日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(41)

先に紹介した地図によれば、バイカル湖の東側にも後期旧石器時代の遺跡が存在している。

 

それらの年代は、信頼性の高いものだけを選び出して年代データを見較べてみても、4万8000年前から4万年前後期旧石器文化のものだと言うので、このカラ・ボム遺跡4万6500年前と言う年代は間違ったものではなかろう。

 

つまり考古学的には、かなり古い時期に、アルタイからトランバイカルまで1800キロメートルに及ぶ範囲にまでホモ・サピエンスが広がっていたことが類推できるのである

 

と記している(P88~89)。

 

しかも、2014年の秋には、そのホモ・サピエンスの骨が、アルタイ山脈から西北へ1200キロメートルほどの地点のウスチイシムから発見されている。人の大腿骨の化石で、4万5000年前のものであった。

 

だから、予想外に古くから、アフリカから拡散したホモ・サピエンス達は、この寒冷なシベリアの地にまで広がっていたことになる。

 

だから海部陽介は、ホモ・サピエンスのシベリア到達は相当遅れるものだと思っていたので、かなりびっくりしたと言う。当然であろう。

 

この5万年近く前の時期は今よりももっと寒さが厳しく、森林ではなくツンドラステップが広がっていた筈だ。そして、ウマ、トナカイ、ジャコウウシ、ケサイ、マンモスなどの大型動物が闊歩していた筈だ。

 

そのため、「初期ホモ・サピエンスがわざわざこんな場所へ進出したのは、もしかするとここが魅力的な狩猟場であったからかもしれないが、とにかく彼らの前には、未経験の厳しい自然が立ちはだかっていた。」と記述されている(P90)。

 

彼らがこのシベリア南部の厳しい自然の地に進出したのは、この食糧問題のためであったのであろう。そうでもなければ、好き好んでこんな厳しい所へは進出しなかった筈だ。

 

しかもヨーロッパへも進出せずに、先ずは南シベリアへ初期のホモ・サピエンスたちは進出していた訳だ。とするとヨーロッパはもっと寒かったはずだ。

 

それにヨーロッパには旧人ネアンデルタール人が、先住民として繁栄(?)していたから尚更だ。

 

この南シベリアにも、先住者としてのネアンデルタール人がいた。デニソワ洞窟で見つかった化石人骨は、DNA分析でネアンデルタール人の系列の旧人であった。

 

彼らは、ホモ・サピエンスたちよりも早くから寒いヨーロッパで進化してきた、と考えられている。およそ50万年もの長期に亘って、ヨーロッパを支配していた筈だ。

 

だから、寒さには強い身体構造に進化していた。彼らの体形は、化石から、胴長短足(脚)・腰幅が広く腕・脚は比較的短く、関節が大きくて全体的にがっしりしていた。

 

この体形は、身体の体積に対する表面積の割合が小さく、体熱を逃しにくくて寒冷地に適した体型だという。ネアンデルタール人は、50万年にわたってこのように寒い地域で、身体構造を進化させていたのだ。北極地方のイヌイットエスキモー)も、このように胴長短足傾向の体形をしている、と言う。

 

現代のアフリカ人は、細身で腕と脚が長い体形をしているが、これは、体熱を放散しやすくするためなのだ。アフリカで誕生した初期のホモ・サピエンスはこのような体型であった。

 

だから、5万年前から4万5000年前頃に、南シベリアに到達したホモ・サピエンスたちは、ネアンデルタール人の様に寒さには強い体形ではなかった筈だ。

 

そのようなホモ・サピエンスたちが、早い時期にシベリア南部まで広がっていたと言うことは、予想外であり且つ大変興味深いことであった。

 

体形的に寒冷対応を果たしていなかったホモ・サピエンスたちは、よほど食糧問題に困っていたので、敢えて大型動物が闊歩していたシベリア方面へと進出していったのではないのかな。

 

当然寒冷地対応は、技術と文化でこれを克服していった、筈だ。

 

氷期のシベリアで生き抜いてゆくためには、おそらく機能的な住居と衣服、火を使って暖をとる技術、そして長く暗く食べ物が不足しがちな冬を乗り切るための食糧保存技術などが必要だったはずだ。」とP94には書かれている。

 

この後期旧石器文化では、中期旧石器文化ネアンデルタール人)と異なり、石器の作り方の多様性や骨角器、装飾品の存在、そして住居の存在などで中期旧石器文化とは本質的に異なっていたという。

 

小生には詳しくは説明はできないが、後期旧石器時代にはそれまでにはない「石刃技法」という両刃の細長い石器から複数の石器を創り出す技法が発達している。

 

そうして作られた掻器や彫器は、この時代の石器である。掻器は、基本的には皮なめしの専用具である。毛皮から脂肪分をそぎとるための石器であり、石器の頭部が円弧になっておりそぎ取るに適した形状となっている。

 

この石器が発見されれば、毛皮のなめしが行われていたことになるものである。

 

彫器は、今で言う彫刻刀である。骨角器を作るための道具であり、中期旧石器時代には骨角器は存在していなかった。釣り針や縫い針、更には卵殻や骨や歯からビーズやペンダントなどの装飾品などが作られていた。この身を飾る行為は、ホモ・サピエンスの独特の行為であった。

 

更には洞窟の外に開けた所に、石を並べて住居(テントを張り)をつくり、炉で煮炊きや暖を取っていた。

 

つまりここへやって来た祖先たちは、ネアンデルタール人にはなかった技術を持ち、それで寒さを克服していったのである。


(続く)