反社会的団体の(旧)統一教会(69)

このように、多方面から萩生田光一を攻める必要がある。そうでないと、ますます統一教会が蔓延ってしまうことになりかねないのだ。 

 

なんと言っても、「統一教会」の教義は「反日」であるからである。しかも親北でもあり、金正恩とはひそかに通じているようで、日本からの金が北朝鮮に渡っている可能性があるという。 

 

統一教会の経典である「原理講論」には、「日本の植民地支配への恨みを日本から献金を巻き上げることで果たしていこう」と、書かれているのであり、その民族的怨みを解くことが統一教会の本質なのである。 

 

統一教会は、これを「先祖解怨」と言っている。 

 

このブログのNO.11('22.10.31)で紹介した「統一教会の本質」を説明している部分を次の掲載しておく。 

 

・・・ 

日本の信者には『先祖があまりにも多くの罪を犯したせいで子孫が苦しんでいるんだ。だからその罪を帳消しにしないといけない』と説いています。つまり先祖の犯した植民地支配という罪を償うため日本人信者はあらゆる献金をし、先祖解怨をし、懺悔する気持ちで献金をしなさい 

ということです」 

 

文鮮明氏の“お言葉”をまとめた本がある。広辞苑並みの厚さだが、信者は最低1冊は一生の宝として購入するという。ちなみに430万円だ。この中に文鮮明氏の本音と旧統一教会の本質がある。 

 

 

 

 

北海道大学大学院 櫻井義秀 教授 

原理講論(教典)に韓国語版と日本語版があって、韓国語版には植民地支配がいかにひどいものだったか書かれていて、日本語版にはそれがない。(中略)“恨みを解く”というのが統一教会の本質なんです(中略)植民地時代の民族的恨みを解くこととして、日本で資金を調達してそれを韓国に持ってきて世界的な活動に使う。これが統一教会の本質を成しているんだと思う」 

 

 

・・・ 

 

統一教会側は、日本の植民地支配と言っているが、全く正反対であり、韓国が中国やロシアの植民地になってしまうことを、日本が防いでやったということが真実である。日清・日露の戦役がそれである。日韓併合がなければ、(馬)韓国は現代には存在していない消滅してしまう国であったのである。 

 

ここら辺の事情も当ブログのNO.12~('22,11,01~)を参照されたい。 

 

ロシアの横暴は、今も昔も変わらない。 

 

1900年5月に義和団の乱がおこり、北京が義和団に占領されてしまう。さらには、1900年7月には、義和団はロシアのブラゴヴゥシチェンスクを占拠してしまう。そのためロシアは軍隊を派遣し、義和団を虐殺し反対に満州を占領してしまう。そして翌8月には、8カ国連合軍が北京の義和団を攻略し北京を開放する。これを『北清事変』(義和団の乱)と言う。 

 

ロシアはこのどさくさの中、11月には第2次露清密約を結び、満州に軍隊を駐留させ完全に支配し始める。 

 

このため防衛上日英は、1902年1月に日英同盟を結び、ロシアの動きを牽制する。 

 

しかしロシアの侵略は止まらずに、1903年7月には東清鉄道本線が完成し、1903年8月には朝鮮半島の39度以北ロシアが管理すると宣言する。 

 

すると朝鮮半島はロシアの思うままとなり、日本の独立が危うくなってしまうことから、日本は1904年2月に、とうとう堪忍袋の緒が切れて、ロシアと国交を断絶する。 

 

いよいよ「日露戦争」が始まったのである。 

 

ある意味、「伸るか反るか」の大博打であったが、明治政府はそこは周到に大英帝国と「日英同盟」を結び、「日露戦争」を始めたのである。 

 

幸いにして日露戦争にはかろうじて勝利して、ロシアを満州から追い出して、朝鮮の独立を守ったのであった。それでもロシアは何かと朝鮮への手出しはやめなかった。 

 

朝鮮は朝鮮で、やがてはロシアの餌食になってしまうと危惧し、韓国の政治結社一進会が「韓日合邦を要求する声明書」を上奏したり、韓国政府(李完用首相)としても併合の希望があり、日本はやむを得ず朝鮮を合邦したのである。 

 

韓国政府としては、日本による韓国の併合には大賛成であり、1910年8月22日に韓国の御前会議で併合条約締結のための全権委員に李完用首相任命され、同日19010年8月22日に漢城にて韓国併合条約は日本側寺内正毅統監との間で調印されたのである。そして8月29日に裁可交付されて、大日本帝国大韓帝国を併合したのである。韓国は日本の一部となったのであり、植民地などではなかったのである。 

 

韓国内では多くの知識階級では、この合邦を期待し喜んだのである。世界も日本の正しい手続きによる「合法的な手段」を踏んでの併合を、非常に評価していたのである。 

「こん そして経併合へ・・・」(http://konn.seesaa.net/article/11408909.html) 

には次のように書かれている。 

 

1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであった。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。
 アメリカの鏡・日本ー ヘレン・ミアーズ 

何はともあれ、日韓併合は合法であった事実も併せて記憶しておいて下さい。これも無効だといいだす朝鮮人がいるのも閉口します。] 

 

その内容は純粋な植民地支配としたのではなくて、日本国としたのであり、そのためには教育、文化、経済、農業、政治、金融などあらゆる面から、朝鮮の近代化を図っていったのである。 

 

そのため日本政府は、当時のお金で22億円近い金額を投入して、朝鮮の近代化を図ったのであった。当時の1円は今の3万円に相当すると言われているので、66兆円もの金を朝鮮につぎ込んだのであった。 

ここら辺の事情は当ブログのNO.14('22.11.3)に詳しいが、その一部を次の載せておく。 

 

 

日本政府は韓国の近代化のために、1907年から1914年の8年間に当時の金で1億9千万円以上の財政負担をしたのである。当時の1円は今の3万円に相当すると言われているので、この8年間で6兆円もの額が朝鮮の近代化のために投入されたのである。 

 

更には韓国を併合した1910年から1944年までの間に朝鮮への日本政府の持ち出し額は、今の価値で約60兆円を超えているのである。 

 

朝鮮に対する日本の投資額 

 立替金その他 1億 400万円 

 補充金    5億5521万円 

 公債未償還  14億3971万円 

  合計    20億7892万円 × 3万円 = 62兆4千億円 

 

歴史再検証日韓併合漢民族を救った「日帝36年」の真実-祥伝社黄金文庫)。 

 

朝鮮・韓国が今あるのは、日本のおかげなのである。だから「朝鮮・韓国は日本が作ったのである。」と言われているのである。当時の世界の列強は、日本が韓国を救済することを大いに期待していたのである。 

 

 

統一教会の「先祖解怨」などと言って、善良な日本人から献金名目で金を巻き上げていることは、全くの大間違いである。反対に、韓国から日本に謝礼として、金を返金してもらいたいものである。 

 

その額、66兆円である。統一教会なら、これくらいの金は支払えるのではないのかな。すぐにでも、日本に支払ってもらいたいものである。 

(続く)