東京新聞・「加計」疑惑記事の大疑惑(5)

【社会】

<検証「加計」疑惑>(3) 個人メモ≠公文書?官邸 強まる隠蔽体質

2017919日 朝刊


(3) 獣医学部新設を巡り、内閣府が「総理のご意向」などと文部科学省に早期開学を迫るやりとりが記された文書

 七月初め、有識者でつくる国の公文書管理委員会で、加計(かけ)学園の獣医学部新設に関する文書管理の問題が話題に上った。

 「個人メモであろうと、組織として共有すれば、行政文書と今まで考えられてきた」。委員長代理の三宅弘弁護士は、文部科学省の処分に疑問を呈した。

 その三日前、松野博一文科相(当時)が、次官ら幹部三人を監督責任で厳重注意していた。担当職員が行政文書ではない個人メモを職場のパソコンの共有フォルダーに保存し、外部流出を招いた、というのが理由だった。

 三宅氏は、行政文書と考えたからこそ職員は省内で共有したのではないか、といぶかしんだのだ。

 加計問題に火を付けたのが、「個人メモ」と見なされた一連の文書だった。官邸の関与をうかがわせる内容で、内閣府が「総理の意向」などとして、文科省獣医学部の早期開学を迫るやりとりが記されていた。

 五月中旬、文書が明るみに出ると、菅義偉(すがよしひで)官房長官日付がないといった理由で「出所不明の怪文書」と断じた。再調査で一部文書が文科省作成と判明しても、文科省は「個人メモ」と言い繕った。「文書に記載されている以上、発言はあったと思うが、真意は分からない」として、肝心な事実関係の検証はあいまいなまま調査を打ち切った。

 個人メモだから行政文書ではない-。国民の「知る権利」をないがしろにした政府の対応が、加計問題の真相解明を遠ざけている

 公文書管理法では、行政文書を「行政機関の職員が職務上、作成し、組織的に用いるために行政機関が保有する文書」と定義する。各省庁は法律に基づき規則を設けているが、(1) 行政文書と個人メモの線引きは明確な基準がない

 獣医学部新設を巡っては、規制改革を進めたい内閣府と、監督官庁文科省との間で激しい交渉があったとされる。文科省幹部は「内閣府文科省に学部開設を促す内容で重要な報告文書だが、行政文書か個人メモかどうかの線引きは難しい」とこぼす。

 三宅氏は「処分されるなら個人メモは行政文書にしないでおこうとなる。どう考えても危うい」と文科省の処分の余波を恐れる。既に文科省内からは、「個人のメモを作成したり、メールで共有したりするのが怖い」と戸惑いの声も出ている。

 文科省(2) 内部文書流出を受け、菅氏は個人メモと行政文書に関して「しっかり線引きするべきだ」と明言。各省庁の文書管理規則の見直しに言及した。

 菅氏の発言に、公文書管理に詳しい牧原出(いづる)・東京大教授は「保存すべき公文書の範囲が従来よりも狭められかねない」と警戒を強める。

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の派遣部隊に関わる行政文書の取り扱いを巡っても、防衛省が、大規模な武力衝突が起きた時の日報を「自衛隊員の個人的なデータ」として隠そうとしていた。あったことをなかったことにする。安倍政権の一極集中が続く中、官邸や官僚の隠蔽(いんぺい)体質が強まっている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017091902000112.html

 

 

 

この問題は、「総理のご意向」と言うよりも、何が行政文書であるかと言う文書管理の問題と、その文書が人知れずに外部に流出したと言う事である。

 

特に行政文書であるならば、組織としてそれを管理して無断で外部に持ち出されることのないようにしなければならない訳だ。だからそれが流出したと言う事であるから、これこそ一大事である。

 

自分の主義主張に合わせて、行政文書が外に持ち出されると言う事は、まことに由々しき事なのである。外交上機密な文書が外部に漏れたらどういうことになるのか、想像してみるとよい。許可がなければ、絶対に行政文書の類は外に漏らしてはいけないのである。

 

 

(1) 各省庁は法律に基づき規則を設けているが、行政文書と個人メモの線引きは明確な基準がない

 

行政文書は、「行政機関の職員が職務上、作成し、組織的に用いるために行政機関が保有する文書」と定義されていると言う。

 

これでは抽象的すぎるのであろう。考えようによっては、どんな文書でも行政文書となってしまう。事実、この「総理のご意向」と言う個人メモまでが、行政文書だと断定されてしまう。

 

一般的に言って、行政文書は次の要件を備えていなければならない、ものと思う。

 

1. 行政文書には、表題、作成日時と製作者の所属・氏名がなくてはならない。

2. 行政文書としての上司の認可を受けなければならない。

3. 行政文書としての配布先や宛先がなければならない。

4. 行政文書として、文書番号を付与しなければならない。

5. その他

 

このうち少なくとも1. 2. の要件は必ず満たしていまければならないものであろう。少なくとも1. の要件は絶対的である。

 

この「総理のご意向」文書には、これがない。これでは誰が何を言おうとも、これは行政文書ではない。メディアの圧力によって、いつの間にか、行政文書扱いとなってしまっている。

 

この決まりが文書化されていなくても、これに合致していないから、行政文書ではない、言い張ればよかった。但し行政文書ではないが、所内にはそんな雰囲気はあったかも知れない、とでも言っておけばよかったのではないのかな。

 

巷のムードに押されて、行政文書でないものを行政文書であると認めてしまっては、まことに困るのである。これでは、規則が守られないことになる。

 

 

(2) 文科省内部文書流出を受け、菅氏は個人メモと行政文書に関して「しっかり線引きするべきだ」と明言。各省庁の文書管理規則の見直しに言及した。

今回のケースでは、所属長の許可なく外部に流出したものと思われる。関係者が意図的に持ち出したものと判断できる。

 

これは公務員規則に違反した事例となろう。当然処罰の対象となる。業務規則の見直しも必要なろうし、業務規則に則った処分もやらなければならない訳だ。次官ら幹部三人を監督責任で厳重注意だけでは、本来は済まないはずだ。直接の犯人探しもやらなければならない筈だ。この調子で、官庁関係の文書が流出するようなこととなれば、日本は持たない筈だ。

 

 

(3) 獣医学部新設を巡り、内閣府が「総理のご意向」などと文部科学省に早期開学を迫るやりとりが記された文書

 

これは冒頭の東京新聞<検証「加計」疑惑>(3)の書き出しの文章である。しかもその文章の写真まで載せている。

 

 

本当に「加計」疑惑としてわかる内容であれば、新聞社や各メディアはしっかりと調べて、その内容の国民の前に提示するべきではないのかな。

 

何故それをしないのか、疑問である。せっかく文書があるのであれば、その全容を暴いて「これこれこの通り、安倍総理サイドには「加計学園」との口利きがあるのですよ」と、全国民の前にひけらかさなかったのか。

 

しかも黒い影付きで、その文書の写真を載せている。これって逆効果ではないのかな。「本当は口利きがなかったにもかかわらず、あるように見せかけているだけではないのかな」と、思われても仕方がないような提示をしている。この提示の仕方は、はなはだ疑問である。

(続く)