2011-01-01から1年間の記事一覧

日韓併合100年(156)

なんと言ってもルーズベルトは、カラーコード戦争計画を1904年に下問し1908年には白い艦隊を世界に派遣し10月には日本にも寄航させ、日本を恫喝している程である('11/8/9.NO.127参照)。だからタフトからの電文を見たルーズベルトは、7/31に「桂・タフト会談…

日韓併合100年(155)

日露戦争は、ロシアを満州から駆逐し、韓国への手出しを止めさせる事であった。ロシアの究極の目標は朝鮮の獲得であった。以前にも言及してあるが、朝鮮半島の先端の馬山マサンと巨済島を租借し奉天→旅順→馬山→浦塩と満州、朝鮮を囲い込んでいたのである。そ…

日韓併合100年(154)

日本が白人の大国ロシアを破ったと言うことは、多くのアジアの植民地国に希望を与えていたので、アジア諸民族ともそれなりにうまくやっていったと言う可能性も大きかったものと思われる。小村も一つ角を曲がり別視点で検討し、この「ハリマン提案」を受け入…

日韓併合100年(153)

官邸に付くや否や小村委員は「予備協定覚書」を一読し即座に「之れ、明らかに講和条約第六条に反す」と言った。第六条には「ロシア帝国政府は・・・清国政府の承諾を以て、日本帝国政府に移転譲渡すべきことを約す」とあったから、清国の譲渡の承知が条件で…

日韓併合100年(152)

(*)米海軍次官・ルーズベルト→マハンへの手紙(1897/3)「我々はハワイ諸島を明日にでも併合すべきだ。私の信念では、日本が英国に発注した戦艦2隻が英国を離れる前に、我々はともかくもハワイのそこら中に星条旗を掲げ、細々として問題はその後片付ければよ…

日韓併合100年(151)

1810年 カメハメハ大王、ハワイ統一1840年 ハワイ、立憲君主国となる1879年 カメハメハ王、イオラニ宮殿を完成させる。1881年 カラカウア王、日本訪問。深夜アメリカ人随行員を出し抜き、明治天皇を訪問。米国の圧力からの脱却に対する援助を要請し、カイウ…

日韓併合100年(150)

だからルーズベルトは最初から、日本がロシアから賠償金をとることには反対であったのである。ルーズベルトは日本を仮想敵国と看做していたのである。「War Plan Orangeオレンジ計画」がそれである。一説によるとこの「オレンジ計画」はセオドア・ルーズベル…

日韓併合100年(149)

さし当って、日本は堂々と「集団的自衛権」を認めて、自国の防衛での実力行使のほかに、同盟関係にある米軍などが攻撃された場合に実力行使が出来ることを宣言し、自国防衛のレベルを上げる必要性がある。そして、国内での核兵器の管理を米軍と共同で行うよ…

日韓併合100年(148)

予備協定覚書を破棄されたハリマンは、当然、烈火のごとく怒った。そして1906/8には腹心の娘婿のウィラード・ストレイトを奉天領事として送り込み徹底して日本利権を妨害していった。そして高橋是清には、「今から十年のうちに日本は、米国と共同で満州鉄道を…

日韓併合100年(147)

この鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマンは、日本の戦時国債2億ドル(現在の一兆円と言う)を引き受けてくれたジェイコブ・ヘンリー・シフのパートナーとして、クーン・ローブ商会を経営する仲であった。 シフとは、昭和天皇が1966年新任の駐日イスラエル…

日韓併合100年(146)

10/5、先発帰国組の5人の随員達を載せた汽船が横浜に入港した。出迎え人に通商局長石井菊次郎がいた。彼は、鉄道王エドワード・ハリマンと日本政府間での「南満州鉄道」の日米共同経営の話が進んでいることを知っていた。石井局長は、その話を 外務省政務局…

日韓併合100年(145)

9/14、小村委員は、随員達に別れの挨拶をした。小村委員はベッドに身を起こして、「この度の談判中は、皆々よく働きたり。感謝す。尚益々奮励せられたし」と述べ、一人一人に握手した。帰国する随員達は、小村委員の弱った様子に皆万感胸に迫るものがあった…

日韓併合100年(144)

この電報の真意は、講和成立をひたすら喜ぶものではなかった。ウィッテの秘書コロストウェツによれば、ウィッテもローゼンも「この場合」には単に平和が必要だっただけで、恒久的な平和を願ったものではなかった。次のように手記しているという。 「ウィッテ…

日韓併合100年(143)

さて、日本としては、ロシアの陰謀を防ぐためにも、「韓国の外交関係を引き受ける」決意であり、また、講和条約による満州の鉄道と租借地を中国に要求することになっているが、円満に解決できない場合には「実力」で実行する、というものである。 小村「ご意…

日韓併合100年(142)

戒厳令が発せられた東京の治安は劇的に回復した。群集の暴発を煽った新聞は、早速2日間の発行停止を食らっている。地方にはこの戒厳令は適用されない。そのため神戸では暴動が発生した。しかし組織されていないもので単発に終わっている。 9/8、夜、小村委…

