日本人のルーツは縄文人だ、渡来人はない。(71)

何れにしても、この琉球諸島沖縄諸島先島諸島)には、3万年前の遺跡が沢山存在しているわけであるから、何らかの方法でホモ・サピエンスたちが台湾方面から渡ってきたことは確かな事である。

 

遺跡の例は、2020.10.20NO.61などを参照願いたいが、今回の実験航海は、旧石器時代にどんな手段で渡航したのか、そして丸木舟での渡航が可能であったのか、と言うことを(単に)示しただけのことではないのかな。

 

それよりも、この琉球諸島へ渡ってきたホモ・サピエンスたちは、日本列島(古本州島)へ渡っていったのか、彼らの文化が日本列島人の文化に影響を与えたのか、混血していったのか、と言ったところが主題ではなかったのかな。

 

海部陽介の「日本人はどこから来たのか?」(文芸春秋社)には、その点、何の言及もない。航海プロジェクトの説明に終わっている。この「第7章 沖縄ルート、難関の大航海」のボリュームは、「日本への3つの進出ルート」の中では、最も大きいが、沖縄ルートのその後にももう少し筆を進めてもらいたかったものである。

 

この沖縄ルートのホモ・サピエンスたちは、4万5000年前から4万6000年前にヒマラヤ南ルートで拡散していってホモ・サピエンスたちが中心となって行った渡航ではなかったのかな。だからそれほど石器が見つかっていない、と言うことでは無いのかな。

 

まあ何はともあれ、対馬ルートの中には、このヒマラヤ南北ルートのホモ・サピエンス達が混じっていたことには違いがないことは確かだ。元は同じホモ・サピエンスたちではあったが、混じり合うことでより進化したのではないのかな。

 

だから日本の旧石器時代ホモ・サピエンスたちは、落し穴とか刃部磨製石斧とか環状ブロック群などと言う他に例をみない独特の発明を成し遂げることが出来た訳だ。

 

小生の印象では、この沖縄ルートのホモサピエンス達は、最終的には古本州島へは渡ってこなかったのではないのかな、と思っている。渡ったとしても、それほど大きな影響は与えなかった筈だ。古本州島での旧石器時代の遺跡からは、沖縄ルートのホモサピエンス達の痕跡は見つかっていない筈だ。

 

そのためか、この章の最終は「このように沖縄ルートについては、現在、多様な研究が進行中だ。近い将来、更に面白いことがわかってくるだろう。」と結んでいる。

 

この実験航海は(悪いけど)、大山鳴動ネズミ一匹 と言ってもよいものではなかったのかな。

 

さて次は、北海道ルートだ。

(続く)