纏向遺跡と邪馬台国(日本古代史の謎)(43)

縄文晩期には既に本格的な水田耕作が行われていたことは、北九州の福岡市の板付遺跡佐賀県唐津市菜畑遺跡から本格的な水田稲作の遺跡が発掘されていることからも明らかである。 

 

詳しくは小生のブログ「日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。 (NO.7~10)」(2020.8.4~7)などを参照願う。 

 

 

木花之佐久夜毘売の父である大山津見神も、高天原系の神であり、大山とは「富士山」のことを示しているものであるが、ニニギノミコトコノハナノサクヤヒメと結ばれるということは、この高天原直系の神が葦原の中つ国の人間社会へ、将に移り住んでゆくことを物語っているものである。 

 

ここで簡単に「海幸彦・山幸彦」物語を述べておこう。 

 

 

事の起こりは、弟の火遠里命(ホオリ、山幸彦)が兄の火照命(ホデリ、海幸彦)に、お互いの道具を交換して仕事を変えてみようと提案したのです。兄のホデリは三度断っているが、ホデリ・海幸彦は釣り針をホオリ・山幸彦に貸してしまう。 

 

ホオリ・山幸彦は海に出るが、一匹も釣れずにしかもその釣り針を無くしてしまう。ホオリ・山幸彦は自分の剣を壊して沢山の釣り針を作って償うが、兄のホデリ・海幸彦は許してくれない。 

 

ホオリ・山幸彦は海辺で泣き悲しんでいると、シオツチ・塩椎神が来て、小舟を作りホオリ・山幸彦を乗せて海に送り出す。ホオリ・山幸彦は無事、綿津見之神の宮へ行き着くことになる。この宮は、いわゆる龍宮(城)である。 

 

そこで海神の娘である「豊玉毘売命トヨタマヒメ」と出会い、父である綿津見之神はホオリ・山幸彦を尊い御子と見抜き、ホオリとトヨタマヒメは結婚することになる。 

 

その書のP159~160には、鹿児島神宮には、天津日高彦穂穂出見尊・ホオリ(山幸彦)豊玉毘売命トヨタマヒメ主祭神として祀られており、 

 

神社そのものは後にできているわけですが、それらの神がこの地におわすということは、既にその前から、一つの土地の記憶として残されていたと考えられます。 

ニニギノミコトの息子とその妻がこの地にいたことを鹿児島神宮は示しています。これは、日高見国の神々は、鹿島を出発して鹿児島に到着したのだということを鹿児島神宮が示しているということでもあります。このことひとつをとっても、わたしの説つまり、天孫降臨は関東から九州鹿児島への天降りであるという説は裏付けられるでしょう。 

 

と記載されているので、天孫降臨・天降りとは、海降りであり東日本・日高見国が、ある意味存亡を懸けて西日本を守るために西日本への大航海に乗り出した物語であったのであろう。 

 

そのような背景がなければ、大それた天孫降臨などと言う話は、記憶には残っていなかったであろう。 

 

 

火遠里命(ホオリ、山幸彦)と豊玉毘売命の間には、ウガヤフキアエズノミコトが生まれる。後の神武天皇の父親である。母方は豊玉毘売命の妹の玉依毘売命である。ここからは、御皇室の話となってゆくのである。 

 

 

さてここで一応「天地初発之時」からの系譜をたどってみたいので、簡単にまとめておく。 

(続く)