続・うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(106)

このように日本が朝鮮を中国の属国から解放してやったにも拘らず、中国の勢力下に入ろうとする意志を顕わにしている、様に見える。橋梁国家とは、平たく言えば中国大陸に属する国となると言う事であり、中国の勢力下にはいると言う事である。その地政学的変動を主張をする論考も見受けられる。

 

 

 

【世界裏舞台】佐藤優 地政学的変動と日韓関係

2019.9.15 14:15 政治 政策

 
日韓首脳会談に臨む安倍晋三首相と韓国の文在寅大統領(左)=平成30年5月(春名中撮影)

 

 韓国の産業通商資源省が(9月)11日、7月に日本が始めた半導体材料3品目の韓国向け輸出管理の厳格化措置に関して、「韓国を直接的に狙った差別的措置」であるとして世界貿易機関WTO)に提訴した。8月22日に韓国が日本と結んでいる軍事情報包括保護協定(GSOMIA(ジーソミア))の破棄を決めたことと併せて考えると、経済、安全保障の両面で韓国はもはや友好国とは言えなくなっている

 

 日韓関係が悪化した背景には、構造的要因がある。過去の植民地支配(★1に対する日本の認識が不十分であるとの指摘があるが、このような不満を韓国は以前から持っていた。なぜ、今、それが爆発したのかという理由を植民地支配の負の遺産だけで説明することはできない。韓国に経済力がついたこと(★2も構造的要因の1つだ。

 

 日韓基本条約が締結された1965年時点の1人当たりのGDP(国内総生産)を比較すると、韓国が約100米ドル、日本は約900米ドルだった。それが2018年時点では韓国が3万1000米ドル、日本が3万9000米ドルだ。しかも韓国の方が物価が安いので、皮膚感覚での生活水準は同レベルになる。

 

 ビジネスや観光で来日する韓国人は、「生活水準のレベルが同じであるにもかかわらず、国際社会で韓国の影響力が日本よりもはるかに低く評価されているのは不当だ」という認識を抱く。そこから、日韓基本条約とそれに付随する請求権協定が、日本に比して国力が圧倒的に弱かった時点での韓国に押しつけられた不平等条約のように見えてくる。国力に応じて、日本とのゲームのルールを見直すべきだという認識を韓国人は抱いている(★3のだと思う。

 

 さらに北東アジア地域における地政学的変動が日韓関係悪化の背景で無視できない要因になっている。

 

 地政学では、世界は大陸国家と海洋国家に区別される。大陸国は、軍事力を背景に支配する領域を拡大することで国力の増強を図る。これに対して海洋国家は、経済力を強化し、貿易によるネットワークを地球的規模で形成することによって国力の増強を図る。日本、米国、英国は典型的な海洋国家で、中国、ロシアは典型的な大陸国家だ。

 

 ちなみに半島国家は、大陸国家と海洋国家の要素を併せ持つ。ただし、韓国は通常の半島国家と異なる特殊な要因を持っていた。1953年の朝鮮戦争休戦協定により北緯38度線付近に軍事境界線が設けられ、ヒト、モノ、カネの移動ができなくなった。その結果、韓国は大陸から切り離され、地政学的には島になり、経済を発展させ貿易立国の道を選んだのである。韓国は地政学的に米国、日本と同じ海洋国家戦略をとることになったのだ。

 

 しかし、2018年6月12日の米朝首脳会談後、朝鮮半島の緊張緩和の方向が明確になり、近未来に朝鮮戦争終結し、北緯38度の軍事境界線が撤廃される見通しが出てきた。

 

 この展望を踏まえて、韓国が地政学的に本来の半島国家に回帰しつつある。具体的には、韓国が中国に引き寄せられているのである。その結果、韓国、中国、北朝鮮が連携して、日本と対峙(たいじ)する構図が生じつつある。

 

 韓国が日本との関係悪化を恐れなくなったのも、中国が後見してくれることを地政学的に見通しているからだ。中朝韓の連携に楔(くさび)を打ち込む戦略的な外交を、タフネゴシエーターとして有名な茂木敏充新外相が展開することを期待する。

 

 日韓関係が改善するタイミングは、日朝国交正常化交渉が本格化するときだ。1965年の日韓基本条約にある第3条では、〈大韓民国政府は、国際連合総会決議第百九十五号(III)に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される〉と規定されている。

 

 日本が北朝鮮と国交正常化するということは、朝鮮においては大韓民国だけでなく、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)も合法的政府であることを認めることになる。従って、日韓基本条約の改定が不可欠になる。このときに日韓関係が全面的に見直され、新たなゲームのルールが構築されることになる。

 

https://www.sankei.com/politics/news/190915/plt1909150007-n1.html

 

 

 

この論考の著者である佐藤優は、同志社大学の大学院神学研究科の博士前期課程を1985年に修了した神学修士であると、Wikipediaには記載されている。その後19854月にノンキャリアの専門職員として外務省に入省する。そしてイギリスやロシアで英語やロシア語を学び、1988年から1995年までソ連・ロシアの日本国大使館に勤務し、19918月のクーデターでは、ミハイル・ゴルバチョフ大統領の生存情報をいち早く取得し、日本に連絡する。この情報はアメリカよりも早かったために、アメリカをあっとて言わせたものであった。1998年、日本に帰任後は、一般職員からキャリア扱いとして登用されている。

 

19919月に、日本はバルト三国を独立国と承認し特使として派遣された鈴木宗男の通訳や所手配の役を務めたことから、佐藤優鈴木宗男の関係が築かれる。リトアニアカウナスの元総領事の杉原千畝の名誉回復も外務政務次官であった鈴木宗男と共に尽力している。

 

Wikipediaを読む限りにおいては、この佐藤優は相当活動的な人物で、外務省はこのようなある意味有能な人物を使いこなす力量を養う必要があったのではないのかな。

 

但しこの佐藤の論考については、二、三、小生には言いたいことがある。

(続く)