北京オリンピック(1/6)

スーダンダルフール紛争については、最近北京オリンピックと絡めて盛んにニュースとなっているので、少しは一般の人達の耳にも入るようになっている。
そこら辺の事情をいま少し探ってみたいと思う。

(1)ダルフールとは

アフリカ大陸の北東部、紅海に一部面している、アフリカ最大の面積を有する国がスーダンである。その西部に、チャドと国境を接している部分がダルフールである。

そのダルフール地域に古くから住む主要な民族がフール人と言うアフリカ黒人系住民で、ダルフールは「フール人の故郷」と言う意味である。

13世紀に入ると、ダルフールバッカーラと呼ばれるアラブ系住民が移住してくるようになる。彼らはムスリムイスラム教徒)であり、フール人との間で水や牧草地をめぐって争いが発生するようになる。紛争の芽はこの頃から芽生え始めている。

フール人は定住農民、アラブ系住民は遊牧の牧畜民である。スーダン全体ではアラブ系住民が7割以上占めている。

1956年、スーダンはイギリスから独立。
独立以降スーダン政府はアラブ化する傾向を強める。

1958年から、軍事独裁政権となる。

1962年、ムスリムの政府軍と、スーダン南部の非アラブ系民族キリスト教徒)との間で内戦が起こり、途中の停戦機関('72~'83)を除いて、内戦は続いている。

1970年代、原油埋蔵量は相当量あると推定される。

1990年代、アメリカ合衆国経済制裁により石油開発は停滞するが、欧米系資本は撤退するが、中国資本は国連の規制を無視して進出し開発を強引に進める。

2002年、非アラブ系民族は、主に北部の民族により組織されている「正義と平等運動」 (JEM)と主にフール人による「スーダン解放運動軍」(SLM/A)の2つの反政府組織となっている。

2003年、和平協定が成立したが、そこでは国家の歳入(石油収入)を分け合うことで合意したが、非アラブ系民族の公正な取り扱いの要求を満たすものではなかった。

 そのため今も紛争が続いているが、スーダン政府は、アラブ系住民を武装民兵ジャンジャウィード)に組織化し、非アラブ系住民を攻撃させ、政府軍は空爆によりジャンジャウィードを支援している。

 そのため非アラブ系住民(キリスト教徒)の村々は殆どが破壊され、略奪され、強姦され、国連の調査によると、過去4年間で20万人が虐殺され、女性の殆どがレイプされ、 210万人の難民が発生した。

 独立以来では、200万人の死者、400万人の難民が発生している。

(以上は、http://ja.wikipedia.org/wiki/ダルフール紛争を引用している。)

(2)中国とスーダン

中国とスーダンはここ数十年に急速に接近し、北京はスーダンへの数少ない直接投資国となっている。それは石油利権の獲得のためであり、国連の非難決議にも拘わらず資源獲得のために、なり振り構わずスーダン政府に協力している。

国連は大量虐殺を止めさせるためにスーダン経済制裁を課そうとしているが、「常任理事国」の中国の反対でいつも潰されている。

北京はこれまでに、スーダン国内のオイル・インフラに数百万ドル(数百億円)以上投資し、その見返りに一日50万バレルの石油を買っている。これはスーダンの輸出する石油の実に70%にあたる。

中国は、またこれまでにスーダンに武器を輸出('057,000万ドル以上)しており、その大量の武器はジャンジャウィードや政府軍に渡り、今も大虐殺に使用されている。

(以上は、ja.epochtimes.com/ja/2007/05/html/d66412.htmlを引用している。)

(続く)