日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(21)

司馬遼太郎は、「龍馬がゆく」、「坂の上の雲」などという名著を多数表しているので、それなりに尊敬に値する小説家と思っていたが、このような幼稚園児的な認識の持ち主だと言うことが分かり、全く以って唾棄すべき思想の一面を持っているのではないか、と言うことが分かった次第だ。

 

 

ここにも記述されているように、板付や菜畑の遺跡の発見は、司馬のケンブリッジ大学での特別講演より、7~9年も前のことである。だから縄文時代が「闇の時代」ではないことは、十分に知っていなければならないことであった。

 

 (ケンブリッジ大学での)

司馬遼太郎・英国講演        1987年(S62) 英国日本学研究会主催のシンポジウム

 

板付遺跡の水田遺構の発見    1978年(S53) 講演の9年前に判明

菜畑遺跡の水田遺構の発見    1980年(S55) 講演の7年前に判明


大平山元I遺跡出土の土器    1998年(h20) 世界最古の土器発掘、16,500年前のもの

 

このように、縄文時代は決して司馬遼太郎の言うような「闇の時代」などではなくて、相当進歩していた時代なのである。決して狩猟採集だけの時代ではなくて、イネも陸稲ではあるが6000年も前から栽培されていたのであるし、土器も世界でも最も早くから使われていたのである。

 

大平山元I遺跡は別にして、少なくとも板付遺跡菜畑遺跡3,000年前の水田跡が発見されていたことぐらいは、知識として持っていなければならないものであった。縄文時代はだから、決して闇の時代などと確定的に言えるほどの文化の低い時代ではなかったのである。

 

1998年(h20)になるので司馬の英国講演の後にはなるが、何はともあれ、青森県外ケ浜町の大平山元Ⅰ遺跡と言う縄文時代草創期の遺跡から出土した土器は世界最古のものであり、世界最古の弓矢使用となる石鏃も発見されているのである。縄文時代は、文化的にも世界最先端を走っていた、ということである。

 

また20039のことであるが、中国よりも古い世界最古の漆の器も、北海道などで発見されているのである。9000年前縄文時代早期前半のもので、中国河姆渡の漆器7500年前のものであったので、それよりも2000年ほども古いものであった。闇の時代などとたわけたことを言うよりも、日本の縄文時代世界最先端の技術を持っていたのである。

 

 

最古の漆器[編集]

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河姆渡文化時期の赤い漆の塗られたお椀。(浙江省博物館)



         長江河口にある河姆渡遺跡で発掘された木弓は、放射性炭素年代測定で約7500~7400年前と確認されたことから、漆器は中国が発祥地で技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていた。ところが、北海道函館市南茅部地区(みなみかやべ)から出土した漆の装飾品6点が、米国での放射性炭素年代測定により中国の漆器を大幅に遡る約9000年前の縄文時代早期前半の装飾品であると確認された[注釈 3 (20039)]縄文時代の集落と生活様式の変遷が確認できる垣ノ島遺跡(縄文早期、9000年前の遺跡)からは、赤漆を染み込ませた糸で加工された装飾品の他に、黒漆の上に赤漆を塗った漆塗りの注口土器なども発見されている。さらに、福井県(鳥浜貝塚)で出土したの枝は、放射性炭素(C14)年代測定法による分析の結果、世界最古の約 12600年前のものであると確認された[12]。更なる調査で技術的に高度な漆工芸品である「赤色漆の櫛」も出土、 この他に、木製品、丸木船、縄、編物、その加工に用いられた工具なども相次いで出土しており、漆工芸品も含めた木材加工の関連品が発見されている[注釈 4(201210)]。こういった遺構、遺品から、日本では縄文時代早期末以降にはウルシが生育していたとされる[13]

  上記の垣ノ島遺跡から出土した漆器20021228日の深夜、8万点に及ぶ出土文化財や写真、図面とともに火災にあった。幸い形の認識と繊維状の痕跡がはっきりと視認できる部分は焼失を免れ、2004年の4月には12ページの調査報告『垣ノ島B遺跡出土漆製品の分析と保存処理』が出された[14]

https://ja.wikipedia.org/wiki/漆器#cite_note-16

 

 

こうしてみると、如何に司馬遼太郎が頓珍漢な事を言っていたかが分かる、と言うものである。読書好きでそれなりに聡明な頭の持ち主であったようなので、もう少しましな言い方があったのではないのかな。

 

漆については、もう一つ参考までに資料を載せておこう。

 

 

 

時代を超えるうるわしのニッポン

その潤いは太古から

うるしは、「うるわし・うるおす」が語源であるという説がある。確かに、漆器の艶やかな色合いを見ると、それもあるだろうと思わせる。だが、この「うるわしのうるし」は、現代人の日常から、ずいぶん遠いところにあるようだ。

 漆椀を日々の食事に使っている人は、どれだけいるだろうか。漆塗りの重箱はあるが、使うのは正月のおせち料理のときだけという家庭も少なくないだろう。扱いが面倒だから、高価だから、デザインがライフスタイルに合わないから……。そもそも、美術館に収まっているようなものでしょう?

 使わない理由はさまざまあろうが、「実は、漆のことをよく知らない」ということが、根底にあるのではないか。

 多くの人から縁遠いものと思われている、うるし。実は、太古の時代から、日本人の暮らしとともにあった。あんなところ、こんなことに、漆は利用されてきたのだ。

 

 

 

世界最古は日本にあり

 

漆は縄文時代から使われていて、世界最古の漆器は、7,000年前の中国のものとされていた。ところが、この説が覆った。北海道函館市で、漆を使った約9,000年前の副葬品が発見され、これが世界最古のものとなったのだ。時代は下るが、福井県青森県八戸市是川遺跡(注)などからも、漆塗の櫛などが数多く出土している。


 椀・皿・鉢や壺、土器などの器の類、弓などの武器、櫛や腕輪などの装飾品と、縄文時代の漆製品は多岐にわたっている。そして、赤色漆製品が多く作られているのも、この時代の特徴だ。縄文人にとって赤は、特別な色だったのだろう。血や魂の色で、魔除けや復活・再生、隆盛を意味したのではないかという研究もある。


 塗料であり接着剤でもある、漆。赤い櫛は、縄文人たちが赤色顔料を作り、漆に混ぜて塗ったものだ。壊れた土器が、漆で補修されたものも見つかっている。漆工の道具類も出土していて、この時代にはすでに、現代に通じる基本的な技術が確立されていたことがわかるという。いずれにしても日常から祭祀まで、漆製品は、縄文の人たちの暮らしとともにあったということだ。

(続く)