東京五輪の視聴率、米で低迷 主役不在、インタビューも要因?
朝日新聞社 2021/08/08 16:45
五輪マークのオブジェ=2021年6月23日、東京都新宿区、林敏行撮影
米国で、東京五輪の中継の視聴率が低迷している。独占放映権を持つNBCユニバーサルは「黒字の見込み」としているが、他メディアでも五輪への関心の低下を分析する記事が多い。
ニューヨーク・タイムズによると、NBCの3日までの夜間の視聴者数は平均1680万人で、2900万人だった2016年のリオ五輪から大きく落ち込んだ。米メディアによると、NBCはリオ五輪では2億5千万ドル(約275億円)の利益を上げたが、今回は予想より視聴者が少ないことを受け、無料の追加広告枠をスポンサー企業に提示するなどしているという。
東京五輪は元々、時差の関係から視聴率が下がるとみられていた。加えて、新型コロナウイルスの影響で無観客となり、水泳のマイケル・フェルプスや陸上のウサイン・ボルトのような、米国の視聴者にアピールするスター選手も不在だった。さらに、NBCが期待をかけていた体操のシモーン・バイルスが多くの競技に参加しなかったことなども影響したとみられる。
開幕前、「シモーン・バイルスは素晴らしい。そして五輪の最初の1週間、彼女は毎日(テレビに)出ている」と期待を込めた、NBCユニバーサルのジェフ・シェル最高経営責任者(CEO)は7月29日、投資家向けの決算説明会で「いくらか、運が悪かった」と語った。「予想していた視聴率より低いかもしれない」と認めつつ、今大会も黒字の見通しであるとも強調した。
米国では、精神面の不調を理由としたバイルスの棄権が大会を通じて最大のニュースとなった。選手や家族を取り巻くドラマを重視してきた、NBCの放送スタイルにも影響する可能性を指摘する声もある。ウォールストリート・ジャーナルは、NBCがバイルスに「史上最高の体操選手であることの重圧」について聞いていたことを振り返り、「良くも悪くも、NBCが行ってきたようなインタビューは侵略的というだけでなく、破壊的とみなされるだろう」と予想した。(ニューヨーク=中井大助)
https://www.asahi.com/articles/ASP883HZ1P88UHBI004.html?iref=comtop_7_04
この8/8(日)には、東京オリンピックも無事閉会式を済ませることが出来た。やれやれである。一応オリンピック競技大会としては、東京五輪2020は成功の部類に入るであろう、と小生は思っている。
しかしながらこのオリンピックの開会式、閉会式の詰まらなかったことと言ったら、ありゃあしない。何と言っても単調で、動きがなかった。平面に書かれたものを見ているような感覚であった。まあ組織委員会が、式の企画立案の人選を間違えたと言うことであろう。
二流どころか、三流、四流の人物を選んでしまったのであろう。
何も有名人を集めればよい、と言うものではない。以下、気になることを二、三述べてみたい
オリンピックの聖火の点火者に、「大坂なおみ」を選んだことが、先ず最大の間違いの一つであろう。
多様性を示すために選んだのであろう、などと解説されていたが、何も日本で開かれるオリンピックの最初のセレモニーでの神聖な聖火の点火者に多様性を求める必要はない。
いよいよこれから日本でオリンピックが開かれるのだ、世界も日本もコロナで疲弊しているが、世紀の祭典のオリンピックがこの日本で開かれるのだ、敢えて言えば、東北大震災から復興した日本で開催されるのだ、と言った雰囲気を醸し出すことが必須ではなかったか。そういう意味では、彼女は似つかわしくない人選であった、単なるテニスプレーヤーではないか。
だから、岩手県・宮城県・福島県の少年少女たちが聖火を手渡されたのであれば、彼ら・彼女らに聖火を点火させるべきであったのだ、大坂なおみには悪いが、彼女ではない。あの点火式には、まことに違和感があった。
聖火と言えばまだある。
野球界のレジェンドたちの「王貞治」「長嶋茂雄」「松井秀喜」の3人が出てきて聖火をリレーしたことである。長嶋は松井に支えられながら一歩一歩あるいて、2人に助けられて聖火をつないだ。それなりの感動のシーンではあったが、ここで聖火リレーの流が一旦止まってしまった。
このシーンは次のパラリンピックで見せるべきものであった。やや違和感があった。
何も超有名人が出ればよい、と言うものではない。しかも「走った」などととんでもない表現を使っている。
厳しすぎるリハビリを乗り越えて…長嶋茂雄が東京五輪にどうしても“参加”したかった理由《開会式・聖火ランナー》
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byGetty Images
posted2021/07/24 12:30
(略)
松井さんに背中を支えられながら、王さんと共にゆっくりと前に進む長嶋さん。かつての躍動するような姿はそこにはなかったが、それでも自由になる左足を一生懸命に踏み出し一歩、一歩を踏みしめるように進む姿には、困難を乗り越えて目標に向かって突き進むスポーツマンとしての強い意思を感じることができた。
「競技場では気兼ねはいらない!」
そしてそんな長嶋さんが最終聖火ランナーの1人として新国立競技場を“走った”ことは、何より「多様性と調和」というオリンピックの理念を象徴するものだったと思うのである。
(略)
https://number.bunshun.jp/articles/-/849010?page=4
さて、あのつまらなかった開・閉会式は誰が演出したのであろうか。
(続く)