ALPS処理水放出と習近平の凋落(67)

ずさんな「千年大計」 

 

 さらに、深圳特区を建設した時代とは条件がかなり違った。深圳特区が驚異の発展を遂げ成功したのは、まず自由主義経済が一国二制度で担保されていた当時の香港に隣接していたという地理条件がある。2つ目に全国の資源を深圳に集中できたことだ。 

 

 その深圳への資源の集中は行政命令によるものではなく、深圳ならば金もうけができると信じた企業や人たちが自然に集まってきた結果だった。当局が行ったのは税金や、香港との通関手続きの簡素化、投資の条件に関する特例措置や政策を打ち出しただけだ。
 
 雄安新区が設立された2017年は、全国各地ですでに18の新区が乱立しており、保税区、各種開発区として、雄安ならではの「うまみ」は突出したものではなかった。地理的に北京に近すぎるのは、むしろ欠点だった。北京との違い、差別化がうまくできず、むしろ政治の街、北京のような管理統制の厳しさがコピーされた。 

 

 雄安新区はスマート化をうたい文句にしていたが、それはデジタル・レーニン主義的監視管理を実施するということでもあり、決してそれがビジネスにとって魅力的というわけではない。ビジネスに必要なのは、むしろ自由と法治、公正なルールだ。 

 

鄧小平が主導した深圳の街並み(写真:Top Photo/アフロ、2021年)ギャラリーページへ         

 

 深圳が自由都市・香港のゲートウェーだったのに対し、雄安は北京のデジタル・レーニン主義実験都市であった。一部中央企業や大学、研究機関が行政命令に従ってしぶしぶ雄安に移転したとしても、北京に住む人や企業が北京戸籍を捨ててまで、移り住むほどのビジネスチャンスや魅力を感じるような仕様にはなっていない 

 

 そもそも地理的条件が整っている直轄市の天津の経済開発区や濱海新区ですら、北京に近すぎることが原因で十分に発展できず、ゴーストタウンを抱えている。雄安新区建設よりも、先に解決すべき爛尾プロジェクトは山のようにあった。 

 

 このように、雄安新区プロジェクトは今のところ誰がみても失敗なのだ。習近平が心血傾けた千年大計というわりにはずさんなプロジェクトで、その理由が「習近平が自ら発案、計画、指導」して、専門家の意見に耳を貸さないで決めたのだとしたら、この失敗の責任は習近平が負うべきものだろう 

 

もはや為政者としての能力不足を隠蔽できず 

 

 だが、習近平政権3期目続投で、その個人独裁体制がさらに継続することになったため、誰もその失敗の責任を指摘できず、失敗そのものを隠蔽するしかない状況となった。その隠蔽のために、河北省涿州の多くの部分を水底に沈め、その犠牲者の数を含めて、その災害の大きさを隠蔽した。 

 

 こうした当局者の失敗は、これまでも繰り返しの隠蔽されてきた。だが、現代は農村の都市化が進み、犠牲を強いられる人口も増え、なにより地方の人たちの権利意識の向上とスマートフォンの普及で、このひどい状況を世界に発信できるようになった。失敗を隠蔽するために、より多大な犠牲と被害を出し、国内外に発信されることで、むしろより多くの人たちが雄安新区の失敗の深刻さを認識するに至った。 

 

 河北省当局は11日の段階で直接経済損失を958億元と推計し、水害で被害を受けた町の再建には2年かかるとしている。だが、おそらく雄安新区は2年たってもゴーストタウンのままだろう。そして、習近平独裁体制は続いているかもしれないが、彼の為政者としての無能さは、もはや隠蔽する術すらなくなっているかもしれない。 

 

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76576?page=1 

 

 

 

雄安新区は、習近平自ら発案した経済特区だという。人口二千万人のスマート・エコシティになる、という計画のようだ。 

 

だが目下企業も人もほとんど住んでいないという。しわゆる爛尾(ランビ?、中断したまま完成していない)と呼ばれる廃墟群しかない経済特区なのだ。 

 

そこを習近平が、多くの部下たちを連れて、視察したという。 

 

視察の目的は、'23年7月末~8月初の「北京の大洪水」災害にも被害がなかったことと雄安新区建設の大失敗を否定するためのものであった。 

 

習近平は、鄧小平の深圳以上の都市を新たに造り中国の国力の象徴にしようとして、雄安新区プロジェクトを考えたわけだが、意図通りには全く進んでいない。 

 

深圳は1979年3月に市に昇格し、翌年の1980年には鄧小平により経済特区に指定され外資導入も積極的に推進されて、中国の「シリコンバレーとも呼ばれるまでに急速に発展し、国際的にも中国経済を支えるまでの存在となっている。 

 

しかしながら雄安新区は深圳と異なり、「爛尾」と呼ばれる廃墟となっているようだ。 

(続く)