カーボンゼロ、クルマの未来はどうなる?(8)

フランスのルノーが、日産の株式を手放してでも、BEVの量産化に日産を取り込みたいと動き出したことは、このことを如実に物語るものであろう。 

 

ルノー単体では、この荒波を乗り越えられない可能性があると、ルノー経営陣は危惧したということであろう。 

 

(1)なんと言っても、日産の方がBEVに関しては、特許などでもルノーよりも一日の長があったということではないのかな。 

 

(2)2035年には、EUでは、ICEの新車販売が禁止される事が決まったようなので、急速なEVシフトが進むものと思われる。 

 

(3)しかもルノーはロシアからの撤退で22年前半期は2年ぶりの赤字となっている。 

 

と言った塩梅で、ルノーとしては相当(ある意味)焦っていたのであろう。 

 

だだから、EV事業への日産の助けが必要だったわけで、ルノー保有日産株43.4%を手放して15%にして日産と対等な持ち株としてでも、日産のEV技術を獲得することに舵を切った、と言った状況であろう。 

 

将に攻守逆転と言った状態となったわけである。 

 

 

切迫ルノー日産自動車動かす 四半世紀で立場逆転 

2023年1月31日 14:53 [有料会員限定] 

日産は2001年6月の取締役会でカルロス・ゴーン被告を社長兼CEOとする人事を決めた           

 

日産自動車と仏ルノーの20年以上続いた提携関係が転換期を迎える。経営危機に陥った日産をルノーが救済する形で始まった歴史は「カルロス・ゴーン」という強烈なリーダーの下、世界首位グループ入りを果たした。ルノーは欧州の電気自動車(EV)シフトやウクライナ危機の荒波にさらされ経営が切迫しており立場は逆転した。日仏連合は「対等」後に再び存在感を高めるためあるべき姿を模索する。 

 

「言葉の壁など関係ない。我々が話すのは『自動車語』であり、『企業語』なのだ」。1999年3月27日ルノールイ・シュバイツァー会長(当時)が日産の塙義一社長(当時)と臨んだ両社の資本提携の発表会見。シュバイツァー氏は自動車産業グローバル化の拡大を予感させる言葉で高らかに語った。ルノーが6000億円超を投じて日産株を37%取得し、日仏連合の歴史は始まった。 

 

日産とルノー資本提携を発表し握手をする塙義一日産自動車社長(左、当時)とシュバイツァールノー会長(当時)=1999年3月、東京都千代田区 

   

 

世紀の大統合といわれた1998年ダイムラー・クライスラー(後にメルセデス・ベンツグループと欧州ステランティスに再編)の誕生が象徴するように、90年代は巨大な自動車メーカー同士の大再編時代の幕開けだった。再編を主導したのは海外メーカーだ。バブル経済崩壊で体力が弱った日本車メーカーに次々と触手を伸ばした。日産だけでなくマツダ三菱自動車も強力な欧米メーカーの傘下に入った。 

 

日本車メーカーを再生させる――。日産の場合、ルノーが再建のために送り込んできたのがゴーン被告だった。日産の最高執行責任者(COO)として着任し、後に最高経営責任者(CEO)に昇格。1999年10月に発表した「日産リバイバルプラン」で完成車や部品などの5工場閉鎖に踏み切った。日本流のしがらみが残っていた「ケイレツ」にメスを入れ部品メーカーとの関係を見直した。「コストカッター」との異名をとり、強引にも見えた手法は時に反発も招いた。 

 

ゴーン流改革で息を吹き返した日産は、就任からわずか2年後の2001年3月期に連結最終損益で3310億円と過去最高益を達成した。V字回復したことで「助けたルノー」、「助けられた日産」という構図がより鮮明になった。ルノーの追加出資で日産株43%日産がルノー株の15%を持つ現在の資本関係に至るが、資本の非対称さが両社のあつれきを生む一因になった。 

 

1999年の時とは対照的に、今回の資本見直しのきっかけとなったのはルノーの苦境だ。22年7月下旬の決算説明会でルノーのルカ・デメオCEOは「ここ15年で最も悪い事業環境だった」と話した。ウクライナ危機の影響で営業利益の2割を稼ぎ出すロシア事業から撤退し、関連費用がかさんだ。22年1〜6月期の連結最終損益は13億5700万ユーロ(約1900億円)の赤字と同期間として2年ぶりの最終赤字となった。 

 

 

 

(続く)