邪馬台国とはなんぞや?(5)

また万二千余里 12000里も、かなりの長距離となってしまう。当時の一里は434mだと言うので、帯方郡から邪馬台国までの距離は、12000× 0.434km 5208km となりとてつもない距離となってしまう。

 

世界地図で朝鮮の帯方郡(ソウル)から奴国(福岡市南部)までの距離を、糸でなぞって測ってみても、おおよそ800~1000km程度である。万二千余里 12000里(5208km)との差は、巨大である。

 

同書でも、倭人伝の里数表示は実距離よりも数倍に「誇大」にされていると言う。

 

ちなみに同書では韓国を例にとって、そのことを説明している。

 

先に韓国(朝鮮半島南部)は方(四角形の一辺)四千里ばかりなり」と表現していることを紹介したが、「1辺はせいぜい約300キロ。四千里とは千七百四〇キロで・・・・・その誇大さは、一目瞭然だ。」(同書33頁)と言っている。

 

但し行程地理をよく見ると距離は拡大されているが、各地域間の比率は正しくなっているので、やみくもに距離を誇大にしているわけでもないことになる(同書35頁)。

 

そのため、とりあえずはこの記載されている距離をもとに話を進めてみたい。

 

 

さて「郡より女王国に至ること万二千余里」とあるから、どうも女王国は郡からの行程の途中にある国ではなくて、最終目的地のように判断できる、当然と言えば当然ではあるが。

 

そして、次の言葉「女王国より以北」から判断すれば、やはり女王国は南の最終目的地となろう。

 

女王国より以北、その戸数、道里は得て略載すべきも、・・・・・

 

女王国より以北には、特に一大率(すい)を置き、諸国を検察せしむ。・・・・・・

 

 

ここで冒頭で示した後漢書の記述、「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 」の「倭國之極南界也」の言葉が、俄然意味を持つことになる。

 

奴国は、倭国の中でも一番南にある国だったのである。

 

 

先の行程地理図では、奴国(不弥国)から邪馬台国へ行くことは間違いであることがわかったが、ここでは奴国と不弥国が最南端の地としなければならないことになるのである。

 

と言う事は、奴国(不弥国)が最終目的地と言う事か。即ち奴国=女王国・邪馬台国となるのか。

 

 

しからば、「郡より女王国に至ること万二千余里」の12,000里の国はどこの国か、と言う事になる。

郡より12,000里の国が奴国なのか、検証が必要となる。

 

そこには女王が都しているのである。 「女王の都するところなり。」

 

女王国より以北、その戸数、道里は得て略載すべきも、その余の旁国は遠絶にして詳らかにすべからず。」の一文に注目してみよう。

 

先の行程地理図によれば、奴国(不弥国)までは戸数と道里(距離)が記されていることが判る。

 

即ち奴国(不弥国)より北の各国の戸数・道里が詳細に記述されていると言う事は、奴国(不弥国)が女王国である可能性が最も高いと言うことが出来る。

 

そこで、「郡より女王国に至ること万二千余里」の12,000里の検証が最重要課題となってくる。

 

先ず、郡から各国までの距離を合計してみよう。

 

 

1. 帯方郡  →狗邪韓国 7000

2. 狗邪韓国→対海国 1000

3. 対海国  →一大国 1000

4. 一大国  →末盧国 1000

5. 末盧国  →伊都国 500

6. 伊都国  →奴国 100

合計        10600

 

7. 奴国    →不弥国 100

合計        10700

 

 

奴国は、「漢委奴国王」(漢の倭ワの奴ナの国王)と言う金印が発見されている以上、 不弥国は、どちらかと言うと、付け足した国のようだ。

 

だから奴国が女王国とすれば、奴国までの10600が「郡より女王国に至ること万二千余里」にあたる筈なのであるが、12000里にはとてもならない距離である。その差、12000106001400里。

 

この差は、どう説明すればよいのか。

 

その解答は、同書の133頁に解説されている。

 

もう一度魏志倭人伝の戻って、行程地理を読み直すことだ。先の行程地理図をじっくりと眺めることにしよう。

 

すると、対海国と一大国のところには、「方四百里ばかり」と「方三百里ばかり」と表現されている。

 

対海国は、今の対馬。一大国は、今の壱岐である。それぞれ海に浮かぶ島国である。船で巡るには、その周囲を回らなければならないことになる。

 

夫々四角形とみなして、方四百里、方三百里と表現しているからには、それぞれその二辺分の距離を移動しなければならないことになろう。

 

 

帯方郡

 |

4000

 |____  3000

   狗邪韓国 後漢書では、「その西北界の狗邪韓国

1000  |     

     |   400里   西北界

                  |______    

対海国      | 400

                              |       

     1000里 |             

         |    300

                              |______               

     一大国       |  300

                                           |

                                           |

         1000里 |

                                            |            

           末盧国

                                                \            

            500里 \

                伊都国

                 \

               100里 \

                   奴国

                     

 

 

 

このような移動距離となる筈なので、上記の1.~6.までの10600里にこの(400×2300×2=)1400里を足す必要があろう。

 

10600里+1400里=12000里と、丁度計算が合うことになる。これで郡より女王国に至ること万二千余里」となるのである。

 

7.の 奴国 →不弥国の100里を加算すると 万二千余里とはならないことになる。この不弥国の謎は残る。同書にも”不弥国の謎”として扱っているので、別途それも紹介しよう。

(続く)