日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(5)

ここで青森の16千年前の土器について触れてみよう。

 

その土器は、青森県外ケ浜町の大平山元Ⅰ遺跡と言う縄文時代草創期の遺跡から出土したものである。その土器に付着していた炭化物の炭素14年代測定により、16,500年前世界最古の土器のされる。世界で最も古い土器のほかにも、世界最古の石鏃も発掘されているという。

 

ここは国指定の史跡となっている。

 

 

 

大平山元I遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

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大平山元I遺跡より出土した土器片 

大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)は、青森県外ヶ浜町にある縄文時代草創期の遺跡である。2013年に国の史跡に指定された。指定名称は「大平山元遺跡」。 1975とその翌年には青森県郷土館が、1998に旧蟹田町教育委員会により発掘されている。

     1998の民家の建て替え工事に伴い、旧蟹田町教育委員会が行った発掘調査により、発掘された土器は世界の中で最も古い[1]とされるものがある。 縄文土器に付着した炭化物のAMSによる放射性炭素年代測定法[2]の算定で16,500年前暦年較正年代法による)のものとされる。 また、石鏃も世界でもっとも古いもので、これは世界で最も古い弓矢の使用を示す。

外ヶ浜町山元地区にはIIV遺跡、墓地公園遺跡などいくつもの縄文遺跡が発見されているが、このうち本遺跡は縄文時代草創期のものである。 これらから出土した石器や土器は、大山小学

校の跡の大山ふるさと資料館に保存されて自由に見学ができるようになっている。

大平山元I遺跡からは石斧石核石鏃などの石器も発掘されている。ほとんどの石器の材料は地元の川から採れる頁岩からできているが、中には青森県鰺ヶ沢町から運ばれてきた黒曜石からできている石器もある。

土器はすべて小破片で形の分かるものはないが、文様はなく平らで角張った底の土器である。土器の内側には炭化物が付着しており、食料の煮炊きに使ったものであることが分かる。 これは世界でもっとも古い煮炊きの跡と言えるだろう。

現在は民家と民家の間に挟まれた狭い空き地にある。田の近くにあるため、縄文時代には湿地帯のすぐ近くの小高い場所だったとされる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/大平山元I遺跡

 

 

 

 

大平山元Ⅰ遺跡 おおだいやまもといちいせき

市町村:外ヶ浜町

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陸奥湾に注ぐ蟹田川左岸の標高約25m河岸段丘上に所在する、縄文時代草創期の遺跡です。
大平山元Ⅰ遺跡からは、旧石器時代から縄文時代への移行課程にかかわる長者久保石器群が出土しています。
1975
1976年の発掘調査に続いて、19987月に民家の建て替え工事に伴い、旧蟹田町教育委員会行った大平山元Ⅰ遺跡の発掘調査で、ローム層に包含された長者久保石器群に伴い、無文土器片46点が出土しました。

住所  東津軽郡外ヶ浜町蟹田大平山元

https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000391.html?id=00000391&t=0

 

 

この大平(村)の歴史は、1889年(M22)に七村が合併して蟹田村となり、1941年(S16)に町制施行により蟹田町となり、2005年(H17)に他の2村と合併して外ヶ浜町となる、とWikipediaには記されている。序に場所は次の地図を参照願いたい。「大平山元」は下の地図の外ヶ浜町の字の一寸上あたりとなろう。ちなみに縄文前期以降の「三内丸山遺跡」は、下の地図の青森市の青の字の左下辺りになろう。

また遮光器土偶で有名なつがる市亀ヶ岡遺跡は、下の地図の「中泊町五所川原市」の字の中間の日本海側に空白部分に位置する遺跡である。

 

 

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https://ja.wikipedia.org/wiki/外ヶ浜町

(続く)