日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(63)

この南ルートのホモ・サピエンスたちは、航海術に長けていたことを以前にも述べているが、この南ルートの子孫たちも海に対しては慣れ親しんだものであった。しかしこの沖縄ルートには流れのはやい黒潮が流れているので、一筋縄にはいかなかった筈だ。

 

台湾からすぐ近くにある与那国島西表島には、簡単に行けるものと思われるが、さにあらず、この間には毎秒1.5にもなると言う黒潮が流れているので、よほど工夫しないと直近の台湾からでは流されてしまう可能性がある。だから与那国島などに行くには、台湾の南に下ったところから船を出さないといけないのだ。多分の当時のホモ・サピエンスたちは、そのような工夫をして航海していったのであろう。

 

台湾の山に登れば、与那国島は望見できるので、彼らはきっと遠くには島があることを理解していたのではないのかな。

 

そうでもしないと、与那国島などへは行き着かない。そんなこんなで、八重山列島宮古列島へは何とか到達出来たとしても、宮古島から沖縄島へは、当時の海面が低かった海でも220kmほどの距離の航海になると言う。しかも目的地となる沖縄島は、当然見えない。

 

およそ3万6500年前~3万年前の当時の旧石器時代ホモサピエンス達は、卓越した航海術と相当な覚悟で、男女合わせて相当数の人数で、大航海に乗り出していったものと思われる。何と言っても、沖縄島にも旧石器時代の遺跡が沢山あるから、彼らの航海は成功裏に終わったのである。

 

ただ彼らの大航海は、古本州島へそれほど影響を及ぼしていない、様に見える。

それよりも3万8000年前頃に、対馬海峡を渡ってきたホモ・サピエンスたちの方が、日本列島人についてはより重要な役割を果たしたものと思われる。

 

だから、この対馬海峡を横断する旧石器時代の航海の実験の方が、余程価値のあるものではないのかな。

 

この南西諸島の島々では、後期旧石器時代の人骨と遺跡が多々発見されているため、当時のホモ・サピエンスたちはどのようにしてこれらの島にたどり着いたのかと言う疑問が湧くのも当然のことではあるのだが。

 

国立科学博物館海部陽介は、この南西諸島のホモ・サピエンスたちの遺跡の謎を明らかにするために、台湾から直近の与那国島への古代航海の実験を行っている。3万数千年前の技術と知見で、乗り物(船)を手作りして公開実験を行っている。

 

そこで彼らは、当時の技術で3種類の船を造り、実験している。

 

(1) 草束の船

(2) 竹筏の船

(3) 丸木舟

 

の3種類だ。結局(3)の丸木舟だけがあの黒潮を乗り切ることが出来た、と言う。

 

 

 

 

3万年前の航海

徹底再現プロジェクト 2016 – 2019 国立科学博物館


https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/

実験航海成功の後もさらなる企画が進行中

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ご声援ありがとうございました!丸木舟到着!(©太田達也)     

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実験航海でたどった航路(画像クリックで拡大します)    



   201979日、台湾からやってきた1艘の丸木舟が、与那国島に到着しました。舟の名はスギメ。乗っていたのは男女5人。星や太陽を頼りに針路を定める古代の航海法で、黒潮を越え、水平線の彼方にある島を目指して225キロメートルを漕ぎ切ったのです――

これは、国立科学博物館が行った実験航海。今から3万数千年前に、「最初の日本列島人」が成し遂げた大航海を再現しようとする、一大プロジェクトでした。実験活動は2019年に終了しましたが、そこから解けてきた謎をお伝えするため、5つのメニューを用意しています。

(続く)