もう一つ指摘しておきたいことがある。
それは魏志倭人伝が朝鮮、特に馬韓国ではどのように教えられているか、と言う事である。
それは、別冊宝島2283、2015.2.13第一刷り発行の「日朝古代史・嘘の起源(監修室谷克実氏)」に、書かれていた。それを紹介しよう。
韓国の民族派の運営するサイトに「コリアン・スピリッツ」と言うものがあるそうな。
そこには、「朴ソンス名誉教授の歴史エッセイ」というシリーズある。そのシリーズ第23話(2014.10.26)には、驚くべきことが書かれていると言う。
先ず、タイトルからして、奇妙奇天烈だ、「百済が日本に国を建てた」。
これだけでもKorean朝鮮人の痴呆さ加減が、判ると言うものである。馬鹿でないかい、朝鮮人は。と言った表現では物足らない。馬鹿で頓馬で、痴呆で気違いだ、朝鮮人は。
室谷氏の和訳が載っているので、それを紹介しよう。驚くと言うよりも呆れてしまう、
「日本古代史は中国の史書、「魏志」倭人伝に至って初めて出てくる。それを見れば、倭人がどこにいたかというと、韓半島の「帯方郡(今の黄海道)から南へ降りて行けば韓国があって・・・。また降りながら海を東南側に行けば狗邪韓国に出る。倭人はすぐそちらに住む」としている。
つまり、韓半島南側に韓国があり、また海を渡って日本の土地には、もう一つの韓国である狗邪韓国があると言う事だ。
すなわち、日本には倭人が暮らしているが、彼らを支配するのは狗邪韓国と言う国だと言うのだ。つまり、日本には百済の分国すなわち植民地があったことを証言している。」
我々は既に魏志倭人伝を、詳細に勉強して知っている。決してこんなことは書いていない。
何処をどう読めばこんな文章になるのであろうか。全くの偽造である。誤訳などではない。意識的にこの痴呆名誉教授は、馬鹿話を作っているのだ。馬鹿話はさらに続く。
「日本列島に渡った韓国人は百済人ばかりではなく、加耶、新羅、高句麗の人々がいた。私たちの『三国史記』にはそのような事実が記録されていないが、日本には記録はもちろん遺跡・遺物が数多い。日本のあちこちに国を建てた人々は韓国人だ。日本人はまだ野蛮人であり、国をどのように建てるかわからなかった。日本に国が建ったのは7世紀のことだった。
百済が660年に唐・新羅連合軍の攻撃に敗れ滅びたのが、まさに7世紀だった。そのとき、多くの百済王族が船に乗って日本に渡っていったのは、そこが百済だったからだ・・・・・」
こんな魏志倭人伝の捏造・偽造した解釈を載せているのは、朴ソンスと言う人物であるが、この痴呆教授は一応大学を卒業していると言う。それもソウル大学史学科、高麗大学大学院史学研究科を卒業し、大学教授にまでなっているらしい。よっぽど馬韓国の大学のレベルは低いと言う事か。
朴ソンスはその後、政府機関の国史編纂委員会の委員に選ばれ、その委員会の編史室長まで歴任しているようだ。
こんな経歴を見れば、一応朴ソンスは、形の上では、韓国歴史学会の最高の権威者の一人であるようだ。
そんな歴史学の一応の権威者が、「日本には百済の植民地・狗邪韓国があり、その狗邪韓国が日本を支配していた」などと言いふらしていると言う事は、「原典を歪曲してデマ解説をしよう」とする意図が見え見えである。
一般的にはKoreanの民度は低い、と思っていても間違いがない。こんなトンでも解釈がまかり通っているからには、相当低い、というよりも、とっても低いと言う事であろう。
だからこんな偽造・捏造した解釈で、馬鹿なKoreanに虚偽の理論武装させようとしているのである。
馬鹿なコリアンは、”わが民族が日本列島に「国づくり」も含めた文明・文化を教えてやったのだ”と思い込んでいるのだ。
しかも馬鹿なコリアンでも、男子には兵役がある。そこでも初年兵教育の「国史」では、「古代韓文明は5大文明の一つで、・・・未開の倭奴(ウエノム)に、わが民族が文明を教えてやった・・・」と教えられる、という。
全く、馬鹿で頓馬で、痴呆で気違いだ、Koreanは。これでよくわかったことであろう。
倭人は帶方の東南、大海の中に在り。山島に依りて国邑(こくゆう)を為す。 旧百余国、漢の時、朝見する者有り。今、使訳通ずる所三十国。
郡従(よ)り倭に到る。海岸を循(めぐ)りて水行し、韓国を歴(へ)て乍(ある)いは南し乍いは東し、其北岸、狗邪韓國に到ること七千余里。
朝鮮半島・韓国の南部には、日本の領地・狗邪韓国があった。倭人が韓族を支配していた。だから任那・日本府が存在したのだ。
(続く)