次世代エコカー・本命は?(48)

何はともあれ、ホンダのFCVの発売には目途がついたが、GMなどはどんな状況であろうか。そしてVW燃料電池車はどうであろうか。VWFCVの航続距離は500kmだと言う。水素タンク4本をリアに搭載している。そして現実問題として水素ステーションの構築もさることながら、水素そのものの生産が問題だと疑問を提起している。その通りだ。だからVWは水素の生産が軌道に乗らなければ、水素燃料電池車は販売を開始しないのではないのかな。VWよりもベンツの方が早く販売を開始するのではないのかな、とも勘ぐれる。2014.12.22NO.20でベンツのNECAR 5 と言うFCVを紹介したが、これはほぼ量産段階となっている筈だ。

 

フォルクスワーゲンが水素で走る燃料電池車を発表 ― スポーツワゴン「ゴルフ ハイモーション」

http://ennori.jp/)  20141121日(金)19:10

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(えん乗り [乗り物ニュース]) 

燃料電池を搭載した研究車両、フォルクスワーゲンゴルフ ハイモーション」がロサンゼルスモーターショーで公開された。


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燃料電池は、水素と酸素を化学反応させることで発電し、水を排出する。この「燃焼を行なわない」プロセスにより、電気モーターを駆動するエネルギーが生成され、ゼロエミッションによる走行を可能にする。

燃料電池を搭載した「ゴルフ ハイモーション」は、0-100km/h 10秒で加速する。燃料となる水素は、カーボンファイバー製のタンクに貯蔵されており、水素の充填は3分で完了。走行可能距離は500km に達する。


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   前輪にモーター、後輪にFCスタックを載せる。


競合メーカーが燃料電池を搭載した専用車種を開発する中、フォルクスワーゲンは、既存の量産モデル燃料電池を含む代替駆動パワートレインを採用する戦略を推進している。現在、同社では「パサート」をベースに、「ゴルフ ハイモーション」と同じ駆動コンポーネントを用いた研究車両「パサート ハイモーション」を何台か製作しており、米国カリフォルニア州の公道でテストを実施しているという。

フォルクスワーゲン燃料電池車の販売開始のタイミングについては、研究開発をすべて完了し、一般の消費者が購入可能な価格帯となること、そして何よりも水素インフラの整備が必須だと述べている。それには、水素燃料ステーションの広範囲なネットワークの構築だけでなく、水素そのものの生産も課題になるとしている。

http://news.goo.ne.jp/article/ennori/trend/ennori-2289.html

 

このVW燃料電池車のシャシーの透視図を見ると、意外と燃料電池スタックの小型化に成功しているようだ。トヨタ「ミライ」はこの位置にニッケル水素バッテリーを搭載している。回生ブレーキからも電気を作っているから、当然それを蓄えておくバッテリーが必要となるし、燃料電池からの電気も駆動用以外の電気はバッテリーに貯めておかなくてはならないのだ。ある意味VWトヨタが準備してくれた水素インフラに、「ゴルフ ハイモーション」を投入するつもりのようだ。VWも意外と、と言うよりも本当に狡猾なのであろう、ことFCVに関しては人のふんどしで相撲を取るつもりのようだ。VWグループのAudi社の「A7 Sportback h-tron」と言う燃料電池車はVWと共通するパーツもあるようで、市場投入はVWと全く同じ考えで直ぐにはやらないと言う。(http://techon.nikkeibp.co.jp/article/EVENT/20141120/389954/?rt=nocnt

 

話は違うが、日中戦争原因ともなった第2次上海事変は、中国に入り込んでいたドイツ軍事顧問団がそのシナリオを作り、中国国民党に「攻めるべき敵は日本国ただ1つ」と吹きこんでいたのである。表向きは日本と友好関係を結びながら、裏では、そのためドイツは自国の軍需産業を中国向けの武器などの輸出基地と看做して、最新式の武器やシステムを売りつけていたのである。ドイツ軍事顧問団のゼークト将軍やその後を引き継いだファルケンハウゼン将軍は、中国国民党に対日戦争の準備を、完全にさせていたのである。しかし蒋介石はそれには乗らずに共産党撲滅を優先させたかった(特に日本や日本軍は敵ではなかった)が、国民党軍に潜んでいた軍幹部の隠れ共産党員の張治中南京上海防衛司令官)が、日本を蒋介石の国民党軍と対峙させようとして、日本の上海租界を攻撃してきた事から始まってしまったものなのである。当時としてはまだ弱かった中国共産党軍への蒋介石軍の矛先をそらして、時間稼ぎをするためであった。

 

中国軍は上海の後方にドイツ軍事顧問団の指導で作った「ゼークトライン」と言う強固なトーチカにこもり、しかも当時としては最新式のチェコ製機関銃で日本軍に反撃したのであるが、日本は多数の犠牲を払いながらこれを撃破し日本居留地を守ったのであるが、中国軍は南京城に逃げ込み更には軍服を脱ぎ捨てて便衣兵となり日本軍へゲリラ戦を仕掛けてきたのである。しかもその司令官であった唐生智は多くの将兵の南京場内の残したまま敵前逃亡してしまったのである。しかしこの行動も織り込み済みのことで、このゲリラ活動を中国は宣伝活動ネタに使ったのである。南京では日本軍による虐殺などは一切なかったことなのであるが、これをドイツ人のジョン・ラーベジーメンス社の南京支社長)やマンチェスターガーディアンの特派員であったティン・バーリらが、虐殺があったとする捏造した書物「戦争とは何かを、中国国民党中央宣伝部に頼まれて発行したのである。しかし張本人の1人であった「ジョン・ラーベの日記」には虐殺の事実は一切記載されていない。

 

まあ事ほど左様にドイツと言う国民は、傍から見るほど信用のおける民族ではないのであろう。ユダヤ人のホロコーストを見ればよく判る。それにあの三国干渉にもドイツは拘わっていたのであるから。

第2次上海事変などの小生のブログは、2014.10.27の「ブログ・テーマ一覧」などを参照してアクセス願う。

 

まあ話は横道にそれてしまったが、事ほど左様にドイツ人という人種は信用ならないものと、心得ていたほうが良い。FCVでもドイツは狡猾な手に出てくるものと、認識しておく必要があろう。

(続く)