続続・次世代エコカー・本命は?(93)

何れにしてもクルマも、ハードとソフトの両面で変革が必要となる。

 

先ずは巷にうごめいているクルマ(だけとは限らないが)の情報の収集が必要となる。

 

高機能センサー、高速データ通信網、大量のデータを蓄積して分析をする場所としての大容量ストレージ、そしてそれらを分析・活用する働きをする高機能ICチップとそこにloadされているデータを識別し予測する人工知能AIなどが、手軽に使えるようになったきたからである。いまではこのAIは、ディープラーニングとかいう人間の頭脳が行う学習に似た機能を駆使して、「人には出来ないものがAIには出来る」と言う時代になりつつあると言われている。

 

移動に関しては、最も安全で最短の移動経路を探し出して、クルマが走ってくれて、場合によってはある種のデータから事故まで予測してくれて、クルマを止めてくれるか安全なルートへと案内してくれると言った芸当も出来るようになるかもしれない。

 

ある種のデータとは、通過地点でのトラフィックの全ての状況(個々のクルマの状況であり、個々の運転者の状況であり、道路や歩道の状況などである。)であり、それらをAIが分析し予測して何が起こりそうかを教えてくれる、と言う事である。

 

と言う事は、クルマだけでなくあらゆるものがネットにつながっていなければならない訳であるが、当座はクルマだけでもつながっていれば、そのことで新しい数多くのビジネスモデルが提供されることになろう。

 

但しAIを大々的に使った「知能化」はまだ先のこととなろう。と言うのも、AIを動かすためには膨大な電力が必要となるからである。今のAIは人間の脳ほどの経済性はないものと思っておく必要がある。この大々的にAIが車で活躍するには、省電力の半導体が必要であり、クルマには相当大きなバッテリーが必要となる、と言う事である。

 

とすると今のところICEV(Internal Combustion Engine Vehicle内燃機関自動車)でなければ、大々的にAIを使えない、と言う事ではないのかな。AUDIなどは、相当高度な自動運転車を開発しているようだが、これは「A8」の新型車と言う事なので、3.0LV6ガソリンエンジンのクルマであり、電気自動車EVなんぞではない。AIは相当電気を食うので、今のところ高度なAIは生半可なEVには載せられないのではないのかな。

 

さて電力の話はさておきIoTに話を戻すと、そうなると次に問題となるのが、それらの膨大なデータをどう使うかと言う事となる。

 

買い物の場合普通なら、買いたい人は自分でクルマを運転して店に行き、必要なものを買ってまた車を運転して帰宅すると言ったパターンとなるが、クルマが知能を持ってしかも繋がってしまっていれば、ある人からオファーを受けた事業体がしかるべき手続きをして自動運転車でその注文された品物を集配して届けさせる、と言った塩梅となろう。注文者は自分が買い物に行かなくてもよくなり、その時間をもっと違った価値あることに集中することが出来ることになるし、クルマを使った新しい買い物ビジネスの誕生もできることとなろう。

 

即ちクルマを所有すると言う事から利用すると言う事になり、新しい買い物ビジネスと言ったビジネスモデルが誕生して、クルマはその一つの道具・手段となってゆくと言う事であり、主役から外れる。即ち、物作りから事作りへと(ビジネスモデルは)発展してゆくと言う事であろう。

 

だからトヨタなどのカーメーカーは、ものづくりだけに勤しんでいたのであれば、取り残されてしまうのではないかと、かの本は警告しているのである。物作りから事作りに脱皮してゆかなければ、潰れてしまいかねないのである。

 

そうなると次の「モビリティ革命」を引き起こす第3の要因は、シェアリングサービスの台頭となろう。

 

考えてみれば、CO2の削減には、こ難しい内燃機関の変革などと騒がなくても、走っている車が少なくなれば必然的にCO2の減少にはつながる訳である。

 

かの書籍は、このことを次のように表現している。

 

さらに、大胆で単純な方法がある。クルマを売らないことである。世界の自動車保有台数が現在の1/10になれば、燃費が現在と変わらなくてもCO2排出量は1/10に減る。大きな投資を伴う急速な次世代車シフトを推進していくか、カーシェアリングや台数抑制によって分母を減らしていくか。自動車業界としては、いずれかの方法でCO2排出量の抑制が求められる。

 

さてクルマに関してのシェアリングには、「マイカー的」と「タクシー的」の二つのシェアリングサービスがあるようである。

 

マイカー的」とは、いわゆる「カーシェアリング」のことで、そのクルマが空いていれば必要な人が自分で運転して使うと言うものである。一台のクルマをシェアすると言う事は、マイカーではないのでいつでも好きな時に使えると言う事ではない。そのためいわゆるクルマの「ちょい乗り」使用が無くなるのである。そのためマイカーよりも走行距離が少なくなり、CO2の排出量も少なくなる、と言われている。

 

事実、都会の駐車場や住宅地の家々の車庫には、沢山のクルマが常に眠っているので、これらのクルマがシェアリングの対象となればそれほど多くのクルマは必要ではなくなる。そういう意味で、このシェアリングが普及すると、カーメーカーは相当脅威に感ずることであろう。何と言ってもそれほど車が必要ではなくなってゆくからである。

 

こんなことで驚いていては、次への話は進まない。まだ「タクシー的」なシェアリングがじわじわと普及し出しているからである。

 

タクシー的」なシェアリングとは、いわゆる「ライドシェア」のことである。有体(ありてい、ありのまま)に言えば、合法的に登録された「白タク」がネット上に相当数存在しており、呼び出しに応じて迎えに来てくれて目的地まで安価に運んでくれる、と言う仕組みらしい。かの書籍でも、アメリカでUberを体験したことが書かれているが、タクシーに比べるとほぼ半額で簡単に移動できたと言っている。決済は事前登録のクレジットカードからの自動決済だと言う。

 

かの書籍とは「モビリティー革命2030自動車産業の破壊と創造」(デロイト トーマツ コンサルティング著、日経BP社発行)のことであるが、それによると、このシェアリングのシステムが普及してゆくと、乗用車の保有台数は半減する可能性があると分析している。

 

そんなことになるとトヨタなどのカーメーカーは堪(たま)ったものではない。とてもこんな状態には我慢できないことになろう。そんな世の中がいつ来るのかは定かではないが、トヨタは早々にUberと業務提携している。

(続く)