中国武漢・新型コロナウィルス(48)

 117日からミャンマーを訪問し、さらに、19日から21日までは同国と隣接する南部・雲南省に入り、春節前恒例の地方視察を予定通り続けていたのだ。この間、武漢でのより深刻な状況について武漢市政府・中央の国家衛生健康委も詳細に報告する時間がなかったか、報告したとしても習サイドが大したことはないと認識したかのどちらかである。

 事の深刻さに気付いた習近平が「感染蔓延の阻止」とともに「迅速な情報開示」を命じる「重要指示」を出したのは、120日午後のこと。李克強がこの日午前に鍾医師の報告を受け、それを遠く雲南にいる習サイドに伝えたとみられるが、習は同じ日の朝にお膝元の首都・北京に感染者が出たことを懸念したのだろう。武漢で最初の感染者が確認されてから、実に43日間が経過していた

武漢市の医療施設 共同 2020022118678 (1)武漢の臨時医療施設

「鶴の一声」を過剰に忖度

 既に地方の各地で感染者は出ていたが、習による「重要指示」を受け、地方指導者たちは「新型肺炎武漢の問題だけでなく、我々の問題でもあるのだ」と初めて認識したに違いない。「ネガティブ情報」を隠して自身の政治的業績に傷を付けないことを優先した幹部は、逆に公表することが政治的評価につながると“政治的な勘”をめぐらせた。

 ネット上では「113日にタイ、16日には日本で感染が確認されたのに、武漢以外の都市で感染者がいないのはおかしい」との声が上がっていたが、習近平の指示があって初めて、31の省・自治区直轄市から競うようにして感染情報が発信されるまでに変わったのだ。

 なぜ、武漢市から習近平に「正確な情報」が届かなかったのか。その背景には、習自らが敷く「恐怖独裁政治」があると言わざるを得ない。

 就任以来、「反腐敗闘争」という名で政敵を打倒し、権力を自身に集中させてきた習近平。今や共産党内には、ネガティブな情報を中央に上げれば、自分が失脚ばかりか逮捕されかねないという恐怖感が蔓延している。一方で側近を、自身がかつて勤務した福建・浙江省上海市時代に忠誠を誓った幹部で固め、聞こえのいい情報ばかりが届けられる。

 民主派が歴史的大勝を収めた1911月の香港の区議選、民進党蔡英文総統が圧勝した201月の台湾総統選でも、中央政府の香港出先機関・香港連絡弁公室と国務院台湾事務弁公室はそれぞれ、香港親中派と国民党に「勢いがある」との報告を共産党中央に上げていたという見方が強まっている。結果、習は情勢を大きく見誤ってしまった。

 さらに恐ろしいのは、習の「鶴の一声」を過剰に「忖度」して拡大解釈する役人が多いことだ。

 例を挙げよう。習が「社会安定維持」を指示すれば、公安部門は、政府の政策を批判する人権派弁護士やNGO関係者らを「国家の敵」とみなし、徹底的に逮捕する。「世論工作」の指示があれば、宣伝部門は、建設的な意見を出す改革派の大学教授・知識人らへの言論弾圧を徹底し、社会の矛盾を取材で暴露する調査報道記者を解職に追いやったりする。

 前述した李医師の遺言である「1つの声だけではいけない」はあまりにも重い言葉であるが、「異論」を許さない習体制の弊害が、今回の悲劇をより深刻なものにしたのだ。

ウイルスより怖い「民」の声

 その習近平にとって、もう一つのターニングポイントになったのは12425だった。

 20日の「重要指示」で、上しか見ていない地方指導者の姿勢を変えたとしても、習指導部全体がどこまで真の危機感を持っていたかは疑問である。なぜなら、首相の李克強ですら12122日に北京から遠く離れた青海省へ予定通り視察に行き、21日は党序列12位が入れ違いで北京を出入りし、中南海の司令塔を手薄にしたからだ。

 121日夜から22日にかけての中央テレビは、雲南省を視察した習が笑顔で民衆と触れあうニュースを延々と垂れ流している。武漢封鎖」が断行された当日(23日)、最高指導部・政治局常務委員7人全員が顔を揃え、北京・人民大会堂で恒例の春節祝賀会を行い、あいさつに立った習近平は、新春を迎え「格別に嬉しい」と述べ、新型肺炎に一言も触れなかった。

 21日に湖北省ではトップの蒋超良党委書記ら指導者が一堂に集まり、春節祝賀の芸術演出を参観して批判が集まったが、国民は、党中央も同じ穴のムジナだと感じた。言論弾圧を強めたことで知識人たちから見放される中、民衆からの支持によって求心力を保ってきたはずなのに、習近平は、生命・健康問題に敏感な「民」の声に鈍感すぎた。

(略)

 

https://bungeishunju.com/n/n113815f26706

 

 

 

 

ドイツの気骨ある一新聞社の中国に対する非難に対して、首相のメルケルは誠に情けない。

 

米国で、今秋にも開かれるG7サミットへの出席を、取りやめると報じられている。


(続く)