中国武漢・新型コロナウィルス(47)

 17日から9日頃、武漢に出張したある外資系医薬メーカーの社員によれば、市内で著名医師に会っても、医師らは「問題はない」と口を揃えたという。だが、独自取材で知られる中国誌『財新週刊』は、16日に武漢の湖北新華医院が院内各科の責任者を集めた会議を開き、「新型肺炎に関する状況を外部に漏らしてはいけない。特にメディアには話すな」と指示していた、と報じている。実は、市内の病院では隠蔽工作が本格化していたのだ。

 後に、国家衛生健康委員会直属の中国疾病予防コントロールセンター(CCDC)などの専門家チームが、武漢での早期感染病例を分析した論文が129日付の米医学誌に掲載されたが、濃厚接触者を通じた「人から人への感染」は12月中旬以降、既に発生していたという。

 またCCDCが、217日の中国医学誌に掲載した論文でも、武漢市が感染者を27人としていた12月末以前に感染者は実は104人で、1110日にその数は6倍増の653人に上り、1120日にはさらに8倍以上の5417人に増えたとしている。

 CCDCという権威機関がこの重大な情報をせめて1月中旬までに公表できていれば市民に警鐘を鳴らすことができた、と悔やまれる。武漢市政府が重要会議のため感染拡大を隠蔽する中、ウイルスは拡散していたのだ。123日午前に拡大阻止のため「武漢封鎖」という異例の強硬策が断行されたが、遅すぎた。

 125日の春節旧正月)の大型連休に合わせて10日頃から延べ30億人以上と言われる大移動が本格化しており、封鎖前に500万人以上の出稼ぎ労働者や海外旅行者らが武漢を離れていた。こうしてウイルスは世界中に拡散していく。

封殺された青年医師の告発

 たとえ国民の健康や生命に関わるような重要な真実でさえも、国家の安定を妨げるものや、最高指導者が聞きたくないような情報はもみ消してしまう――そんな共産党に染み付いた悪しき体質が露わになったのが、武漢市中心医院の眼科医・李文亮悲劇だ。

 武漢市政府が最初に感染の事実を公表した前日の1230日、33歳の李医師は、患者の検査報告を目にした。そして、同窓生ら医師約150人が参加する中国版LINE微信のグループチャットで、「海鮮市場で7例のSARS03年に中国などで大流行した重症急性呼吸器症候群)が確認された。我々の病院の急診科で隔離されている」と発信した。医療現場に立つ仲間に注意を促すためだった。

 しかし李医師は、翌31日未明に衛生当局に呼び出され、デマを流したとして「自己批判文」を書かされた上、13日には公安局派出所で「あなたの行為は社会秩序を深刻に混乱させ、法律の許容範囲を超えたものだ」と記された「訓戒書」に署名させられた。李医師が入っているかどうかは定かではないが、武漢市公安局は11日、新型肺炎をめぐりデマを流したとして8人を召喚し、処罰したと発表している。

 その後も治療を続けた李医師は院内感染してしまう。110日から咳が出始め、ICU(集中治療室)に入った。それでも調査報道記者の取材を受け、131日には自身の中国版ツイッター「微博」に実名で「インターネット上で非常に多くの方が私を支持し、励ましてくれ、心が少し軽くなりました。必ず早く退院します」と投稿したが27日に亡くなった

使用ー李文亮医師を悼んで 共同 2020020706290李文亮医師への追悼

 ネット上は追悼の言葉で溢れ、「英雄」となった李文亮医師。生前、『財新』のインタビューに「健全な社会であるなら『1つの声』だけであってはいけない。公権力による行き過ぎた干渉には同意しない」と言い残していた。当局が「異論」に耳を傾けていれば、感染拡大を防げたのではないか、という医師としての使命感から出た言葉であった。

 しかし、李医師の告発は封殺されてしまう。武漢市民の多くは真実を知らされないまま、身近に迫っているウイルスを「他人事」と思い込んだ。118日には武漢市内で4万世帯以上が料理を持ち寄って「万家宴」という大規模宴会が予定通り行われたが、これを市政府が止めることはなかった。

春節巡りを続けた習近平

 この危機を救ったのは、SARSの際、最初の感染地となった広東省で治療の現場指揮を執った呼吸器科医師・鍾南山だった。

 83歳の鍾医師は中央政府専門家チームのトップとして、118日、高速鉄道武漢に向かう。翌19日、武漢感染症専門病院「金銀潭医院」や海鮮市場を視察し、「人から人への感染」を確認したのだ。

 翌20日午前、鍾医師が姿を見せたのは、北京の政治中枢・中南海。側には李克強首相がいた。新型肺炎対策を討議する定例の国務院常務会議に、武漢視察を終えたばかりの鍾医師を特別に招いたのだ。

 報告を聞いた李克強は「リスクの意識と責任感を強めろ」と指示を出す。真実を語らない隠蔽体質が染み付く地方の幹部から、民衆に真実を伝えることは不可能だと判断したのだろう。会議終了後、わざわざ鍾を会議室の外まで見送り、老医師に敬意を表したほどだった。

使用ー李克強 共同 2020012705425ートリミング済み 鍾医師はこの日の夜、国営中央テレビに出演し、著名キャスターの白岩松に「人から人への感染は間違いない」と明言。初めて「人から人」という事実が伝わり、武漢市民の意識もようやく変わった。20日にまだ少なかったマスク姿の市民21日、一気に急増するのだ。

 これまで「密室」の出来事だった新型肺炎問題はこの120を境に転換するが、その時、当の習近平は一体どこにいたのか

(続く)