囲で

韓国人の先祖の大多数は日本から流れ込んできたことは

否定すべくもない。

 

 これがDNAや考古学から見た日本人と韓国人の関係なら、「日本人の主な祖先は朝鮮半島から流れ込んできた」なる見方は誤りとなる。

 今の日本人と韓国人のDNAが似ているのは、渡来人が朝鮮半島からやって来たからではなく、縄文時代から多くの人たちが玄界灘を渡って朝鮮半島南部へ進出し、千年を遥かに上回る期間そこに流入し、住み続け、往来し、かなりの韓国人の祖先となっているからだ、となる。

 

 

これが現実であり、歴史的な事実なのである。

 

それが長浜浩明氏の「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」(展転社)である。

 

 

ここで一つ追記しておこう。

 

それは、埴原和郎の「二重構造論」・百万人渡来説である。

 

埴原和郎は、弥生時代の初めに日本人の骨が急激に変化(大きくなった)したことから、「渡来者の数は相当多かったに違いない」と推定した。そしてその数が、何と百万人と言うのだ。

 

これは間違った計算をしているのであり、パラメーターである人口増加率を任意に推定して計算したものであった。だからどうにでもなるものである。

 

だから今では、埴原和郎の「二重構造論」・百万人渡来説は、誰も信用していないようだ。

詳しくは、先の書(P135~)を参照願う。

 

 

さて一万数千年に亘る縄文時代を平和裏に生き抜き、弥生時代へと移っていった日本列島人は、どこから来たのであろうか、という疑問、というよりも興味が湧くのである。

 

幸いなことに、日本列島には一万数千件の旧石器時代の遺跡が存在しているという。

 

 

日本列島には旧石器時代から、ホモ・サピエンス、現生人類、人間が活動していた訳だ。

 

ここからは、いわば第二部となる。

(続く)