日韓併合100年(141)

東京で戒厳令が発せられた9/7,零時頃、ボストンでは9/6,10:00頃小村は母校のハーバード大学訪問に出発していた。ハーバード大学での歓迎昼食会の後、構内に住む名誉教授C・ラングデルを訪問した。彼は小村委員の当時の恩師であった。名誉教授は、ひげを生や…

日韓併合100年(140)

ちなみに、内相とは内務省を指揮監督する内務大臣のことで、警察・治安・衛生・地方自治などを管轄していた。1947年限りで廃止されている。内大臣とは宮中のポストであり、内務大臣とは関係ない。とはWikipediaの説明である。 調印は、午後3時開始予定が、…

日韓併合100年(139)

9/3、日本国内では、益々反講和の気運が強くなっている。日本各地で反対集会がもたれていた。「大阪市民大会」は最も過激であった。「政府は国民に謝罪して、講和条件を破棄して、戦争を継続せよ」といった趣旨の決議を採択している。 東京では「講和問題同…

日韓併合100年(138)

このようなロシアの考えは、今の時代でも変わっていない。さらに厄介なことには、そのロシアと同じ考えのならず者国家が、その隣に存在していることである、共産中国である。それなのに日本の民主党政権には、そんな危機意識は少しもない。管も鳩山も小沢に…

日韓併合100年(137)

「ロシアは中立の朝鮮を必要とする。もし朝鮮が自由でなければ、我々は極東における全戦略が脅かされる。旅順からウラジオストクに至るルートには障害があってはならない。もし日本がこれに同意しないのならば、海陸における戦闘という犠牲を払わねばならな…

日韓併合100年(136)

8/30、米国の新聞は講和成立を祝う記事で賑わったが、ロシア、日本の両当事国の反応はすこぶる消極的であった。政府としては講和条約の調印がなされないうちは、正式決定とはしていなかったために、政府発表が無かったからである。 8/31、日本政府は朝から、…

日韓併合100年(135)

どのように外交交渉するかは、知恵を最大限に搾り出さなければならない。 日本は償金が取れるような戦争をしなければならなかった。戦争の行われている満州は、ロシアの地ではない。いくら奉天を取られても、ロシアはある意味痛くも痒くもない。だから北韓作…

日韓併合100年(134)

委員ウィッテは失望し、記者たちも談判決裂を確信した。 午前9時30分、会議が始まると同時に小村委員が秘密会議を要求し応諾される。両全権委員と通訳だけとなる。午前10時秘密会談開始。 (1)小村委員、8/23の提案='11/8/9,NO.129参照・(8/18の秘密合…

日韓併合100年(133)

それに仮に日本が勝ったとしても「ロマノフ王朝」が崩壊してしまえば、償金も権益も入手できなくなる可能性もある。また日本が必ずしも勝つとは限らない。負けるかもしれない。 そのため、「たとえ多少の譲歩を為すも、今回講和会議を機とし平和の局を結ぶこ…

日韓併合100年(132)

ウィッテは高平委員に「償金と割地の2要求を撤回せよ。8/29火曜日がその期限である。」事を伝えている。そしてそのことを本国にも電報で伝えている。日本もウィッテの言うことを十分よく理解していた。 日本の執るべき策は、次の二つしかない。 (1)軍費およ…

日韓併合100年(131)

8/28、早朝(日本時間)元老会議そして午前8時に引き続き閣僚会議がもたれた。当然議題は日本政府の最終態度である。談判決裂の場合は、陸軍の軍事力が頼りとなる。奉天戦のあと日露ともに戦力の増強に励んだが、日増しに日本軍の不利が明らかになった。ロ…

日韓併合100年(130)

8/18、小村・ウィッテの秘密合意、「日本は樺太南部を領有し、北半分を12億円で還付する。」8/21、大統領は金子に、賠償金(樺太半分の還付金)は12億円に対して7.5億円でどうか、と投げかける。8/22、7:00pm金子は小村にこのことを打電する。そして11:00pm…

日韓併合100年(129)

それにも増して、この「一文無しの妥協」を日本が知れば、日本は逆上してこの談判を無にするであろう。だから日本には知らせずに、反対にまさかの時の切り札に使えると思い、ルーズベルトは秘匿したものであろう。もともとアメリカは狡賢い国である。 しかも…

日韓併合100年(128)

散々意見交換した挙句ウィッテは次のように締めくくった。 「軍費の払い戻しのない講和案は、日本としては承諾できないということか。」 小村委員は「そうだ」と答える。 ウィッテは「(罠に)掛かった」と思ったであろう。「本員は、サガレン全島を放棄して…

日韓併合100年(127)

金子から小村にルーズベルトの変心が知らされていれば、小村からは何らかの対抗策がウィッテに向けられていたことであろう。例えば樺太全島の譲渡か、または樺太の北半分を(報酬金と引き替えに)還付するのどちらかを選択せよと迫るとか、はたまた、北韓作…