日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(6)

さて話を元に戻そう。

 

先ずその前に大まかな時代区分表を次の示す。史実と異なる部分もあるかとは思うが、大体こんな時代感覚であることを承知願う。

 

これは2018.10.25の「邪馬台国とはなんぞや?」のNO.53で使ったものである。

 

 

 

時 代 区 分

 

 

西暦

年前

時代

区分

日 本 列 島・内 容

BC48,000~

-50000

 

人が住み始める

BC28,000~

-30000

 

本格的に人が住む

BC23,000~

-25000

 

大型獣の狩猟

BC18,000~

-20000

 

最寒冷期、細石器文化、大陸と分離始まる。

BC16,000~

-18000

 

温暖化・海面上昇、最古の縄文土器(青森16千年前)

BC13,000~

-15000

 

照葉樹林広がる

BC11,000~

-13000

草創期

土器、石鏃、一時寒冷化

BC8,000~

-10000

同上

縄文海進、貝塚・定住化、押し型文土器・板付

BC6,000~

-8000

早期

対馬流入、佐賀・東名遺跡(網かご・貯蔵)
鬼界カルデラ噴火・九州南部・縄文文化壊滅
7
千年前長江下流河姆渡遺跡。温帯ジャポニカ稲作。

BC4,000~

-6000

前期

最温暖化、照葉樹林貝塚・漁業、米作り始まる

BC3,000~

-5000

中期

青森・三内丸山遺跡(世界四大文明に匹敵する

BC2,000~

-4000

後期

寒冷化、人口減少、山の寺梶木遺跡(山の寺式土器・籾痕の土器・陸稲南島原市

BC1,000~

-3000

縄文

弥生

晩期

早期

晩期・陸稲、早期・水稲始まる。
菜畑遺跡大規模水田跡)、
板付遺跡大区画水田跡環濠集落、夜臼式土器)

BC800~

-2800

早期

水稲栽培、板付Ⅰ式土器

BC400~

-2400

前期

吉野ケ里遺跡最盛期神武天皇即位BC70

AD100~

-1900

中期

AD57・漢倭奴国

AD300~

-1600

後期

AD239親魏倭王邪馬台国卑弥呼

 

歴史区分IMG_20181030_0003 (2)

 

さてこのこと稲作を伝える渡来人などの来訪はなかったは、遺伝子レベルで考察しても明らかなことが分かっている。

 

このこととは、「渡来人が大挙して日本列島にやって来たか、又は稲作を通じて人口が急増して、縄文人を駆逐して日本人となっていった」と言う論理であるが、そうであれば、日本人の遺伝子は渡来系(大陸系)の遺伝子に置き換わっていることになる筈であるが、現在の日本人(男子)のY染色体は、朝鮮半島や大陸のものとは全く異なっていたのである。

 

日本人のY染色体には、半島や大陸では殆ど見つからない「ハプロタイプD」と言う遺伝子がかなりの頻度で存在しているのである。

 

この「ハプロタイプD」と言う遺伝子は、最古の縄文土器16千年前の地層から発掘されたわけであるから、そのころから縄文人には存在していたものであろう。

 

 

長浜浩明氏の「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」(P257)(展転社)には、「日本と周辺国のY染色体頻度」の図表が掲載されている。

 

そのメモリを読んで数表にしたものを、次に掲げてみよう。(数字は概数である。タイは省略)

 

 

 

 

 

 

ハプロタイプ

日本

韓国

北京

モンゴル

備  考

8.9

14

 

43

モンゴルに多く、日本では古いもの

34.1

2.9

0.4

1.8

古い時代から日本に存在

27

41.3

52.3

20.1

アジアに古くから分布

O2a

1

0

 

 

タイの最大系統、古い

O2b1

18.1

5.9

0.1

 

日本から韓国に流入

O2b

6.8

14

5.8

 

弥生期に韓国より流入

O3

1.6

13

14.9

5.9

弥生開始期以降に流入

2.5

8.9

 

29.2

弥生期にやって来た

合計・%

100

100

----

----

 

 

 

 

この表の下三つのハプロタイプは、周辺諸国に最も多く分布しているものであることから、弥生時代以降に日本に流入したものであろう。日本に古くから存在したものではない。

 

日本列島は2万年前頃には大陸から分離しているので、日本での比率が高いグループは古くから日本列島に存在したハプログループとなろう。

 

周辺国に多い比率のグループで日本列島に存在しているグループは、弥生時代以降に日本にやった来たハプログループとして間違いなかろう。

 

日本列島は島国であったために、大陸の諸国と異なり異民族に侵入されることなどはなかったと言ってよい。唯一のものは元寇であるが、元(げん)のフビライが属国であった朝鮮の高麗に助言され、高麗・元軍の合同軍が、文永1274.11.4~19)と弘安1281.6.8~8.22)年代に北九州に侵攻し、村人たちを虐殺・蹂躙し奴婢とすべくさらっていったが、これも異民族による侵略ではあったが征服などと言うほどの大袈裟なもの(大激戦であったが)ではない。

 

しかも日本への大量の移民もなかったことから、日本人のY染色体はその大昔の基本形を保ったまま現代まで連綿と続いていると考えてよい、とその書には書かれている。

 

このように日本人(男性)のY染色体は韓国人や中国人とは大きく異なっている。だから、縄文時代の末期、弥生時代の初めにかけて、「大陸から人々の渡来はなかった」と言って間違いないのである。

 

 

このように周辺諸国とは近場にありながら、Y染色体は全く異なっているのであるが(遺伝的に遠く離れた関係)、これに反して日本人女性mtDNAミトコンドリア)は韓国や中国のそれと類似していたのである。

 

長浜浩明氏の「日本人ルーツの謎を解く 縄文人は日本人と韓国人の祖先だった!」(P166~)では、ミトコンドリアDNA問題を扱っている。

(続く)